サンクチュアリ

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 タタン… タタン…  単調なノイズがおれのアタマに落ちてくる。  それはおれの足の底から。あるいは背中の裏側から。そしてもちろん耳の奥から。くまなく体の隅々からおれの芯まで落ちてくる。  かすかな、確かな、止むことのないそのノイズが。  長く長く閉じていた、おれの重いまぶたを。やがてゆっくり上へと引き上げた。  最初に見たのは青さだ。  夜明け前に特有の深い静かな青が、車窓の外にあった。どうやらおれは、依然として列車の中にいる。窓にもたれて、いまひとり目を覚ましたおれは。その窓の外に、明け方の見知らぬ町の風景を見る。すべては夜明け前の青の中に、しずかにひたって。  街が。大きな広がりを持つ見知らぬ都市が、ふわりとした白い朝もやの中に、半分沈んで、半分は浮かんで見えている。中層のビル。マンションの群れ。そして小さな住宅の列。見知らぬ都市の風景が、夜明け前の青さ中で。列車はいまどこか、かなり大きな都市をまっすぐ横切りながら、そうとう高い高架の上を走っているらしい。    どこだ、ここは…? 高松…なのか? それとも――    その直後、景色は一瞬コンクリートの巨大な壁面にさえぎられた。しかしまもなくそこを抜けると、大きな倉庫や工場やコンテナ置き場がうめつくす、工業地帯の景色がひらけた。でもそこも、半分以上は白い朝もやにつかって、夜明け前の青の中、すべてがいまだに眠りについている。その眠る青い景色の向こうに、どうやら海が―― まもなく見えてきそうな気配だ。  海…?  そこで突然、記憶が戻る。  記憶。  夜。駅。ひまわり畑。暗闇をかけぬける列車―― 「野添…?」    声に出して、呼んでみる。  同時に左をふりかえる。二人掛けの座席の、左側。  そこに野添が―― 深くもたれて。固くしずかに目を閉じて。  いつもの白のワンピース。呼吸にあわせ、胸の部分がかすかにゆっくり上下して―― 「おい。野添。起きてくれ。野添。」  肩をゆすった。  何度もゆすった。前後に。左右に。  まもなく息を吐きながら―― 野添がゆっくり目を開く。 「何? 着いたの?」  眠そうに目をこすり―― 野添が斜めにおれを見上げた。 「いや、どうだろうか。とにかく見てくれ。外を――」 「ちょっと。近いわよ、顔。やめてよほんと。なれなれしい」  肩にかかったおれの手を、いきなり彼女はふりほどく。彼女がおれから体を離す。なにか忌まわしいものに触れられたかのように、小さく彼女は身震いし、それから両手で崩れたスカートの形をなおした。 「まさか―― きみは、もしかして――」 「残念。そのまさかよ。悪かったわね。わたしはスグリよ」 「…そんな――」  なぜだ。槙島スグリ?   だけど、なんでだ? 服は確かに、野添のものだが――  おれは視線を周囲に走らせる。しんとした早朝の列車の車内には、ほかに乗客の姿は見えず―― むこうの座席には槙島スグリの大荷物が―― いささか乱雑な感じで、むりやり座席の上に押し込めてある。しかしその持ち主であるはずのスグリは―― たしかにあのとき、そこに座っていたはずの黒服の彼女は―― 「どこ見てるの。もういないわよ、どこにも。わたしはここよ」  彼女がちょっぴり意地の悪い声で小さく笑って。それからふああ、とあくびした。片手を口にあてながら。 「どうやら外に出たようね。ここは今、どこ? 電車はどこを走っているの?」 「…わからない。どこか大きな街だ。海辺の街、みたいな感じだけど――」 「けど? 何?」 「なあ、野添はどこだ? 彼女はいったい、どこにいる?」  おれはむりやり手をのばし。相手の肩を。スグリの肩をむりやりゆすった。 「ちょっと。いちいち触らないでくれる? 大丈夫よ。いるわよちゃんと」 「いるってどこに? どこにだ?」 「中よ。ここの体の、中にいる」  そういってスグリは、右手で自分の首のあたりをトントンと叩いた。 「中に…?」 「そうよ。まだ今、寝てるわ。野添みなみは。もうじきたぶん、目を覚ます。今はあたしが、ここで表に出てるけど。すぐまた、消えるわ。もうじきみなみが、起きてくるから」 「…じゃ、またひとつになったのか。二人は、ひとりの野添みなみに――」 「そういうことみたいね。残念だけど」  スグリが右手と左手を高く上げ、んんんん、とすわったままで背伸びした。それから首を左右にたおして、その首の動きを自分自身で確かめているようだ。 「まあでも。どうやらほんとに、外には出れたみたいだし。あまり贅沢は言えないわよね」  そう言ってスグリは、またひとつ大きくあくびをし。それから両目をかたくつぶった。 「じゃ、そういうことで。わたしはしばらく、また寝るわ。今度会ったら―― まあ、なんでもいいんだけど―― あなた。あんまりみなみと、べたべた、ラブラブ、しすぎないでね。これはみなみの体だけれど。いちおうわたしの体でも、あるわけだから。あんまり気安く、さわったり何かしないでって。言ってもどうせ、やるんでしょうけど――」 「お、おい。なんだそれ。その言い方――」 「じゃ、おやすみ、古田―― じゃなかった。古田じゃない、野添みなみの彼氏のあなた。また少し先で、会いましょう。ああそれと、あそこの絵―― あれはわたしが寝てるあいだも、ちゃんと見張って忘れないでね。それだけ絶対まもってほしい。あれ、失くしたり傷めたりしたら、絶対ただではおかないから。みなみにも、くれぐれもそれはあなたから言っといて。じゃ、寝るわ。おやすみ――」  そのあと槙島スグリは、長いまつげを下まで閉じて。深い息を吐きながら。そのまま眠りに落ちこんでいった。かくんと首が力を失い―― そのままおれの肩に、もたれかかった。
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