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異国の夜
入国手続きを終えた旅客が荷物を受け取り、続々と到着フロアへと流れていく。
その流れの中に、一際目を引く彼の姿があった。
一七〇センチほどの華奢な体躯に、肩につくくらいのミディアムウルフの黒い髪は絹のように柔らかく、歩くたびに軽やかに揺れる。
透け感のあるオーバーサイズのチャイナシャツから覗く華奢な首と腕、それからハーフパンツから覗く引き締まった脚には、黒いレースのように繊細な模様の刺青が刻まれていた。
気の強さの窺える琥珀色の瞳と整った顔立ちには、うっすらと長旅の疲れが滲んでいた。
薄い唇を割って小さなため息が漏れる。
「お疲れ様、ユーシー。今度は僕の飛行機で行こうね」
そんな甘やかな労いの声が隣から降ってきて、ユーシーと呼ばれた彼は欠伸を噛み殺しながら、短く返事をした。
「ん」
彼の名は、シャオ・ユーシー。先程、香港からフランスへ到着したところだった。
十三時間ほどのフライトは人生で初めてだった。窓から煌めく街を見下ろすのも初めての経験で、その後に待ち受けていた人生初の諸々の手続きはユーシーをすっかり疲弊させた。
香港で殺し屋をしていたユーシーがここへやってきたのは、仕事などではなく、引越しだった。きっかけとなったのは、彼の隣にいる背の高い男。
灰色がかった焦茶色の髪に、端正な顔立ち。優しげな瞳は美しいアイスブルーで、隣にいるユーシーを映していた。
男の名はルイ。本名はルートヴィヒ・フォン・ルーデンドルフ。フランス育ちのドイツ人。普段名乗っているルイは祖父の名だった。
石油王ルーとして各地を飛び回るルイは香港で地下闘技場にいたユーシーに一目惚れした。ルイは見事ユーシーの心を掴み、色々あったがユーシーを恋人としてここフランスに連れてきたのだった。
人の行き交うコンコースを抜けてターミナルを出ると、外はすっかり夜の帳が降りていた。
吹き抜ける風は涼しく、ユーシーは小さく身体を震わせた。
熱気に満ちた香港に比べると湿度の少ないフランスの夜は涼しい。香港の気候に慣れたユーシーには寒いくらいだった。
両腕で自らを抱くように身を縮めたユーシーの肩に、ルイがジャケットを掛けてくれた。
「ごめん、香港に比べると、少し寒いね」
ルイはこの寒さにも慣れているのだろう。ユーシーにジャケットを掛けても平然としている。
目が合うとそっとユーシーを抱き寄せてくれた。ジャケット越しに伝わってくるルイの温もりが冷えた身体に優しく染み渡る。ユーシーは嬉しくて小さく息を吐く。
「ありがとう」
礼を言うと、ルイは冷えた頬を撫でてくれた。温かな手と微笑みは、疲れたユーシーの胸の奥まで温めてくれるようだった。
「もうすぐ、迎えが来るはずなんだけど」
ルイの視線はタクシーが走ってくるその先に向いて、ユーシーもつられてそちらを見た。
タクシーの後ろから、それはやってきた。
ルイの言っていた迎えは、手入れの行き届いた艶やかな黒い塗装のセダンだった。車は静かに二人の前に停まった。
運転席から降りてきたのは背の高い、全体的に色素の薄い男だった。
歳はルイよりも若そうに見える。
真っ白い肌に、髪は白に近い金髪。細身だが、背丈はルイよりも大きい。彫りの深い端正な顔立ちに、白いまつ毛に縁取られた感情の薄い涼しげな目。ユーシーを映す瞳は、淡いブルーグレーのガラスのようだった。
「お待たせしました」
白いTシャツにデニムというシンプルな格好だというのに少しも野暮ったくないのは、単純にこの男が見目麗しいからだろうとユーシーは思った。
「ユーシー、紹介するよ。彼はアダム。僕の家のことと仕事の手伝いをしてくれてる」
「アダムです。はじめまして、ユーシー」
抑揚の少ない声で、その美しい男はアダムと名乗った。
「初めまして、アダム。ユーシーです」
「貴方のことはルイから聞いています。どうぞよろしく、ユーシー」
「よろしく……」
ユーシーはまた相手を見上げることになって苦笑した。
「さあ、寒いでしょう。荷物は預かりますので、乗っていてください」
アダムがドアを開けてくれた後部座席に乗り込む。隣にはルイが乗った。その間にアダムが荷物を積み込み、アダムの運転で車が走り出す。
見知らぬ土地の夜を、ユーシーは車窓から眺める。空港の近くということもあってか、香港よりもずっと空が広い。街の光は控え目で、香港のネオンを見慣れたユーシーには何もかもが慎ましく見えた。
アダムの運転する車が向かったのは、ルイの家だった。
見えてきたのは塀に囲まれたモダンな建物だった。車が近づくと門が開き、車は敷地内の車庫に入る。車庫はリビングに繋がっていて、車を降りるとガラスの壁があり、すぐにリビングが見えた。
映画で見たような家で、ユーシーは惚けたまま、ルイに促されて車を降りた。
靴を脱いで上がったリビングは信じられないくらい広かった。
「ルイ、荷物は自分でお願いします。ユーシー、部屋に案内しましょう」
「ユーシー、またあとでね」
スーツケースを持ったルイと別れ、ユーシーはアダムに案内されるまま部屋へと向かう。
ユーシーは手ぶらだった。荷物は全部ルイのスーツケースに入っている。
アダムの後を追ってリビングを抜け、階段を登る。こんな豪邸には虎とか豹とかを飼っているのではないかとそわそわしていた。
アダムに連れられて上がった二階の廊下を奥に進んだところにある部屋に案内された。
ドアが少しだけ開いていた。
アダムがドアを開け、明かりをつける。
「あ」
部屋に入ったユーシーは思わず声を上げた。
ホテルのような大きなベッドの上に、グレーの毛並みに黒で豹のような模様が入った尻尾の長い猫がいた。まるで小さな豹のようだった。
ブルーグリーンの美しい目がユーシーを見上げている。
野良猫は香港でも見たことがあったが、こんな綺麗な猫を見るのは初めてだった。
「名前はジェイといいます。仲良くしてください」
アダムはジェイの代弁をするかのようにユーシーに微笑みかけた。
「ジェイはどこでも自由に出入りするので、嫌でしたら自分で外に出してください」
淡々と説明を続けるアダムはベッドからジェイを抱き上げると肩に乗せた。
「ドアくらいなら自由に開けられます。まだ閉めることはできませんが」
「へぇ」
猫に対してそんなに賢い印象を持っていなかった。ユーシーは意外そうにアダムの肩に乗ったジェイを見る。器用にアダムの肩に座ったジェイは澄ました顔でユーシーを見ていた。
「アダムは、ルイの恋人?」
ルイがそばに置いているこの男の素性が気になった。害は無さそうなのに、計り知れない何かを感じる。もっと言えば、自分と同じ匂いを感じた。ユーシーにはまだその理由がわからなかった。
ルイがユーシー以外にも恋人を作っていても不思議ではない。少しだけ胸は痛むが、それはルイの自由だ。ユーシーがとやかく言うことではない。
ユーシーの問いに、アダムは笑い声を上げた。
「はは、私は執事のようなものです。あなたと同じ、元殺し屋ですが」
「殺し屋」
殺し屋と言われてユーシーは少しだけ納得した。アダムの纏う得体の知れない雰囲気の理由がわかって少しだけ安心した。
「昔の話ですよ」
アダムは静かに微笑んだ。
「ルイの恋人は、あなただけですよ、ユーシー。あなたのことは、ルイから聞いています。仲良くしましょう。ユーシー」
「うん、よろしく、アダム」
この物静かな美しい男とは、うまくやっていける気がした。
「今日からここがあなたの部屋です。必要なものがあれば言ってください。今日はもう遅いですから、案内はまた明日。今日はもう寝ますか?」
「うん」
ユーシーは静かに頷いた。疲れていた。長旅の疲れはじわじわと身体に広がっている。もう横になったら動けなくなりそうだ。
「その前に、お風呂はいかがですか。お湯に浸かった方が身体が解れますよ」
アダムが穏やかに笑う。
「長旅は大変だったでしょう。バスルームに案内しますね」
着替えを渡され、アダムに案内されたのは、真っ白で綺麗な、映画に出てきそうなバスルームだった。
白いタイルの床に、真っ白いバスタブには金の足がついている。
「バスタオルは置いてあるものを自由に使ってください。シャンプーもボディーソープも、あるものは自由にしてくれて構いません」
脱衣所のバスケットには丁寧に畳まれたタオルが何枚も入っている。
「ありがとう」
「ごゆっくり」
アダムは柔らかな笑みを残して部屋を出ていった。
ユーシーは空いたバスケットに着替えを入れると、服を脱いだ。真っ白なバスルームは本当に映画の中のようで、ユーシーの疲れた心を癒してくれた。
髪と身体を洗ってから、そっとバスタブに浸かる。
ちょうどいい湯加減のお湯に浸かっていると、心も体も解れるようだった。
飛行機は広い席だったが、すぐ隣にルイがいないので不安だった。ルイが取った席なので良い席なのだろう。寝心地も悪くなかったが、気持ちが昂っていたのか、緊張していたのか、あまり眠ることができなかった。
毛布を一枚余計にもらって、アイマスクと耳栓も貰って、なんとか寝付くことができた。それでも眠りが浅くて何度も目が覚めたし、起きてからもずっと眠かった。時差ボケもあるかもしれない。
そんなユーシーをルイはずっと気にかけてくれた。
ルイの声を思い出して胸が甘く疼いた。ルイは何をしているのだろう。荷解きをしているのだろうか。
ルイに会いたくなって膝を抱える。
そんなユーシーの耳にドアをノックする音が届いた。
「ユーシー?」
ルイの声だった。
「いるよ」
「入っていい?」
「いいよ」
ドアから覗いたのは、見慣れたルイの姿だった。
「ふふ、お疲れ様。湯加減はどう?」
「ちょうどいいよ」
「僕も一緒に入っていい?」
「ん」
ユーシーが頷く。はやく触れ合いたかった。
ルイは手早く服を脱ぐと、髪と身体を洗ってバスタブにその身体を浸し、ユーシーを抱き込んだ。
ルイと一緒にバスタブに浸かるのは新鮮だった。
「ずっと側にいるのに、触れられないから寂しかったんだ」
ルイは思いを真っ直ぐに言葉に乗せるのが上手だ。ユーシーはそれを羨ましく思う。
飛行機の中、ユーシーも同じことを考えていた。すぐそばに気配はあるのに、温もりに触れられないのが寂しかった。ルイも同じように思っていたとわかって安心したし、嬉しかった。
「俺も」
背中でルイが笑った気配がした。
「今夜は一緒にいられるよ。今夜から、ずっとね」
まだ少し信じられなかった。こうやって知らない街でルイと一緒にバスタブに浸かるなんて、少し前の自分には想像できなかった。
「上がったら、僕の部屋に行こう」
「ルイの部屋?」
「そう。僕の部屋。大きなベッドがあるんだ。そこで一緒に寝よう」
今夜は一緒に眠れるのだと思うと嬉しかった。今日はきっと、よく眠れる。
ユーシーはうっすらと赤みの差した頬を緩めた。
寝間着に着替えて案内されたルイのベッドは、ユーシーの部屋のものよりひと回り大きかった。
「でかいベッド」
「僕と君のためのベッドだからね」
ルイはなんだか誇らしげで、ユーシーは思わず笑った。
ルイに抱えられ、そっとシーツの上に降ろされる。おそるおそる寝そべるユーシーの隣に、ルイが寄り添う。
「長旅お疲れ様」
「うん」
ルイの手が、労うように頬を撫でてくれた。手のひらは温かくて、勝手に瞳が蕩けてしまう。
香港から出るのは初めてだった。長い時間飛行機に乗るのも、知らない土地のベッドで眠るのも。
昔味わったどこへ行くかもわからない旅とは、全くの別物だった。少しの寂しさと、溢れて止まらない期待がユーシーの胸を満たしていた。
「ゆっくり休んで」
ルイの甘やかな声は、ユーシーの鼓動を優しく落ち着けていく。
「しねーの?」
「ユーシー、疲れてるだろう?」
ユーシーは首を横に振る。こんなに近くにいるのだから、昨夜の分までもっとたくさん触れてほしかった。
「した方が、すぐ寝られる。触ってよ、ルイ」
「じゃあ、すこしだけ、ね」
ユーシーのおねだりに気をよくしたのか、ルイはアイスブルーの瞳を揺らし、甘い微笑みを浮かべた。
風呂上がりのルイの温かな手が、寝間着の中へ忍び込んでくる。
触れられるだけで、ユーシーの薄い唇からは熱い吐息が漏れた。
身体はすぐに熱くなって、たった一晩触れなかっただけなのにひどく懐かしいような気持ちになる。
脈打つ心臓が溶け出しそうだ。
「ルイ」
「ん、ここにいるよ、ユーシー」
「さわって」
ルイの手のひらは臍の下をくすぐるように撫で回す。触ってほしいのはそこではない。いつもなら、ルイは何も言わなくてもユーシーが欲しい快感を与えてくれるのに、今日は少し様子が違った。
「ふふ、触ってるよ、ユーシー。どこにほしいか教えてくれる?」
ルイの言葉に、ユーシーは答えあぐねる。ルイが求めているのは、直截的な言葉だ。わかっているのに、恥ずかしくてユーシーは口を噤む。
ルイとしていて、わざとそういったことを言わされるようなことは一度もなかった。散々身体を重ねてきたのに、ユーシーはそういう面ではまだ初心だった。
今夜のルイは少し意地悪だと思う。なのに、それに応えたいと思ってしまう。
からからに渇いた喉を唾液で潤して、ユーシーは口を開いた。
「っ、あ、俺の、ペニス、さわっ、て」
あまり口にしないその言葉に、声が尻すぼみになってしまう。
口に出してしまうと、それは甘い興奮に変わり、毒薬のように全身に回って、ユーシーは身体を震わせた。
羞恥がユーシーの肌の温度を上げる。上気した頬は赤みを増して、琥珀色の瞳は溶け出しそうなくらい甘く蕩けた。
「ふふ、いい子だね、ユーシー」
「あ、ぅ」
ルイの声でいい子と言われるのはくすぐったくて、だけど胸が温かくなる。
「意地悪してごめんね。かわいいよ、ユーシー」
ルイはユーシーに甘やかな声を浴びせ、その手は優しくユーシーに触れた。意地悪をした自覚はあるようで、ルイは眉を下げて笑った。
すっかり芯を持った性器がルイの手のひらに包まれる。
待ち望んだ刺激に、ユーシーの腰が跳ねた。
「とろとろだね、気持ちいい?」
ルイの大きな手は緩慢な動きでユーシーの昂りを擦った。
それだけで、ユーシーの身体の芯を甘い痺れが貫いた。
「ふあ、気持ちいい、るい、きもちい」
「ユーシー、たくさん気持ちよくなって」
待ち望んだ快感は、脳髄まで甘く溶かしていく。すっかり熱くなった身体の芯は震えて、ルイに与えられるものを喜び受け入れる。
「っあ、ぅ、るい、で、ちゃ」
腰が勝手に揺れる。はしたないとわかっていても、堪えきれない。
「うん、出していいよ、ユーシー」
「ン、るい、っあ!」
ルイの手の動きに合わせて腰を揺すり、ユーシーはルイの手の中で白濁を放った。
「るい、るい」
ルイに縋り付き、声を震わせるユーシーは、腰を揺らして何度も白濁を吐き出す。
「上手に出せたね。いい子」
ルイの甘やかな声に褒められるのが嬉しくて、ユーシーはその瞳を蜂蜜のように甘く溶かした。
変わらず注がれるルイの愛情にユーシーはその身を委ねる。心地好い吐精の余韻に揺られながら、ユーシーは揺蕩う意識を手放した。
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