一也編

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 次に時也を見かけたのは学食だった。 「時也は真面目だから」  溜め息混じりの声は誰の声だったのか。 「別に真面目じゃ無いし。  敦志が要領が良すぎるんだって」  会話だけ聞けば不穏にも思えるけれど不穏とは程遠い楽しそうな声の「その通り」と囃し立てるような声。特別大きな声を出しているわけでも無いのに何故が耳に入ってきた会話。そちらに目を向けると見覚えのある顔を見付けた。  時也だ。 「それだけ真面目にやってるんだから休ませてもらえないの?」 「自分の予定優先するためにバイト入れてるんだから敦志のためになんて休まないって。欲しい休みは確保してあるし、次に何かあった時のために真面目ポイントを貯めてるんだって言ってるだろ?」  楽しそうな、それでいて少し困ったような声が時也だ。 「その真面目ポイントを俺のために」 「使うわけないよね。  何で自分のバイト休んで敦志のバイトの手伝いするなんて発想になるかな…」 「だって、うちのバイトの方が時給高いし」 「無理。  バイトじゃなければ手伝ったけどバイト沢山入れてるのは真面目ポイントのためだけじゃないし」  テンポの良い会話の途中で「無理だって」「敦志も諦め悪過ぎ」と時也を応援する声がかかる。  どうやらバイトの助っ人を頼みたい〈敦志〉と、それを断る〈時也〉の会話だったらしい。  軽口を叩きつつ、それでいて楽しそうに時也の隣にいるのが敦志だろうか?  それが時也を集団の中で初めて認識した時。  その後も何度かそんな姿を目にする。と言うよりも、時也のことを気にしているため今まで気にもしていなかった事に色々と気付いたのだ。 〈あの会話に入りたい〉 〈時也に自分の名前を呼ばれてみたい〉 〈笑顔が見たい〉  そう思ったのは仲の良さそうな時也と敦志が気に入らなかったから。  だけど現実問題、時也と自分の接点はあの授業の時の短い会話だけ。こちらは時也を認識いているものの、話しかける理由もきっかけも無い。同じ講義の時なら、と思わないでもなかったけれど互いに友人と行動することが多いため話しかけるタイミングも無い。時也が時々単独行動をしているのを目にすることもあったけれど俺の方は常に誰かがそばに居たし、珍しく1人の時は時也が誰かといる。あの講義の日に互いに1人だったのはレアだったのだろう。  完全に手詰まりだ。  だけど願い続ければ叶うものだとはよく言ったものだ。本当に偶然の出会い。 「トキナリ君?」  駅から続く道で前方を歩く後ろ姿。  最近、見かけるとつい意識してしまうその後ろ姿に思わず声が出る。  無意識に呼んでしまった名前に前を歩く人物が振り返る。  やっぱりそうだった。    嬉しいのだけれど予想外の場所での出会いに言葉が続かない。続かないのだけど嬉しさで笑みが溢れ、思わず手を振ってしまった。 「そうだけど、誰?」  返ってきたのは当たり前と言えば当たり前な、それでいて俺を落ち込ませる返事だった。その表情を見れば嫌がられていると言うほどでは無いけれど、あまり良い感情を持たれてはいないとわかってしまう。だけどそれで凹むほど俺は繊細じゃない。 「あれ、前に講義で隣に座ったの覚えてない?多分、2年の頃」  逃げられないように質問の体で言葉を続ける。こうしてしまえば知らないからと言って無視はできないだろう。 「ごめん、覚えてない」  案の定ちゃんと返事が返って来る。 「マジか…」  その反応を見れば当たり前な返答にショックを受けたふりをしてみる。実際のところ、あんなに短時間で覚えてもらえているとは思ってない。思ってはいないけれどずっと時也を気にしていた俺にしてみれば面白く無いのは事実だ。 「その時に名前教えてもらったんだけど?」  会話を続ける気は全く無さそうだけどそれでも逃す気はない。少し悲しいような、拗ねたような表情は得意だ。若い今でしか通用しないあざとい仕草だと分かっていて見せる表情は相手の心を掴むのには丁度いい。  俺の表情を見て少し考える仕草を見せる時也だったけれど、結局俺の欲しい返事は返ってこなかった。 「ごめん、思い出せないや」  たった一言だった。  この時に感じた気持ちは何だったのか。  淋しさと怒り、自意識過剰な俺は自分の向けた好意を拒否されるのに慣れていなかったのだ。これで引き下がるわけにはいかない。 「冷たいな~。俺の名前が数字の一に也って書いてカズヤだからトキナリ君はトキヤかと思ってそう聞いたら時也だって教えてくれたんだけどな~」  ダメ押しと言わんばかりに言葉を続ける。俺にとってはなかなかに印象的な出来事だったのに、それなのに時也が覚えていないなんて不誠実だ。 「ごめん、それ聞いても思い出せない」 「マジか…」  結局欲しい返事はもらえなかったものの、時也の嫌がる素振りを見て見ぬ振りするわけにもいかずそろそろ引き際かと判断する。 「ま、良いや。  時也君は家、この近く?」  話を変えれば少しは時間が稼げるだろう。 「そうだけど」 「じゃあ、俺の家とも近いね。  何で電車で会った事ないんだろう?」  これは本気でそう思ったからしてみた質問。入学と同時に決めた部屋は学校からは少し距離があるものの交通の便がよく、それなりに賑わっているためバイト先にも困らない。学校に近過ぎると溜まり場にされかれないからとわざわざ選んだ場所だったけれど、この場所を見つけてきた親には感謝した方がいいかもしれない。 「そうだね。でも接点が無いからなんじゃない?ごめん、急いでるから」  俺の喜ぶ気持ちとは裏腹に時也は冷たかった。それだけ言うと俺に背を向けて歩き出したのだ。 「またね」と声をかけたけれど返事は無かった。  自分はこれほどまでに気にしていたのに時也には全く認知されていなかったことにショックはあったけれど、それよりも自分を印象付けることができたことに満足した。この出会いは俺に取って僥倖だ。何故なら時也に声をかけるきっかけが出来たからだ。  今までは話のきっかけが無くて見るだけだった時也に話しかけることができるチケットを手に入れたようなものだ、と今日の出来事をポジティブに考えてみる。  それにしてもここまで時也が気になるのは何故だろうか。たった一度話しただけの相手が気になって仕方がないなんて、まるで一目惚れではないか。  …一目惚れ?  その言葉を思いつき自分の気持ちを自問自答してみる。一目惚れなのだろうか?  今までの自分の恋愛遍歴を思い出してみても一目惚れの経験はない。〈良いな〉と思えば声をかけるし、声をかけられて〈良い〉と思えば付き合ってみる。〈違う〉と思えば相手が何を言っても別れたし、〈違う〉と言われればそれ以上追いかけることもしなかった。若いうちの恋愛なんてそんなものだ。まだまだ人生は長いのだから〈この人じゃないと〉とか〈この人と結婚するかも〉なんて感情はまだ持つ必要はない。  そう思っていたのに時也のことだけは気軽に誘う気にはなれなかった。  男女共に恋愛対象に出来る俺は時也が男だからと躊躇する理由はない。今まで何の面識もないのに〈良い〉と思ったらすぐに声をかけてきたのと何が違うのか、そう思い考えてみるのだけどその違いが分からない。  考えて考えて出した結論は、自分に対して興味を示さなかったのが面白く無かったのかもしれないという事。そこに思い至ればやる事はひとつだけだった。  時也に俺のことを意識させる。  翌日から時也を見つける度に自分の存在をアピールするようにした。  学校で見かければ手を振り、道で会えば声をかける。友人たちの輪の中に時也がいなければどうしたのかと聞き、時也の友人にも自分をアピールする。  はじめは訝しげに俺を見ていた時也の友人も、時也が俺を知っている素振りを見せれば邪険にはしなかった。  自分からは俺に対してアクションを起こさないものの、手を振れば会釈を返してくれるし話しかければそれに応じてくれる。  この頃にはもうゲーム感覚だった。  少しずつ距離を縮めることにより時也を攻略していくゲーム。  俺が手を振ると会釈を返していたのがいつからか、笑顔を見せるようになった。  姿を見かけて声をかけると迷惑そうにしていた表情が、仕方ないと言いたげな柔らかな表情を見せるようになった。  そんな風に時也に接しているうちに俺の周りの人間も時也たちのグループと交流を持つようになる。  行動を共にするわけではないけれど会えば話をするし、お互いの友人関係にも詳しくなる。誰と誰が親しいか、誰にパートナーがいて誰がフリーなのか、誰がどこに就職したくて誰が実家に帰るのか。  特に興味は無いけれど〈情報〉として知っておくのは必要なことだ。その情報の中にある〈何か〉が時也の攻略に役立つかもしれないから。  時也はと言えば俺に笑顔を見せるようにはなったけれど、俺のことを受け入れているわけではない。嫌々とか、渋々とか、笑顔を見せていても根底にはそんな想いがあることにはとっくに気付いていた。だから攻略対象として時也のことを気にしつつ、パートナーは別で作ることに罪の意識なんてものはない。これはこれ、それはそれだ。  そんな風に学生の時間は過ぎていく。  時也との距離は縮まらないものの開きもしない。現状維持のままだ。  一時期、何故か敦志と密にしている時期があり焦ったことがあった。  バイトを辞めていたと聞き飲みにでも誘おうかと思ったのに何故か敦志に邪魔される。時也に近づくと必ず敦志がしゃしゃり出てくるのだ。  今日は課題があるだとか、今日はバイトだとか。バイトは辞めたのではないのかと聞けば時也の元々のバイトは辞めたけれど、敦志のバイト先で臨時のバイトをしていると教えらる。  正直面白くなかった。  臨時でバイトがしたいならば俺のバイト先だって人手は有れば有るほど助かる。通うことを考えれば俺のバイト先の方が良いじゃないかと。ただ、俺のバイト先は居酒屋だから時也に合うとは思えないし、俺のバイト先の事情なんて時也も敦志も知る由もない。敦志のバイト先は何処なのかが気になるけれど、素直に聞く事もできない。時也に認識されるようになったと言っても結局はその程度の関係なのだ。  その程度の関係なのに自分と時也の関係と、敦志と時也の関係を無視して感じるこの思いはヤキモチのようじゃないか…。  そして気付いた気持ち。  そうか、俺は敦志にヤキモチを妬いたのか。  俺が時也の隣にいたい。敦志の立ち位置に自分が立ちたい。  この気持ちはゲームには必要ないと思いながらも止めることのできない想い。  認めたくはなかったけれど自分は時也のことが好きなのかもしれない。  ただそう気付いていてもどうして良いのかがわからず時也との距離を縮めることができないまま時間が過ぎていく。  そんな中で敦志があまり時也に構わなくなったと気付いたのは学祭が終わった頃だった。  学祭の時期は俺たちのグループは忙しくしていてその時期に何があったとしても全く関知していないのだけど、敦志が時也に構わなければヤキモチを妬くようなこともない。それならばあの時の気持ちは幼い独占欲だったのだと思う事にした。  俺がいつも行動を共にしていた仲間はいわゆる〈お祭り騒ぎ〉が大好きで、当然俺も一緒になって楽しむのが恒例で、今年ももちろん楽しむことに余念がなかった。時也目当てであちらのグループにも声をかけてはみたけれど、当然のように参加は断られた。  あいつらにしてみれば俺たちとは学生生活において交流は持つけれど、それ以上でもそれ以下でも無い。交流は持つけれど行動を共にする気はないと言ったところか。  コンテストに出るのが楽しい俺たちと、コンテストの開催自体に疑問を呈するようなあちらのグループと交流を持っているだけでも良しとするしかない。強引なことをして避けられても面白くないからここは大人しく引き下がっておく。  時也は鬱陶しい前髪がなければかなりの美人だし、敦志なんて髪を少しいじるだけで相当だと気付いているのは俺だけではないけれど、それを言わせてくれないあの雰囲気は何なのか。  まぁ、ライバルは少ければ少ないだけ自分が有利になるのだから余分な事は言わないし、時也が人が注目されるのも面白くない。だから学祭に時也達を引っ張り出すのは我慢しておいた。  そうして過ごした間にきっと何かがあったのだろう。時也の表情は少しだけ豊かになり雰囲気も柔らかくなった。今までなら曖昧に誤魔化していた事柄を言葉で示すようになった。意思表示をするようになり、敦志が構わなくなったのはサポートをする必要がなくなったからだと気付く。  ただサポートが必要なくなれば敦志は当然時也に構わなくなるけれど、行動が別になるわけではない。今までは俺が時也を誘って敦志に断られる、という構図が時也に直接断られるようになっただけのことだ。何が原因かと注意していると時折聞こえる女の名前。卒業した先輩らしいものの俺は面識がない。ただ、話を聞いていると時也たちとは旧知の仲らしくその事が面白くない。  学祭に久しぶりに顔を出した先輩の話で盛り上がる時也達に苛立ちを感じずにはいられなかった。  時也と敦志の仲を安心して見られるようになったと思ったのにとんだ伏兵だ。  時也攻略への道はまだまだ長い。
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