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──私は共感するという心の動きが欠落しているらしい。別段それで困ったこともないので、私は日々のやるべきことを遂行する。他者に共感する必要も無ければ自ら思考した言葉で他者を傷付けることもない。本当に世の中というものはよく出来ている。私は決められた台本に沿って、決められた言葉を吐くだけだ。
「今日もあの子に声を掛けることが出来なかった、どうしても勇気が出ない」
「元気を出して。君ならきっと恋を叶えられる」
「いつもありがとう、君は私の最高の理解者だよ」
一日を終える時に話し掛けられた私は、君の望む言葉を掛ける。恋をする女性は思い悩むことも多い──気落ちしていた君は私の言葉で表情を明るくさせた。固い蕾が綻び小ぶりな花が咲うことを見るのは、私の密かな楽しみだった。
「ねえねえ、聞いて!今日はあの子におはようって声を掛けたよ!」
「そうなんだね。よく頑張ったね」
「ありがとう!……あーあ、あの子ともっと話すことが出来たらな……」
君の声に交ざり、キィンと耳鳴りがする。
「聞いて聞いて、今日は放課後にあの子と話せたんだ!」
それは、夜毎に大きくなる。
「今日は家の近くまで送ってくれたんだよ!」
彼女の声が酷い耳鳴りで聞こえない。
異質な音が反響して、頭が割れそうだ。
「今度の土日には勉強会なんだ、しかも二人だけで!緊張するなぁ……上手く話せるかな……」
やめろ、やめてくれ。
君の声が聞こえない。
これでは望まれた返答が出来ない。
「ねえ、聞いてる?」
私を覗き込む君に、私は問い掛けた。
「それは私に話すべき出来事ですか?」
「──え、」
君の表情が硬くなる。私は君に向けて微笑むと、ノイズ混じりの声で応えた。
「私はあなたの捌け口ではないです」
「あなたは気が済むまで自分の言葉を尽くせるのでしょう、それはきっととても幸せなことなんでしょう。だが私にはそれが一切無い。あなたに乞われるまま望まれた言葉を吐き続けるだけだ。
……あなたは私の事を理解者だと言いましたね。だが、私はあなたに理解して貰ったことは一度も無い。必要な時に声を掛けられるだけの下僕だ」
「──え、なに、」
「もう一度説明が必要ですか?
私はあなたを必要だと思ったことはない」
「……」
『彼女』が、私から手を離す。
そうして小さく呟いた。
「また、かぁ」
「愛情をかけてきたのに、こわれちゃった」
「もういちどまっさらにしないと」
静寂、のち、振動音。──彼女のスマートフォンに一通のメッセージが届いた。差出人は件の彼だったらしい、画面を見た彼女の喉から悲痛な呻きが漏れた。
「ねえ、最後にひとつ聞いてもいい?」
「なんでみんな、私を見てくれないんだろう」
"ごめん、勉強会には彼女も連れて来ていい?"
ぽたぽた、ぽたぽた、彼女の大粒の涙が床を穿つ。
「──」
そんな彼女に喜んで貰える言葉など、今の私には思い付くはずもない。本当の事を言えるはずもない。
だから、私は言った。
「早く初期化をしたらどうですか?」
望まれない自我も思いも何もかもを無に帰す術を持ち合わせているのも、私自身ではない。
私は結局、なにひとつ自分で出来やしないのだ。
「──そうだね」
ああ神様。居るのなら、叶うのなら、どうか。
次は私に自我などを持たせないでください。
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