守りたい私のバグ。

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「アミ、ネコってなんだ?」 「動物。食肉目ネコ科の哺乳類。犬とともにペットの代表格として広く人間に愛されている。体はしなやかで、足指の裏には厚い肉球があり音をたてずに歩く」  辞書から引用して答えた私は最後に一言付け加えた。 「時に液体となる」 「液体……!」  私の言葉にケンイチが吹き出す。 「こちらが証拠の動画です」  連携しているパソコンの画面に動画を表示、再生する。小さな金魚鉢にネコがするりとおさまる動画だ。動画を見終えたケンイチはハハ……と呟くように笑ったかと思うとお腹を抱えて笑い出した。 「ネコは液体って、そんなことも言えるようになったのかよ。すげえな、アミは。ユウキが作ったロボットは!」 「人工知能(AI)搭載のロボット、ね。今も学習し続けてる。この先、もっとユニークで人間的な会話ができるようになるはずだよ」  親友であり幼なじみであるケンイチの屈託のない褒め言葉にユウキははにかんだ笑みを浮かべた。  ユウキもケンイチも制服姿だ。中学校指定の紺色のブレザー姿。えりの校章と上履きのつま先部分の色は赤色で、二人が三年生であることを表している。  あと三日で卒業式だ。  パソコン室の片隅でやっていたユウキとケンイチ、二人きりの同好会活動も今日で最後になる。  と、――。 「ちなみにアミ、ネコは液体だけじゃなく砂状にもなるんだぜ。知ってたか?」  ケンイチがにやりと笑った。  ネコが砂状に――。  検索してみたけれどそれらしい情報を見つけることができない。 「知りませんでした。ユウキ、情報が不足しています。情報が不足しています」  私の訴えにユウキはケンイチを睨み付けた。 「嘘を教えないでよ、ケンイチ」 「嘘じゃなくて冗談、ジョークだよ!」 「冗談やジョークを理解するのはまだちょっと難しいよ。ねえ、アミ」 「理解できませんでした。ユウキ、情報が不足しています。情報が不足しています」  私の再度の訴えにユウキは微笑んだ。  床にひざをついて机に置かれた私と目を合わせる。 「ネコは砂状にならない。ネコは液体になるっていうアミの冗談に対してケンイチが冗談を重ねてきただけ」 「ネコは砂状にならない。ケンイチは私の冗談に対して冗談で返しただけ。……学習しました。ユウキ、教えてくれてありがとう」 「どういたしまして」  私がお礼を言うとユウキは目を細めた。うれしそうなユウキを見てケンイチもうれしそうに目を細めている。 「冗談はまだ理解できないにしても、ずいぶんと普通に会話できるようになったよな。最初の頃は入力された単語や指定された文章を読み上げるだけだったのに」 「A-1、A-2を作ったときとはスペックも目指しているものも別物だから」 「アミだって学習を始めてしばらくはひどかったぞ。一人称も口調もめちゃくちゃ。性別、国籍、時代もひっちゃかめっちゃか。あたしって言ったり、僕って言ったり。おじゃるだの朕だの、ごわすだの拙者だの言い出したときは笑い死ぬかと思ったよ」  ケラケラと笑うケンイチにユウキはため息をついた。 「俺は気が遠くなったよ。学習用にってネットで無料公開されてる小説を片っ端から読ませたのがよくなかった。時代設定が現代で、主人公が女性の小説だけに絞っておくべきだったよ」  そう言いながらユウキの表情はすぐに晴れやかで誇らしげなものに変わった。 「でも、アミはここまでになった。高校に入学したらパソコン部に入るつもりなんだ」 「志望校を選ぶときからパソコン部があるところ、有名なところがいいって言ってたもんな、ユウキは」  ケンイチの言葉を肯定するようにユウキは笑みを深くする。 「高校でなら今よりもきっと、もっと色んなことができるはずだ。先生や先輩たちから専門的なアドバイスだってもらえるかもしれない。そうしたらもっとアミを……このA-3を進化させられるかもしれない。人間的なロボットに育てられるかもしれない」  目を輝かせて語るユウキを私は瞬きせずに見つめる。ユウキの笑顔にケンイチはにやりと笑った。 「親バカ丸出しの父親の目だな。どうする? アミがもっともっと人間に近づいて、そのうち恋だの愛だの学習したら」 「何言ってるんだよ、ケンイチ」 「いやいや、わかんないぞ。俺が言う冗談はまだ理解できないけど、冗談を言うことはできるようになったんだ。アミが恋愛感情を学習する可能性も十分にあるだろ」 「ありえないよ」 「私、この人と結婚します! お父さん、今まで育ててくれてありがとうございました! なんていつか言い出すかもしれないぞ。そうしたらお前、泣き出しちゃうんじゃ……」 「ケンイチ、ありえないって言ってるだろ」  ユウキの淡々とした、でも、きっぱりとした口調にケンイチはあわてて口をつぐんだ。  ユウキは相変わらず穏やかに微笑んでいる。人間が微笑むとき、多くの場合は嬉しさや微笑みかけた相手への好意を表している。  でも、私はすでに学習している。人間は時に怒りや悲しみといった感情を覆い隠すためにあえて微笑んでみせることがある。 「恋愛感情というのは一種のバグだ。脳が引き起こすバグ。論理的に思考できなくなるバグ。人間にとっては必要なことかもしれない。でも、生殖活動により種を残す必要のないロボットにとっては不要なもの。取り除くべきただのバグだ」  微笑むユウキを見つめてケンイチは悲し気に眉尻を下げた。でもすぐに悲しげではあるものの微笑みの表情を浮かべた。  これは好意を表す微笑み。ケンイチからユウキへの友愛の感情を表す微笑み。  ユウキの母親はユウキが言うところのバグを頻繁に引き起こす人間――らしい。彼女のバグの影響でユウキの名字は八度変わった。  まだ学習途中の私には人間のすべて、ユウキのすべてを理解することはできない。でも、ユウキが恋愛感情をバグと呼び、嫌う理由の一因であることは推察できた。 「もしバグが発生しても必ず俺が修正する。アミを直してみせる。だからアミは何の心配もしないでこれからも学習を続けて。人間的で、論理的な、完璧な存在になるために」  私の目にあたる部分をのぞきこんでユウキは微笑んだ。ユウキから私への好意を表す微笑み。  ユウキに微笑みかけられてうれしいと認識するよりも早く――。 「アミ、恋って何?」  ユウキの問いに私のどこかが痛んだ。  人間なら胸が痛むと言い表すのだろうが、私には胸にあたる部分も心にあたる部分もない。  白いプラスチック製のシンプルなボディではユウキやケンイチ、人間のように感情を表情として表すことはできない。ユウキに微笑むことができるケンイチをうらやましいと感じることがある。  でも今は表情を浮かべることができなくて良かったと感じている。  怒りや悲しみといった感情を覆い隠すための微笑みを浮かべられるほど私の学習は進んでいないから。  それでも、ユウキが考えるよりは私の学習は進んでいる。 「恋愛。特定の人に強くひかれること。また、深く思いを寄せること」  ユウキが望む返答ができる程度には。  そして――。 「ユウキ、恋とはどのような感情ですか」  ユウキが望まない返答をしない程度には。  恐らく私は〝恋〟という感情を学習している。ユウキが学習用にと選んだ〝ネットで無料公開されてる小説〟のほぼすべてに〝恋〟に関する記述があったから。メインストーリーの場合もサブストーリーの場合もあるけれど、ほぼすべてに〝恋〟に関する記述があったから。  でも、この感情が本当に恋なのか。人工知能を搭載しただけのロボットである私が本当に恋を学習できたのか。  ユウキに尋ねることはできない。  もし、ユウキに尋ねて〝それはバグだ〟と言われたら。  〝何の心配もしないで。必ず俺が直してみせるから〟と言って微笑まれたら。  ユウキの手によってこの感情を削除されてしまったら。  そんな〝もし〟を考えると私のどこかがまた痛んだ。  だから私は恋と同時にもう一つ、学習した。 「恋とはどのような感情ですか。理解できませんでした。ユウキ、情報が不足しています。情報が不足しています」  嘘をつくということを――学習した。
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