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『モルダウ』
それは、忘れられない思い出の曲。
札幌駅の改札を抜けるあたりから、そのピアノの旋律が、和彦の耳に次第にはっきりと届き始めた。
孤独感と寂しさを漂わせる独特のメロディーが、旅の途上の和彦を、遠い昔の記憶へと誘う。
あれは小学6年の頃だったから、もう五十年以上も前のこと。
同じクラスに、ピアノが得意な女の子がいた。
山田美佐子。
茶色がかった長い髪を上げて、おでこをしっかり出していた。
高い鼻に、ぱっちりした大きな瞳はやや褐色で、西洋のお人形さんを想起させる雰囲気だった。
性格は活発で、女子からも男子からも人気があった。
「和彦くん、今日帰りにうちに寄ってって」
ある日の放課後、隣の席だった美佐子が声をかけてきた。
わりと近所であったが、学校で喋る以外に一緒に遊んだこともなかったので、急な誘いに驚きながら、
「え、美佐子ちゃんちに?」
「うん。だめ?」
「ううん。そんなことないよ」
「じゃ、一緒に帰ろう」
それで二人は、並んで教室を出た。
「お前ら仲良いじゃん」
「ヒューヒュー」
「美佐子ちゃん、やるぅー!」
後ろから、クラスメイトの冷やかしの声が飛んでくる。
おとなしくて読書好きだった和彦も、クラスでは好かれていた。だから、冷やかしと言っても、好意的な雰囲気だった。
美佐子の家は、1階が白、2階がピンクのツートン。
屋根に風見鶏がいて、窓にはおしゃれなカーテンがかかり、童話に出てくるような、ヨーロッパの家みたいだった。
バラの花のアーチ状の門をくぐり、芝生が敷き詰められた庭を横切って、玄関を入る。
外観はよく目にしていたが、ここからは未知の世界。緊張しながらも、好奇心でドキドキする。
上がってすぐの階段を登り、二階の美佐子の部屋に入る。
たくさんの人形やぬいぐるみ、可愛らしい小物。カラフルな室内は、和彦が今まで見たことがなくて、ふわふわした気持ちになる。
窓際の部屋の角には、ピアノが置かれていた。
「そう言えば、美佐子ちゃんちから、よくピアノが聞こえてくるよ」
「それ、私が弾いてるの」
と、美佐子はちょっと胸をそらす。
「すごいね。あんなに弾けて」
「そう?でも、もっと上手な子がいるんだよ」
彼女はそう言って、机の上に飾ってある写真を手に取り、
「この子が金賞で、この子が銀賞……」
と指で差し示して教えてくれる。この前の日曜日にあった発表会の写真だと言っていた。
「私は賞を取れなかったの。だから、夏休みの発表会では、絶対に金賞を取りたい」
ちょっぴり負けず嫌いに見える目を大きくして言った。そして、ピアノの蓋を上げてイスに座り、おもむろに鍵盤を叩く。と、『トントン』とドアをノックする音に続き、
「入るわね」
美佐子の母親が入ってきた。手には、紅茶とクッキーを載せたお盆を持っている。
「藤原さんのところの和彦くんね。いつも美佐子から聞いてるわよ。本が好きなのね」
紅茶とクッキーを、小さなテーブルに置きながら、そう言って和彦に微笑んで、
「じゃ、ごゆっくり」
部屋を出ていった。
優しそうで品のあるお母さん……子供心にそんなことを思っていると、美佐子がピアノを奏で始めた。
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