黒穴の村

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黒穴の村

 この集落に入ってから、三日が経過したはずだ。三日というのは私の手元の時計では七十二時間が経過したという意味で、この集落に昼夜はない。常に明け方か夕暮れのような明るさ、というのはあくまで体感だ。頭上ではめまぐるしい勢いで、太陽が昇っては沈んでいく。  この集落の住人にとっては、私のジーンズにTシャツの格好が珍しいようだ。藁葺き屋根の家を覗きに来る住民たちは、ある者は子供、ある者は大人だが、皆簡素な毛皮の衣装に身を包んでいる。  そんな衣装の女性の一人が、私に食事を持ってきた。皿の上に乗っているのは一見パンのように見えるが堅く、噛みしめると動物性の味がじわっとしみてくる。どんぐりの粉と動物の肉を混ぜて焼いたクッキーのようなものだ。  全体的に、縄文時代のような雰囲気だった。村人の生きる時間では、動物は絶えずこの地域に迷い込んできては出られなくなるので、彼らが肉食に困ることはないらしい。  地球物理学者である私は、この地域で観測された重力異常を詳しく調べるために、普段は人の入らない野山に単身分け入った。本来ならばこうしたフィールドワークは複数名で行うべきものだが、うちの研究室にはポスドクを雇う予算がない。  結果、この村に辿り着いたのだ。  この地域で生じている異常な重力場が時間の流れに作用し、この村では外界と比べて時間がゆっくり進んでいる。またこの重力場のせいで、この地域から脱出することは不可能であるようだ。つまり、この地域で発生している特異な事象を論文にまとめて報告することも不可能だ、それは実に残念な話だ。  この村はさながらブラックホールで、外界の時間が飛ぶように過ぎ去っていく間に、ゆっくりゆっくり、耐えがたいほどののろさでその固有の時間を刻んでいる。これが本当のスローライフ、そんなところだろうか。 「のろいの村とは、よく言ったもんだ」  私はそんな、誰も聞くことのない駄洒落を、小さな声でそっと呟いた。
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