冷たい朝

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冷たい朝

 ユーシーが朝の訪れを知ったのは、部屋を包む青白い薄明かりと寒さでだった。  身体が冷えている。肩が冷たい。足先もだ。  寒いのは怖い。死がすぐそばにあるような感覚が、孤独感が膨れ上がる感覚が、ユーシーは苦手だった。  なんとかそれから逃れたくて、ユーシーは手探りでルイを探した。すぐそばにあった温もりに擦り寄ると、包み込むように抱きしめられる。  力強い腕の心地好い温もりに包まれて、冷えた身体にルイの温度が優しく滲んでいく。 「ユーシー」  甘い声に呼ばれる。それが意図したものなのか無意識のものなのかユーシーにはわからない。  それでも、その優しい声はユーシーに安堵を与えてくれる。優しく強い腕の中に収まって、ユーシーの意識は再び溶け出していった。  真っ白い光がユーシーを目覚めへと誘う。拒むように布団に潜るユーシーにちょっかいをかけるのは、猫のジェイだった。  柔らかな手先でユーシーの髪にじゃれつくので、ユーシーはまだ重たい瞼を擦りながら渋々起き上がる。悪戯を仕掛けてきたジェイの姿を探すと、枕元にすました顔で座ってユーシーを見ていた。  もう起き出しているのか、隣にいたはずのルイの姿は見えなかった。  胸に生まれた寂しさを誤魔化すようにユーシーはジェイを抱き上げ、寝間着姿のままキッチンへと向かった。  なんだか身体が熱っぽい。喉の痛みも頭痛もないが、なんだか怠かった。  白を基調としたキッチンには、アダムの姿があった。アイランドキッチンになっていて、ダイニングもリビングも見渡せるようになっている。  白いカットソーにデニムというラフな格好でそこに立っているにもかかわらず、朝の白い光に照らされるアダムの姿は神々しさすら感じる。  キッチンに着くと、ジェイはユーシーの腕を抜け出して床に飛び降りた。ジェイの向かった先、キッチンの隅にはジェイの朝食が用意されていた。 「おはようございます、ユーシー」 「おはよ、アダム」 「よく眠れましたか?」 「うん」  ルイのベッドはホテルのようで気持ちよかった。よく眠れたはずなのに。身体にまとわりつく倦怠感と熱っぽさにユーシーはアダムを見上げる。 「アダム、俺、熱あるかも」  ユーシーの言葉に、アダムは少しだけ目を見開いてその手のひらをユーシーの額に押し当てた。家事をしていた冷たい手のひらが心地好い。 「これは……」  アダムの涼しげな瞳が心配そうにユーシーを覗き込んだ。 「喉は痛く無いですか? 頭痛は?」 「ん、大丈夫」 「それはよかった。でも、ベッドに戻りましょう」  アダムの穏やかな声に促され、ユーシーはベッドルームに連れて行かれた。  自分の部屋として与えられた部屋を見回す。明るいグレーの壁に、シンプルな家具が設えられた部屋。大きな窓からは明るい光が差し込んでいる。  ユーシーが香港で住んでいた部屋とは比べ物にならないくらい綺麗な部屋だった。自分がここで暮らすことになったなんて、まだ信じられないでいた。  ベッドに上がると、アダムが布団をかけてくれた。柔らかくて温かいベッドがユーシーの身体を優しく受け止めてくれる。 「きつそうなら医者を呼びますから、言ってくださいね」  アダムの白い手が優しく頭を撫でてくれた。 「季節の変わり目はいつもこうなるから。寝てたら治るよ」  少し心細かったユーシーは、撫でてくれる優しい手のひらに表情を緩めた。  いつもならジンが小言混じりに世話を焼いてくれるところだが、ここではアダムがそれをしてくれる。もちろんアダムは小言は言わないが。  こんなとき、誰かがいてくれるのは安心する。ユーシーは小さく息を吐いた。  涼しげなアダムの目は慈愛に満ちている。どこかジンを彷彿とさせる涼しげな目に、ユーシーの胸は少しだけざわめいた。 「今日はここでゆっくりしていてください。食事を持ってきます」  アダムは微笑みを残して部屋を出ていった。  夏の終わり、ユーシーは決まって体調を崩す。日記をつけているわけではないが、夏が終わる頃には必ず、だった。香港ではいつも、ジンが世話をしてくれた。ジンが普段より少しだけ優しくなるので悪くないと思っていた。  いつもは一人でも大丈夫なのに、体調を崩すと途端に誰かが恋しくなる。朝からずっと姿を見ていないルイのことを思い出して胸の奥が小さく痛んだ。  きっと仕事をしているのだろう。  天井を眺めてベッドでぼんやりしていると、部屋に足音が近づいてきた。 「ユーシー、食事です」  アダムが持ってきてくれたのは湯気のゆらめくスープボウルだった。覚えのある匂いがして、ユーシーはゆっくりと身体を起こす。 「熱いので、気をつけて」  渡されたトレイに乗ったスープボウルには、温かな中華粥が入っていた。 「初めて作ったのであなたの口に合うかはわかりませんが」 「どうしたの、これ」 「ルイにユーシーの好物だと聞いていたので」  ルイと一緒に行ったシン婆の店を思い出す。ルイはあれを覚えていてくれたのだろうか。  まさか中華粥を作ってもらえるとは思っていなかったユーシーからは自然と笑みが零れる。  アダムが自分のためにわざわざ作ってくれたのが嬉しかった。 「ふふ、嬉しい。ありがとう。アダム」 「こんな時は好きなものを食べて休むに限りますから。飲み物を持ってきます。火傷しないように、ゆっくり食べていてください」  アダムはまたキッチンに戻っていった。  アダムの作った中華粥は美味しかった。シン婆の店で食べたのとは違う味付けだが、鶏の味がしてユーシーの好きな味だった。  食事の後、ユーシーは少し眠った。まだ時差ボケがあるようで、眠かったのですぐに寝ついてしまった。  ユーシーが目を覚ますと、ベッドのそばにはルイがいた。  ソファに座ってラップトップのパソコンをいじる横顔が見えて、ユーシーは思わず名前を呼んだ。 「ルイ」 「おはよう、ユーシー。アダムに聞いたよ。具合はどう?」 「ん、大丈夫そう」  まだ少し重たい瞼を擦ると、ルイの大きな手が髪を撫でてくれた。 「今日は無理しないでゆっくり休んで。僕もここにいるよ」 「仕事は?」  ルイには仕事がある。自分に構ってばかりでいいのだろうかと思うと、ルイは笑って見せた。 「ここでできるから」  ルイの指先がパソコンを撫でる。  美しいアイスブルーは気遣うようにユーシーを映していた。ユーシーはそれが嬉しくてわずかに頬を緩める。  それから、ユーシーはベッドでうとうとしながら、ルイの仕事を眺めた。  時折ルイの大きな手に頭を撫でられるのが心地好かった。  眠っては起きてを繰り返しているうち、いつのまにか昼過ぎになっていた。  目覚めたユーシーはまだぼやけた意識で髪や頬を撫でるルイの手を追う。 「ユーシー、お昼ご飯にするけど、食べられそう?」 「うん」 「持ってくるから、少し待ってて」  ルイが持ってきてくれたのはスープとサンドイッチだった。  焼いた四角い食パンに、ハムとチーズとトマトが挟まっている。スープは温かいトマトベースの野菜のスープだった。  ランチの後、ユーシーはまた少し眠った。  目覚めると、ルイの横顔が見えた。仕事をする真剣な横顔だった。  ユーシーの前ではあまり見せない顔をじっと見つめていると、気付かれてしまった。 「おはよう、ユーシー。退屈じゃない?」 「ん、平気」  よく眠ったせいか、少し身体が楽になった。  ルイの指先が頬をくすぐる。温かい指先にあやすように撫でられるのが好きだった。 「よし、今日はこれで終わり」  ルイは膝に乗せていたパソコンを閉じた。 「ユーシー、ごめんね。無理させちゃったかな」 「そんなんじゃないよ。夏の終わりにはいつもこうなるんだ。寒いの、得意じゃないから」 「そっか。それなら、これからは僕と一緒に寝るから大丈夫だよ」 「ふふ、そうだな」  ルイなら、きっとそう言うと思った。ユーシーは頬を緩めた。  日が暮れるまで、ユーシーはベッドでルイと一緒に他愛無い話をした。この家のこと、ジェイのこと、アダムのこと、それから、この街のこと。  その夜は、ユーシーのベッドで食事をして、ルイと抱き合って眠った。  ルイの腕の中は温かくて、昼間散々眠ったはずなのに、ユーシーの意識はすぐに眠りの底へと攫われていった。  温もりに包まれて目を覚ますのは、なんだかとても幸せだと思った。  ユーシーを包む温もりはルイのものだ。ユーシーよりも逞しい腕が、しっかりとユーシーを捕まえて離さなかった。  目覚めてもルイが隣にいてくれる。  隣にルイがいるとひどく安心する。これからずっとルイがそばにいてくれる。そう思うとなんだか嬉しくてくすぐったかった。  昨日ユーシーにまとわりついていた倦怠感はすっかり消えて、身体はすっかり軽くなった。 「ルイ」  ユーシーが寝起きのぼやけた声で呼ぶと、ルイはすぐに目を覚ました。 「ん、おはよう、ユーシー」 「おはよ」  柔らかな笑みが見えて、頭を撫でられる。ルイに撫でられるのは気持ちよくて、優しい気持ちになる。 「具合はどう?」 「もう大丈夫」 「ふふ、よかった」  甘やかな言葉を交わしていると、静かにドアが開いて、ジェイが入ってきた。  ジェイは枕元に飛び上がると、不思議そうに二人を見下ろす。 「そろそろ起きる時間だ」  ユーシーは手を伸ばしてジェイの頭を撫でる。柔らかな毛並みは、撫でているユーシーに幸せな気持ちをもたらしてくれる。 「ふふ、そうだね。お兄ちゃんが起こしにきた」 「お兄ちゃん?」  不思議そうにルイを見ると、ルイが微笑む。 「ジェイは自分がお兄ちゃんだと思ってるみたい」  ユーシーが視線をジェイに戻すと、ジェイは枕の上に座ってすました顔をしている。 「いいよ。弟役は慣れてる」  香港では、ジンが兄のような存在だった。そして、ここではどうやらジェイがその役のようだった。 「ジェイは、ジンよりかわいいし」  ユーシーがジェイの喉を撫でると、ジェイはゴロゴロと喉を鳴らした。  ルイとともに起き出したユーシーは、ジェイを抱えてキッチンに行くと真っ先にアダムに礼を言った。 「アダム、ありがとう」 「元気になったようでよかったです。朝食は食べられそうですか」 「うん」  アダムが微笑む。  三人揃って席について食事をする。ジェイも一緒だ。 「家の案内がまだでしたね。食事が終わったらしましょうか」 「うん」 「それから、街を見に行きたければ、案内しますよ」  ユーシーはちらりとルイを見てからアダムを見た。勝手に表に出ても大丈夫なのかと思ったからだ。 「行っておいで」  ルイは穏やかに微笑む。 「困ったことがあったら、アダムに言ってね」 「ん、わかった」 「サボってた分の仕事をしないといけないから暫く忙しいけど、夜は一緒に過ごそう」  香港にいる間、ルイは結構な頻度で構ってくれた。やっぱりさぼってたのかとユーシーは表情を緩めた。  朝食の後、ユーシーはアダムと片付けを一緒にして、家の案内をしてもらった。  家の作りはだいたい把握した。ユーシーが香港で住んでいた家に比べたら随分と大きな家だった。二階にはルイの部屋とユーシーの部屋、ルイの仕事部屋と、他に空き部屋が二つとトイレ。一階にはバスルームとトイレと、アダムの部屋、キッチンとダイニングとリビングと、ピアノのある部屋、それからガレージだ。  明るくて広い家は、ユーシーの知らない世界だった。  広いリビングには、ソファがある。ユーシーとルイとアダムと、ジェイが座ってもまだ余裕がある。案内が終わってリビングに戻ってきたユーシーとアダムはソファに座った。 「ルイの仕事が落ち着いたら、映画でも見ましょうか。ユーシーは映画は観ますか」 「うん」 「それならよかった。ルイも喜びます」  映画鑑賞は、ユーシーの数少ない趣味の一つだ。香港にいた時は小さなスマートフォンの画面で観ることの方が多かったが、ここでは大きなテレビの画面で観られるようだった。  いつも、映画を見るのはひとりの時だった。誰かと映画を観るなんて、時々ジンが一緒に観てくれた以外に経験はない。 「三人で観ましょうか」 「うん」  ここでの楽しみがひとつできて、ユーシーは胸が温かくなった。  案内が終わった後、ユーシーは大事をとってリビングでのんびりと過ごした。  ジェイと一緒にリビングのソファで眠って、陽がだいぶ傾いてきた頃。 「ユーシー」  心地好い微睡みから呼び戻す穏やかな声がした。瞼を持ち上げる。一緒に眠っていたジェイは、どこかへ行ってしまったようだった。代わりに、毛布がかけられていた。きっとアダムがしてくれたのだろう。 「アダム……おはよ」 「よく眠れましたか」 「うん」  ユーシーが身体を起こす。ソファですっかり眠ってしまっていたようだった。 「行きましょうか。晩御飯の買い出しもしないといけないので」  ユーシーがソファから立ち上がる。リビングから見える窓の外は、もう夕暮れが近いようだった。  アダムは徒歩で街を案内してくれた。  ルイの家を出てしばらくは、住宅街だった。出歩く人は疎らで、静かな街だった。 「徒歩で大丈夫でしたか? 車だと思うように動けないことがあるので」  街を歩きながら、アダムは申し訳なさそうに言った。 「いいよ、歩くのは好きだから」  香港でもそうだったし、歩くのは苦にならない。どちらかといえば好きな方だった。 「私もです」  アダムが微笑む。 「静かな街だね」 「この辺りは少し静かなんです」  フランスの街を、ユーシーは映像でしか知らない。  こうやって街の風を、光を、匂いを感じることになるなんて思ったこともなかった。  ついこの間まで、香港から出るところなんて想像したこともなかった。  じっとりと絡みつくような湿度はなく、ユーシーには少し肌寒く感じた。  香港の街とは違う雰囲気の街並みは、古いのに、綺麗で、行き交う人々もなんだか上品な気がするから不思議だ。  裏街のような猥雑さはなく、静かでそれでも賑わいはあって。ユーシーはこの雰囲気が好きだと思った。  そんなユーシーとアダムの元に歩いてくる人影があった。 「よおアダム。なんだ? 新しいご主人様か?」  声をかけてきたのは、白人の男だった。フランス人だろうか。話すのはフランス語のようで、ユーシーには男の話す内容がわからなかった。 「久しぶりですね、テオ」  アダムが話すのもフランス語だ。なにを言ったのかわからなかったが、アダムの纏う空気が鋭くなったのがわかった。 「お、上玉だな」  男の手がユーシーに触れるより早く、ユーシーが反応するより早く、アダムの手が男の手を捻り上げた。 「相変わらず手癖が悪いですね。そろそろ切り落としましょうか」 「悪かったよ。勘弁してくれ」  アダムの動きは速くて見えなかった。  元殺し屋、というのは冗談ではなかったようだ。 しかも、動きがいい。ユーシーとは、基本的な素養が違うように思えた。  アダムとまともにやりあうことになれば、まず勝てないだろう。  退散していく男の後ろ姿を眺めながら、ユーシーはそんなことを考えた。 「知り合い?」 「古い馴染みですよ。気を悪くさせていたらすみません」  アダムは申し訳なさそうに眉を下げた。  香港にいた頃に比べたら、それほど気にならなかった。ユーシーは身体も小さく細いせいか、よく絡まれていた。 「大丈夫」  それから、商店のある通りを歩いた。所謂マルシェというやつだった。果物に野菜、海産物にチーズもある。 「本当は午前に来るといいんですが」 「そうなの?」 「この時間だと売れてしまっているものもあるので。今度は昼前に来ましょう」 「うん」  香港の市場とは違うが、見ているだけで楽しかった。アダムと並んで歩くうち、果物屋の前に差し掛かるとアダムが足を止めた。 「ユーシーは、好きな果物は?」 「桃が好き」 「じゃあ、買って帰りましょうか」  アダムは桃を買ってくれた。ユーシーの手のひらくらいの大きさの桃は、豊かな香りを放っている。こちらにも桃があるのかとユーシーは意外に思った。  その後も、アダムと一緒に市場を見て回った。 「楽しそうな街だね」 「それならよかった」 「でも、フランス語はわからない」  ユーシーがジンに教わったのは英語だけで、フランス語はちょっとした挨拶くらいしかわらない。 「じゃあ一緒に勉強しましょうか」  アダムの声は穏やかだった。一人でするよりも励みになるのでありがたいと思う。アダムはジンよりも優しく教えてくれる気がした。 「ユーシーは、広東語と英語が使えるとました」 「うん。アダムはあと何語が使えるの?」 「チェコ語と、少しですが、ドイツ語とロシア語。それからスペイン語も少しだけ」 「すごいな」 「仕事の関係で」 「アダムは、どこの生まれなの」 「よくわからないんです。孤児だったもので」  アダムのグレーの美しい瞳が、遠くを眺める。西陽を受けてちらちらときらめく様を、ユーシーは綺麗だと思った。 「そうなんだ。俺も、似たような感じ」 「ふふ、私たちは、似たもの同士ですね。仲良くしましょう」  アダムの笑みを見て、アダムとならきっとうまくやっていけると思った。  誰かと暮らすのは初めてだった。ルイと、アダムと、それからジェイ。三人と一匹の暮らしはきっと楽しいものになるだろうとユーシーは思う。  その後もユーシーはアダムと並んで市場を眺めて歩いた。アダムは時々ハムや野菜や果物を買った。ユーシーはそれを眺めるだけだった。 「ユーシーはあまり欲しいものは無いんですか」 「ん、うん」  ユーシーは物欲が薄かった。服は着られたらよかったし、食事も腹が膨れたらよかった。家は雨風が凌げて寒くなければよかった。 「そうですか」 「だめ?」  それについて、ジンから何か言われたことはなかったのでユーシーは少し驚いていた。 「慎ましいのは良いことですよ。ジェイにも見習ってもらわないと」 「ジェイ?」 「帰る頃には夕飯を寄越せと喚いているでしょうね」  アダムは肩を竦めてみせた。 「じゃあ早く帰らないと」  可愛らしい兄貴分が腹を空かせているのかと思うと少しかわいそうに思えた。 「その前に、夕飯の買い物をしないと、今晩は皆でオートミールを啜ることになりますよ」 「ふふ、それはやだな」  ユーシーは苦笑した。オートミールは食べたことはないが、どういうものかくらい知識はある。 「ユーシー、好きな食べ物はありますか。桃以外で」  そう言われて、思いつくのは一つだけだった。 「フライドチキン」  ユーシーの好物だ。 「じゃあ、買って帰りましょうか」 「あるの?」  まさか買ってもらえるとは思っていなかったユーシーは、思わず声を上げていた。 「ええ」  変わらず穏やかな笑みを浮かべるアダムについていくと、フライドチキンを売っている店があった。アダムはそこで三人分買ってくれた。  アダムの案内で買い物を終えて帰宅すると、アダムの足元にジェイが絡みついてきた。長い尻尾を絡めるようにして、ジェイは可愛らしい声で鳴いてブルーグリーンの美しい瞳でアダムを見上げる。 「言ったでしょう?」  アダムの脚に頭を擦り付けるジェイを抱き上げてアダムが苦笑した。  夕食はアダムが作ってくれた。ユーシーはその隣で手伝いをした。アダムは手際が良かった。ユーシーの手伝いなんてなくても良さそうだったが、アダムと一緒に食事の支度をするのは楽しかった。  それから三人と一匹で揃って食事をした。食事が終わると、まだ仕事が残っているようでルイは再び仕事部屋に戻っていった。  アダムとテレビを見て、アダムが淹れてくれたお茶を飲んで、シャワーを浴びた後ベッドルームに戻った。  ユーシーがベッドに寝そべってうとうとしていると、ドアがノックされた。  微睡に引き込まれかけた意識が戻ってくる。 「どうぞ」 「ユーシー、ほったらかしにしてごめんね」  甘い声がして声がして、ドアの向こうからルイが顔を覗かせた。 「会いたかったぁ」  ベッドに駆け寄ってきたルイが、寝そべるユーシーに抱きついた。力一杯抱きしめられて、頬擦りされる。まるで大きな犬だ。ルイの灰色がかった茶色の毛先がユーシーの頬を撫でるのがくすぐったくて、ユーシーはくすくすと笑う。 「おいで。僕のベッドに行こう」  ルイの大きな手のひらは温かい。髪を梳いて頭を撫でられると、また意識が溶け出しそうになる。 「るい」 「眠い?」  微睡に落ちかけたユーシーの顔中にキスが落とされる。眠いけれど、まだ眠りたくなかった。 「ん、ふふ」 「ユーシー、今夜はたくさんしよう」  降ってきた甘い声は、ユーシーが待ち望んだものだった。ルイからの誘いの言葉に、ユーシーは腕を伸ばして応える。 「うん」  ユーシーの身体は優しく抱え上げられ、ルイの部屋へと連れて行かれた。  ユーシーが降ろされたのは、ベッドではなくルイの部屋のバスルームだった。  ルイの部屋にはトイレ付きのバスルームがあった。ユーシーの部屋にはないものだ。ルイだけずるいと思うが、きっと忙しいルイのためのものなのだろう。  ユーシーは腹の中を洗浄するとローションを仕込まれて、またルイに抱えられてベッドへ戻る。  一糸纏わぬ姿でふかふかのベッドに下ろされたユーシーは、もう支度だけで蕩けていた。一晩お預けされただけなのに、身体の方はすっかり腹を空かせて、ルイから与えられる快感を求めていた。 「ユーシー」  甘えるような声とともに、ルイが覆い被さる。  ルイも裸だ。ユーシーの視界を埋め尽くして、ユーシーはルイの身体とベッドの間に閉じ込められる。  こうやってルイの下に閉じ込められて愛されるのは好きだった。愛情と征服を肌で感じて、身体の芯まで教え込まれるような感覚。被虐に似た、それでいてずっと甘やかな感覚だった。 「ん、ルイ」  ルイの唇は、ユーシーの喜ぶところにばかり触れる。皮膚の薄い場所に、ルイの柔らかな唇が触れるたび、ユーシーの唇からは熱い吐息とともに甘く溶けた声が漏れた。  昂る身体には、柔らかな刺激は毒のように染み渡っていく。ユーシーの身体はすでにすっかり反応してしまって、花芯ははしたなく蜜を零していた。 「っあ」  はっきりと芯を持ったルイの屹立が、すっかり勃ち上がったユーシーに擦り付けられる。  溢れたカウパーを潤滑剤代わりに、裏筋同士を擦りつけられると、うっすら開いた薄い唇からは甘やかな声が漏れた。 「あ……」  熱く硬くなったルイのものに擦られて生まれる快感に、ユーシーの顔が蕩ける。 「気持ちいい?」 「ん」  決定的な刺激にならずもどかしいのに、それが余計に身体を昂らせた。 「僕も、気持ちいいよ」  ぬるぬると裏筋が擦れ合う度、ユーシーの先端の裂け目からは透明な蜜が溢れ、薄い腹に滴り落ちる。 「ッあ、るい」  ユーシーの甘やかな声が、静かな部屋に響く。ルイはじっくりと、ユーシーから快感を引き出していく。 「るい、なか、して」  前ばかり刺激されて、ユーシーの腹の奥は物欲しげに戦慄く。早く、奥まで擦って欲しかった。 「いいよ」  ルイの声は穏やかなのに、すっかり情欲に染まっている。求めているのが自分だけではないとわかって、ユーシーは安堵とともにまた腹の奥が疼くのを感じた。  ルイは身体を起こすと、投げ出されたユーシーの脚を、ルイがそっと持ち上げ、大きく開いた。  物欲しげにひくつく解れた窄まりへ、ルイがその怒張を埋めていく。  中を押し拡げながら、ルイの熱い猛りがゆっくりと肉洞を進む。  すっかり蕩けた顔を惜しげもなく晒して、ユーシーは甘ったるい声を上げる。 「っあ、るい」  だらしなく開いた口からは唾液が溢れ、顎までを汚していた。 「ユーシー、気持ちいい?」 「ん」 「ふふ、よかった」  ルイは殊更ゆっくりと奥を目指す。時々戻ってしこりを押し込んで、また奥へを繰り返す。  ルイの動きに合わせて、腹の中から熱とともに生まれる快感が緩い波のように押し寄せる。  それは優しいのに簡単にユーシーを攫って、ユーシーはたちまち溺れそうになる。 「ルイ」  ユーシーは縋るようにルイを見上げる。 「ふふ、かわいいよ、ユーシー」  優しい低音で甘やかに紡がれる愛の言葉は、ユーシーの鼓膜を優しく揺らし、身体の奥の熱を膨れ上がらせた。 「るい」 「そろそろ、奥にほしい?」  ルイのお伺いに、ユーシーは頷く。欲しくてしかたなかった。さっきから腹の奥がせつなく戦慄いていた。  中を埋める熱をずるりと引き抜かれ、身体を折り曲げられ、脚を開かれる。  恥ずかしい格好なのに、この後に訪れる嵐のような快感を知るユーシーはもうそのことしか考えられない。  ルイを見上げる潤んだ瞳は、蜂蜜のように溶け出しそうだった。  ひくつく蕾に、ルイの猛りが押し当てられ、ユーシーは息を呑んだ。  ゆっくりと押し込まれたルイの熱が、ユーシーの奥の襞にキスをする。 それだけでユーシーの唇からは熱い息が漏れた。 「るい」 「ふふ、いっぱい甘えてくれて嬉しい」  ルイが吸い付く襞を捏ねるように腰を回す。 「ふ、あ」  痛みはなく、快感を生むばかりのユーシーの身体は期待ばかりを募らせた。  物欲しげにルイに吸い付き、奥へと誘い込む。 ルイは小刻みに優しく、襞を叩く。押し付けては離れ、翻弄されるユーシーの奥の窄まり。 「ルイ、ルイ」  ユーシーが甘えるように呼ぶと、ルイは一際強く腰を打ちつけた。  ユーシーが喉を引き攣らせる。  最奥が陥落した。  腹が熱く濡れたが、気にする余裕もない。意識は白く弾けて、考えることもままならない。溢れた涙が眦を熱く濡らす。  息がしたくて口を開けても、上手く息ができない。  奥まで深々とルイに貫かれている。脚が勝手に跳ねて、ユーシーの最奥は喜ぶようにルイにしゃぶりつく。 「あ、う」  喘ぎとも呻きともつかない声がユーシーの唇から零れる。 「っ、ふ、ユーシー、なか、気持ちいいよ」  何かを堪えるようなルイの声が聞こえて、ユーシーは表情を甘く溶かした。  腹の中にあるルイの形がはっきりわかる。  ずっと、中でいっているみたいだった。熱くてせつなくて、もっと擦って、ぐちゃぐちゃにしてほしい。 「るい、もっと」  想いはたくさん溢れるのに、快感に浸された身体では震える唇で、そう告げるのが精一杯だった。  ユーシーのおねだりにルイは笑みで応えると、柔い肉壁を小刻みに突いた。  最奥を捏ねられ、はらわたごと捏ね回されるような感覚に、ユーシーはその細い身体を捩る。  中が歓喜にうねっている。ルイを抱きしめ、吐精を誘う。 「いい子だね、ユーシー。もっと、よくしてあげる」  ルイのストロークが大きくなった。ルイの張り出した部分が襞を嬲るように出入りする。 「っひ、あ、ぁ」  ユーシーの口から掠れた嬌声が上がる。神経を灼くような快感に、勝手に背がしなる。腹に熱い飛沫が散り、薄い腹がひくつく。 「んう、るい」 「ふ、いきそう。出してもいい?」 「ん、だして」  奥に放たれる熱を思って、ユーシーの瞳が欲情を映してとろける。  蜂蜜のように甘やかに濡れた瞳を映すのは、劣情に濡れた、溶け落ちそうなアイスブルーだ。  ユーシーの心臓が跳ねる。ただでさえうるさい鼓動が、また早まる。  ルイの熱に、浅瀬から最奥まで、体重をかけて掘削するように蹂躙される。  獣のように交わる二人は口数少なく、荒い呼吸だけを響かせて、間もなくやってくる頂へと向かう。  つながる場所は泡立って、卑猥な水音を響かせるばかりだ。 「ルイ」  ユーシーの震える唇から上擦った声が漏れた。それがなんの合図か、ルイはわかっているようだった。 「いくよ、ユーシー」  吸い付く奥に誘われるまま、ルイが最奥で熱い白濁を吐き出す。放たれた熱の奔流に、ユーシーの中は歓喜するように戦慄いた。  しゃぶりつく粘膜に、何度も浴びせられる熱。  頭の芯まで白く染められて、ユーシーはまた眦を濡らした。 「るい、きもちい」  ルイが与えてくれるのは、極上の快感だ。それは甘くユーシーを溶かして、深くまで染み渡っていく。 「ルイ、すき」  身体の芯までルイの愛情に浸され、すっかり蕩けた声で、ユーシーはルイに愛しさを伝える。 「僕も、好きだよ、ユーシー」  ルイの甘い囁きにふやけたユーシーは、溶け出す意識を止めることはできなかった。
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