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レまむらを出て、国道を戻ったところのコンビニで彼女はアイスを買った。いや。買ったというより、盗った。しかし悪意のある窃盗ではないので、ただ単に商品ケースから「取った」と言うのが近いニュアンスかもしれない。
どこにでもあるローソソというコンビニだ。おれがさっき服を「取って」きたレまむらと同じく、コンビニ店内に人の姿はない。商品棚には最近の商品のラインナップが整然と並んでおり、おれの出身県の学校近くのローソソと比べても品ぞろえに違いはなかった。天井の蛍光灯はすべてしっかりと点灯し、冷蔵ケースのチルド商品などもしっかりと揃っている。
ただひとつ、拭いきれない違和感がある。それはつまり音がないことだ。
コンビニといえば、店内では新商品宣伝やポイントカードのキャンペーンを知らせるやかましいくらいの店内放送が絶対にあるものだ。ところがここではそれがない。無音だ。それでいて整然と商品だけは綺麗にならんだ無人のコンビニ店内は、それを意識して見ると一種の異様さ、怖さのようなものがある気がした。
やはりここは、まともじゃない。
ふと気になって、入口のそばに置かれた新聞に目をやる。新聞の日付けは、七月二十七日――
む… なんだこれは。一日、記憶が飛んでいる?
おれが地元の町にいた最後の記憶―― そこでは二十六日だった。それと今との間には、どうやら24時間ほどのギャップがあるらしい。その間、おれはいったいどこで何をしていたのか。まったく謎だ。すっぽり記憶が抜け落ちている。
まあしかし。そのことよりも、おれにはひとつ―― この新聞に関して、ひどく奇妙に感じたことがある。違和感があった。それはつまり――
おれが手に取ったその新聞が、七月二十七日の日付になっているそのことだ。見たところ、どこにも小さなしわひとつない。真新しいインクのにおいがそのまま香ってきそうだ。ほぼ間違いなく昨夜から未明にかけて印刷され、早朝、この店に届けられた新聞だろう。
もし仮にそうだとすれば。誰かが確実にこの店に来ている。少なくとも誰かがここに新聞を運び入れ、ここのラックに陳列したのだ。
矛盾してないか?
ほぼ二年間、ここで誰にも会っていないという、さっきの彼女の説明とは――
おれはひとつの重大な証拠を見つけた気分で、思わず問いただすような視線を彼女にむけた。彼女はアイス類の入った冷凍ケースのところで、むやみに真剣なまなざしで商品を選んでいる。おれの視線に気づいた彼女は、「ん? どうかしました?」と無邪気に笑って首を左にかたむけた。
「いや… 少し気になるところがあって―― というか、ん??」
おれの目は、新聞1面の隅に釘づけになった。そこに気になる文字が書かれていたからだ。
「朝目新聞」というその新聞自体は、全国どこにでも売っている。ごくありふれたものだ。だが―― その横に書かれた「東讃版」の文字。
とうさん と読むのだろうか。不学なおれには正確に判読できないが。
しかしそれでも。高校地理がそれほど得意でもないおれが見ても、なんとなくピンとくるものはあった。これはたぶん地方名だろう。おそらくたぶん、讃岐地方―― 現在で言うところの香川県の、そこの東部エリアとということではないだろうか。
気になって紙面をひらき、地方版のところを見てみた。おれの読みはやはり当たっていて、そこには「香川県」や「高松市」の文字が数多く踊っている。県庁のある高松市での水不足、給水規制のニュース。それから西部の観音寺市の銀行支店での不祥事、インターハイでの県選手の躍進を伝える記事、そのほか高松郊外の交差点での追突事故のニュースなどが、とても律儀な正確な文体で詳細に書いてある。
「どうしました? なんか面白い記事、あります?」
選び取ったアイスを手に、彼女がそばにやってきた。
「いや。ここ、香川だったんだなと思って。ほらここ、」
地方欄のコラムに書かれた「香川」の文字を指す。
「あ、ほんとですね。すごい。今まで新聞とか、ちゃんと見たことなかったです」
「おい。まじか」
「ん、でもでも。だったら少し納得です」
彼女が清算もしないで(まあレジに人がいないから最初からムリなのだが)アイスの包装を破り、生パインだかの入ったそのアイスの先に「はむっ」とかじりつく。
「なんかふぉら、むかひほはあはんのいまわのわわにいったふょきの」
「おい。食べてから言え。呑み込め。話はそれからだ」
彼女はかじりとったアイスの断片を、なんだかムダに可愛らしい(と、認めざるをえない)動作でのみこみ、こほんと咳払いしてから言った。
「むかしね、香川のお祖母ちゃんの田舎に遊びにいったとき、そこで見てた記憶の風景っていうのかな? 海の感じとか、山の感じがなんか似てるなって。それはちょっと思ってたんですよ。やっぱりここ、香川だったんですね!」
「っておい。今までそれ、気づいてなかったのか?」
「え、だってだって。新聞とか、わざわざ読んだりしないですもん。来てすぐそんなの見ぬいちゃんなんて、なんかすごいです。探偵さんみたい。えっとあなた―― えっと。名前、まだ聞いてませんでしたね?」
ごくごく悪気がない感じでレジカウンターの上に座り(さっきのレまむらといい、これはこの子の癖なのだろうか…?)アイスをかじりながらその子がきいた。くりっとした茶色の目で、なにかまるで楽しいことでもあるみたいにおれの方を見ながら。
「名前… えっと。古瀬(ふるせ)だ」
「ふるせさん。下の名前は?」
「そんなの言ってもしょうがないだろ?」
「え。でもでも。別に言っても困るってものでもないでしょう?」
「…む。まあ、それはな。じゃ、言うけど。卓也(たくや)だ。平凡だろ?」
「たくやさん、ですか。ふるせ、たくやさん。たくやさんたくやさん。いま、ちゃんと覚えました」
「古瀬でいい。そっちのが慣れてる」
「そうですか? じゃ、わかりました。古瀬さん」
その、なんだ。清楚なホワイトのドレスを着た女の子から、こんなに至近で自分の名前を連呼されると、少し照れ臭い気持ちになるのは否定はできない。
「んで、そっちの… 名前は?」
ちょっぴり照れた気まずい感じをごまかすためにあえて聞いてみたが。質問の間合いがなんだか微妙にづれてしまい、かえってむしろ気恥ずかしい。
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