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─1─
「ねえ、どうして松山さんっていつも右手に手袋履いてる思う?」
「傷があって、見せるのが恥ずかしいって聞いたことあるけど」
「そうなの? なんかさ、松山さんって影があって、セクシーよね」
「わかる! よく見るとさ、背も高くて顔もかっこいいし、余計なことは話さないし、仕事は淡々とこなすし、ハイスペックだよね。三十五歳なのに、なんで独身なんだろ」
「前、松山さんって営業にいたでしょ? その時結構人気だったみたいよ」
「それ納得だわ」
「おい! お前ら話ばっかりしてないで、手を動かせ!」
「はーい」
いつものように、主任が吠える。
それにしても丸聞こえだ。悪い話ではないからまだいいが、俺に聞こえないように話してほしい。
彼女らは俺を知らないからそんな風に言うんだ。俺の本当の姿を知れば、みんな離れていく……。
「お先に失礼します」
今日は久しぶりに定時に帰れたし、ビールでも買って帰るとするか。
最近、職場近くに引っ越すことができ、満員電車に乗ることも無くなり、歩いて通勤できるようになった。これによって五割ほどのストレスが緩和された。
今までは、ストレス解消のために毎晩飲んていたビールも、週一回ぐらいの頻度に減った。おかげで体重も落ち、見た目でも気づかれるほどに痩せることができた。
「いらっしゃいませ」
いつも寄るコンビニで、ビールと水、カップラーメンをかごに入れ、欲しかった雑誌を手に取った。
すると、レジカウンターの方から野太い声が聞こえてきた。
「おい、お前! 俺がいつものと言ったらいつものだろうが! 俺がどれだけここでタバコ買ってると思ってんだよ! ふざけんなよ!」
俺はその場にかごを置き、様子を見にレジカウンターの近くまで行った。
商品棚に隠れ、覗くと、そこには、赤いジャージの上下を着た、体格のいい男性が立っていた。店員はその赤ジャージ男に胸ぐらを掴まれている。
「すみません、僕、この時間初めてでわからなくて……」
「そんなの俺にはかんけーねーよ!」
赤ジャージ男は、掴んている胸ぐらを、更にきつく掴み、持ち上げた。今にも殴りかかりそうな勢いだ。
他に店員はいないのか?
店内を見渡してもいる気配がない。いたとしても、隠れている可能性はあるが……。
「すみません……すみません」
理不尽だ。この世の中、理不尽が多すぎる。俺のこの『力』だって、勝手に……。欲しいなど言っていないのに、いつの間にか……。
彼だって、ただ働いているだけではないか。どうせ、赤ジャージ男は自分より弱そうな人にしか強く出ることができないんだ。
考えれば考える程、腹が立ってきた。何もしていない彼が殴られるようなことがあってはいけない。
俺はこういう時の為に、力をコントロールする練習を積み重ねてきたじゃないか。どうしても、人を助ける力に変えたくて……。
勇気を出せ、ここで使わずいつ使うんだ──。
「ちょっと、そこのお兄さん……」
そう言うと俺は、赤ジャージ男の肩にそっと手を置いた……。
その男は、膝から崩れ落ちるように倒れた。俺は、頭を打たないよう、抱え、床にそっと置いた。
「え……」
目の前にいた、色白で、小柄な、かわいらしい男性店員は、唖然とした表情で、口を開けている。
「大丈夫ですか? とりあえず、救急車を呼んだ方がよさそうですよ」
俺は、すぐにその場を立ち去ろうとしたが、かごに商品が入れっぱなしだったのを思い出し、取りにいく。そして、カウンターに置いた。
「これ欲しいんですけど」
目の前の男性は、俺を不思議そうな顔で見つめながら「は、はい。ありがとうございます」と言い、会計をはじめた。男性は丁寧に作業を進めていたが、突然手を止めた。
「あのう……。あなたもしかして……」
男性の話を最後まで聞くのが怖くなり、お金を置き、すぐにその場を立ち去った。
「いいんだ、これで。男性は、殴られずに済んだし、俺は間違ったことはしていない。大丈夫だ」そう、必死に自分に言い聞かせ、足早に店内から出た。
「すみません!」
店員が店を飛び出し、俺に声を掛けてきた。
「お兄さん……ありがとうございました。かっこよかったです」
小柄でかわいらしい男性店員は、弱々しく穏やかな笑顔で頭を下げた。
「い、いえ。いいんです」
お礼を言われ、少しほっとし、その場から立ち去ろうとしたときだった。かわいらしい男性店員が思いもよらない言葉を口にした。
「お兄さん、僕と一緒ですね……」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。その言葉の真意を理解できず動揺し、鼓動が一気に早くなる。なんて返事をするのが正解なのか、口籠り、明らかに狼狽する。
そんな俺を見て、また男性店員は穏やかに微笑んだ。
「大丈夫ですよ。誰にも言いませんし、僕も初めて同じ人に会えて嬉しいんです。少しここで待っていてもらえませんか?」
「は、はい」
咄嗟にそう答えてしまった。
男性店員は、俺の答えに気を良くしたのか、笑顔で一礼し、踵を返し戻っていった。
──情けない。何も悪い事などしていないのだから、どっしりと構えていればよかったじゃないか。それをなぜ、あんなにも動揺したんだ。
うまくいったじゃないか……。大丈夫だ、俺は誰も殺していない。
俺は、中学一年の春……夢を見た。何十年経った今でも、鮮明に覚えている、不思議な夢。
夢の中で俺は、真っ白で何もない、広々とした空間に佇んでいた。
目の前には、白いワンピースの服を着た女性が立っていた。色が白く、痩せ細っていたが、目元が優しい美しい女性だった。
二人は何も言葉を交わさず、女性は俺の胸に手を当てた。すると、今でもその眩しさを思い出せるほど、金色に燦然と輝いた。
しかし、その光は、俺の体に吸収されるように一瞬で消え、何故か俺は目の前の女性の肩に手を置いたのだ。その手は火傷しそうなほど熱くなり、その熱が女性の体の中に入っていく感覚があった。
熱が俺から消えた瞬間、女性は倒れ、動かなくなった。
そこで目が覚めた。
目が冷めてからも、不思議な夢を忘れられることができず、朝からぼうっとそのことばかりを考えていた。それは学校に着いてからも変わらず、授業が始まってもまだ考えていた。
頭の中が夢のことで埋め尽くされていた俺は、授業中、消しゴムを前の方に落としてしまい、前の席に座っていた親友に拾ってもらおうと、いつものように肩に手を置いた。そう、何気ない動作だったんだ……。
その刹那、時がゆっくりと進んでいるかのように、親友は椅子から崩れ落ち、床に倒れた。
何が起きたのかわからず、教室にいた生徒は誰も動き出せずにいたが、先生は素早くこちらには走ってきて、すぐに救急車を呼んだ。
結局、親友は心臓発作で、十三歳という若さで命を落とした。
──いや、違う。落としたのではない。俺に殺されたのだ。
クラスの同級生や両親は、俺を哀れんだ。「驚いたでしょう」
「親友だったんですものね」
「大丈夫?」
労る声をかけられるたびに、俺は罪悪感という言葉の鎖に締め付けられていった。
この一件で俺は、自分の力に気づき、もう二度と人を傷つけまいと心に誓ったのだ。
「お待たせしました」
三十分程で、男性店員がやってきた。その間、救急車が来たり、警察が来たりと騒がしかったが、やっと開放されたようだ。
「近くの公園に行きませんか?」
そう提案され、言われるがままに彼に着いていくことにした。
五分程で着いた公園のベンチに座り、彼はさっそく話し始めた。
「先程は、助けていただきありがとうございました。僕は西永俊、二十五歳です」
「あ……俺は、松山来、三十五歳です……」
「松山さんは強いのですね。僕とは違う能力のようです……」
能力……。
さっき彼が言っていた同じだという意味……。
「もしかして……」
「はい、僕も松山さんと同じような力を授かりました」
その言葉は、頭のてっぺんに雷が落ち、全身を駆け巡ったような衝撃だった。頭の中が真っ白になり、言葉にすることができない。
「僕もさっき見た時は驚きました。ちなみに、松山さんはどういう力を?」
その質問で我に返る。
この苦しみを共有できる人間に出会えたことは、素直に嬉しい。いや、奇跡に近い。
だが、正直、この力のことは話したくない……。
心の葛藤を察してか、西永さんから能力について話してくれた。
「ちなみに僕は、傷を癒す力です。傷と言っても、主に心の傷です。トラウマを抱えている人など、その傷を取り除く力があります。あとは、少しの外傷なら治せます」
傷を癒す……。
なんて素晴らしい能力なんだ。それなら人の為になれるじゃないか。だから彼は、そんな穏やかな表情をするのか……。
「俺とは正反対だな……」
思わず零れた言葉の後、何も話せなくなり、西永さんは、俺の沈黙に付き合ってくれた。
何分経っただろうか。西永さんの優しさに、話す決心がついた……。
「俺の能力は……人の命を奪うことです」
──言ってしまった。
やっと仲間ができたというのに、きっと軽蔑され、俺から離れていく……。
「松山さんも、人を助けることができる能力なんですね」
思いもよらない言葉に、気がつくと、温かい涙が頬をつたっていた。
「え、え、すみません! 僕、何か失礼なこと言っちゃいましたか?」
俺の涙を見て、慌てて何度も頭を下げる。
「いえいえ、嬉しかったんですよ。そんな風に言ってもらえて。人の命を奪う、この恐ろしい力を、ずっと引け目に生きてきましたから」
「──辛い思いをしてきたんですね。でもさっき、僕を助けてくれたじゃないですか。誰も傷つけず、解決できるなんて素晴らしい能力です」
「力を調節出来るように、練習しましたから。命を奪うのではなく、誰かを助ける為に使いたかったんです」
「努力されたんですね。尊敬します。力をコントロールすることの難しさ、よくわかりますから」
共有できることの素晴らしさを身に染みて感じていた。なんて、落ち着くのだろう。
「西永さんは、今までにたくさんの人を助けてきたのですか?」
「それほど多くないんです。僕の基準としては、自分ではどうにもできなくなってしまった方だけに、力添えをしているんです。なるべく、自分で解決して乗り越えていくことが人生では大切なことだと思っていますから」
なんて、しっかりとした考えを持っているんだ。とても、年下とは思えない。
俺は今まで、自分の人生を卑下することしかしてこなかった。力のせいにして、自分を甘やかし、逃げてきた。
「俺より、ずっと大人ですね。俺なんて、昔のトラウマを乗り越えることができず、今の今まで引きずっていますから。乗り越えられないのは、自分のせいじゃない、この力のせいだって……」
今日はじめて会ったばかりの、それも、俺よりもずっと若い人にこんなことを話すなんて、どうかしている。
「何があったかわかりませんが、きっと相当辛い経験だったのですね。特に、松山さんのように強い力を与えられた人なら尚更、大変でしたよね。もしよかったら、僕にそのトラウマ、取り除くお手伝いさせてくれませんか?」
トラウマが、消える……。そう考えるだけで、気持ちが軽くなる。あの辛い思い出が無くなるなら、どれだけ楽だろう。
でも……。
「──やめておきます。西永さんと出会えただけで、十分、心が救われましたから。それに、あの過ちは、忘れてはいけないと思うんです。一生かけて償っていきたいと思っています……」
「松山さんはきっと──もう、乗り越えられていますよ。大丈夫です」
「え……」
「松山さんは逃げずに向き合い、今まで償ってきたじゃないですか。それに、自分の力からも逃げずに、努力を重ね、人を助ける力に変えたじゃないですか。僕は尊敬します」
「──ありがとうございます。西永さんの言葉で目が覚めたような気がします。罪悪感から、自分だけが前へ進むことを恐れ、そして、いつの間にか、トラウマという殻に籠もることで新たに傷つくことから自分の身を守っていたのかもしれません。でも、もうそろそろ、前へ進む時が来たのかもしれません」
その後も、お互いの能力について、時間を忘れ語り合った。
「うわ、もうこんな時間です!」
西永さんに言われ、腕時計を見ると、二十三時を過ぎたところだった。
「じゃ、そろそろ帰りましょうか。今日は、本当にありがとうございました。たくさん、お話ができて、気持ちが楽になりました」
「こちらこそ、助けていただいたうえに、こんなに話を聞いてくれて、ありがとうございました。僕、松山さんとの出会いに運命を感じました」
「運命?」
「はい。今まで、ずっと一人で抱えてきて、僕一人がこんな力をなぜ与えられたのかわからなかったんです。でも、松山さんに出会えて、これもなにか意味があるのかなって思えたんです」
意味か……。確かに、ずっと考えてきたことだ。なぜ俺だけに、と。でも、こうして同じような能力の持ち主に出会えたことで、この力の意味もわかるのではないかと思えてきた。
「そうですね。俺もそう思います──」
こうして、俺たちは別れた。これからも、変化があったら共有していこうと決め、自分たちの運命を受け入れていくことを約束した。
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