一也編

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 その後もよく耳にする先輩だと言う女性を警戒していたものの、どうやら本当に先輩後輩の仲だったと気付いたのは先輩の彼氏の名前を聞いた時だった。聞きなれない名前が面白くなくて、時也の仲間内では当たり前に話される名前が気に入らなくて、軽い調子で誰なのかと聞いた時に教えられた時也との関係。  女性の先輩は高校時代からの先輩で、その彼氏は先輩の大学の同級生。と言うことは俺にとっても先輩になると言うことだ。  高校時代に面識は無かったものの、大学で再会してからは何かと時也のことを気にしていたせいで彼らの中では時也の〈姉〉扱いらしい。「そうなると彼氏は兄?」と誰かが言って納得したように笑う。 「2人とも時也の事めちゃくちゃ可愛がってたもんね」 「まぁ、時也だもんな」  人当たりが悪いわけではないけれど、マイペースな時也はよく弄られている。それは〈虐め〉に繋がるような弄りではなくて、根底には優しさがあることに気付いたのは何時だったか。直接言ってしまえば時也が傷つくような事を弄るようにして導いて行く。時には暴走しそうになるものの、そんな時は敦志が仲裁に入り場を収めていく。  時也をめちゃくちゃ可愛がっているのはお前たちだって同じじゃないか、そう思いながらも羨ましく思っていた。  何故こんなにも時也は可愛がられるのだろう、正直そう思いもした。  鬱陶しい前髪に隠された顔は美人顔だけど、彼女持ちの多い彼らにとって時也が恋愛対象である様子は無い。弟のように庇護をしたいにしては可愛がり方が少々乱暴だ。それでは彼らにとって時也が何か有益かと言えばそんな様子も無い。 「時也ってさ、何がそんなに良いの?  お前らにしても可愛がりすぎじゃない?何、あいつアイドル?」  意地の悪い言い方をしている自覚はあったけれど言葉を抑えることはできなかった。それ程までに知りたかったのだ。 「あ、そうか。  一也知らないもんね」  意味深な笑いに腹が立つ。 「1年の時にちょっとあったんだけど、その時に時也に興味持ったのがきっかけかな?」 「そのちょっとが知りたいんだけど?」 「それがさ…」  その時に聞かされた話は俺には理解し難いものだった。  1年の時に取っていた講義で時也が〈復習〉という名目で指名されたこと。それが教授の勘違いでまだ〈習ってない範囲〉の内容だったこと。それなのに時也が答えたこと。そして、それを敦志が指摘したこと。  頑固で有名だった教授は時也に謝る事ができず、どう収めるかと少し意地悪く傍観していた時に時也が「先生の講義が面白くて、ちゃんと理解したいから読み込みすぎました」と言ったことで空気が変わったと。  満更では無い教授は勘違いして悪かったと、少しきつめに言葉を投げかけた事を謝罪した。そして改めて他の学生、特に敦志に「君達も理解していたんじゃないか?」と聞き、そのリアクションに満足していたと。  興味深い講義ではあるものの、教授の性格に難があるため他と比べれば小規模な講義。本当に興味がある者しか履修しない為故に起こった些細とは言えない出来事。  その時の時也の答えに興味を持ち、先ずは敦志が声をかけた。  2人が話すのを見てそこに近付く者が1人増え、2人増え。  そんな風にグループが出来たらしい。  真面目か…。  そもそも〈興味のある講義はなるべく履修したい〉時也達と、〈必要最低限の履修でなるべく楽に、なるべく簡単に卒業したい〉俺達とでは根本的な考え方が違うのだ。  必要のない講義はなるべく受けたくない。だって、講義を増やせばそれだけ試験も課題も増えるのだ。好き好んでそんな事をする理由が理解できない。 「でもそれが時也に甘い理由になるって、俺には理解できないんだけど」  これは本音。  別に講義で教授と生徒の認識のすれ違いが有っただけで、たまたまターゲットになったのが時也だっただけじゃないか。 「時也は危なっかしいんだって」  そして続けられた話。 「その後で教授に気に入られちゃって妙に絡まれてさ、本人は講義に興味は有っても教授には興味無いのに逃げられなくて、それを見かねて敦志が時也を助けてってこの繰り返し。  教授も悪気は無いんだけど時也相手にやたらとディスカッションしたがるから時也が参っちゃってさ」  迷惑な話だ。 「そんなの自分で断れば」 「それが出来ないからこの状態。  時也は時也で〈もしも自分が教授の怒りに触れたらこの講義を取ってる他の生徒に迷惑をかけるんじゃないか〉とか、変な思い込みがあったらしくて…阿呆かと」  口調だけ聞けば厳しいけれど、その表情は柔らかい。  その後にも続く時也の可笑しな武勇伝。どれもこれも俺には理解できないけれど、時也が自分の為ではなくて人の事を思い身動き出来なくなりそこから時也を連れ出すような話ばかり。  それは些細なことから驚くようなことまで有ったけれど根底には時也が人を思う気持ちが有り、それを知ってしまうと放っておけなかったと笑う。 「色々有るじゃん、俺たちにだってそれなりに。時也にだって色々有るのに変わらないって言うか、頑なって言うか。  高校の時からそうだったって言うから筋金入りなんだろうね」  そんな風に言って締められた話だったけれど、やっぱり俺には理解できなかった。そもそもそんなにも〈人を思う〉気持ちがあるのならもっと俺のことを想ってくれても良いのに、と言うか俺を想うべきだ。  そう、時也は俺を想うべきなんだ。そうじゃないとゲームが面白くならない。  だから俺は時也に優しくした。  基本的に俺は人の事なんてどうでもいい。一緒にいる仲間だってお互いに利益があるから一緒にいるだけで、似たような人間が集まればその中で何かをしても悪目立ちしないからだ。  だから利用価値のある相手に対しては優しくするし、大切にだってする。ただ利用価値がなくなった時はそんな労力を使う気になれない。俺から離れたければ離れたらいいだけの事だ。  時也に関しては利用価値があるとかじゃなくて〈攻略対象〉だから優しくするし、大切にするけれど〈特別〉じゃない。  だから好みの相手を見つければ付き合うし、声をかけられれば良い顔をする。付き合えば当然やる事はやる。だって若いんだから仕方ない。 「一也、また相手違うよね」  いつだったか飲み会でそう言われた時に時也の反応が知りたくて否定せずに話に乗ってみた。 「違うって、誰のこと言ってる?」 「ってか、今度は男?女?  俺知ってるのは小さい女の子」 「あ、それ別れた。  今は1年の男」  自分の仲間内では当たり前の会話。時也の仲間内でもそれなりに認知されるようになった俺の奔放な恋愛事情。どちらのグループにしても俺の嗜好について何も言われないし、言われたところでどうでも良いけれど、それでも時也の反応だけは気になった。  チラリと時也の方に視線を向ける。  俺がそちらに視線を移したのに気付いたのかさりげなく目を逸らされたけれど、その顔には少しだけ嫌悪の表情があった気がした。時也はゲイに理解が無いかもしれない、そう思ったけれど俺は自分の計画を変えるつもりはない。  特別近付くわけでは無いけれど、遠のくこともない時也との距離。  手を振れば笑顔を見せてはくれるし話しかければ応えてくれる。だけどもう一歩踏み込もうとするとさらりと躱されてしまうのだ。  なんとか在学中にと思ったものの、こちらも就活もあれば卒論もある。時也達のグループはその辺余裕だろうけれど、俺たちのグループは微妙な奴も多い。  やることをやって遊べば良いのに流されて勉強が疎かになっている奴が多いからだ。楽しければそれで良いと、学生だからと好き放題して後で困るのは自分なのに、それに気付いた時には手遅れなんだろうけれどそれを指摘してやるほど優しくは無いし、そこまで深い付き合いだとは思っていない。浅く広くの付き合いの中でそこまで相手に時間を費やす気はない。  それこそ相手が時也なら対応も変わってくるのだろうけれど…。  進展のないまま季節は移り就職が決まり、卒論を提出し、改めて自分の将来と直面する。  そのままこの地で就職する者もいれば実家のある地に帰る者もいる。  実家から大学に通い、就職後も実家に居続ける者。  俺や時也みたいに実家から通えないこともないけれど一人暮らしを始め、そのまま一人暮らしを続ける者。  就職を機に一人暮らしを始める者。  中には就職できずに実家に帰る者もいたし、単位が取れずに5年生になる者もいた。時也のグループからは院に行く者もいた。  俺にとって朗報だったのは時也が引っ越すことなく近くに住み続けることだった。  就職先を聞くと〈姉〉と慕う先輩と同じ会社で、会社に通うには少し遠いけれど気に入った物件に住んでいるから当面引っ越す気は無いと。先輩を慕ってその会社を選んだわけではなかったけれど、結果としてそうなったことが恥ずかしいけど嬉しいと言った時也は本当に照れくさそうな顔をしていて可愛いと思ってしまった。そして、時也を自分のものにしたいと思った。  仕事が始まり環境が変わればつけ込む隙も生まれるだろう。焦る必要は無い。  今まで何かと邪魔だった敦志もここには居ない。  家が近いのは俺にとって有利でしかなかった。通勤にはお互いに電車を使うけれど朝は会うことがない。会ったところで向かう方向は逆だし慌ただしいラッシュ時に交流を持つのは難しい。だけど帰りには一緒になることが多く、そうなると少しの道程でも話をする機会が増えた。それを繰り返すと〈一緒に夕食でも〉という流れになり、回を重ねるとアルコールが入るようになる。時也も少しずつ心を開いてくれるようになり、いつからか週末は食事に行くのが普通になっていった。  この気持ちはなんと呼べばいいのだろう?  恋愛感情のような、そうじゃ無いような。  好きか嫌いかと言われれば〈好き〉なんだろうけれど、恋愛と呼ぶには弱い想い。  付き合おうと言われれば付き合うのも悪く無いけれど、自分から誘うにはまだ少し弱い想い。  ただ、根底にあるのが〈執着〉なのは気付いていた。  他を見ていると面白く無い。  俺の前で他の男の名前をされたく無い。  特に敦志の事を良く言うのは面白くなかった。  拗らせた想い。  不確かな想い。  少しだけ悪戯心が湧いたんだ。  その日は時也にしては飲むペースが早かった。いつもならある程度で自制しているのに珍しいとは思ったけれど、敢えて声をかけなかった。  こんなチャンス逃すわけがない。  酔ってしまえば何かがあっても言い訳ができる。こんな風に一緒に飲むようになってもどこかで俺のことを警戒している時也に色々と聞くチャンスでもある。  密かに観察を続けながら杯を進める。 「時也、少し飲み過ぎじゃない?」  明らかに飲み過ぎてから敢えて聞いてみる。 「そんな事ないと思う。  僕、酔ってない。  だって、美味しいし」  受け答えが完全に酔っ払いだ。  仕事にも少しだけ慣れて、だけど職場では言いにくいことも多いのだろう。ポロポロと愚痴とまではいかないものの、不満と言うか理不尽に思うことが零れ落ちるかのように口から流れ出す。  先輩なのに女というだけでお茶出しを任されるのはおかしい。  自分の周りの掃除くらいしたいのに止められる。  他の人は、と思って様子を伺ってみるとそれを当たり前のように受け入れているのが理解できない。  俺に言わせれば時也の方が理解出来ないのだけど、そんな愚痴のようなものを聞きながら算段をつける。  先ずはこのまま俺の部屋に連れて行こう。その先はその時に考えればいい。  それにしても社会に出たと言うのに甘い事を言っている。  正直、俺にしてみれば配偶者を探すために来てるような女ならお茶汲みをして意中の相手の目に触れるよう仕向けるのは悪い事じゃないと思っている。全員がそうではないだろうけど、中にはそんな女だっている事は否定できない。  掃除だって同じだ。  デスク周りは触られたくない場所や物だってあるからその辺の加減のわかる人間がやった方が良い。デスクの上は触られたくないけれど、ゴミ捨てだってチェックをしながら捨てることのできる人がやった方が〈何か〉があった時に対処しやすいと言うのが本音だ。  実際のところ、時也の会社はお茶出しは順番でやっていたけれど男が入れると雑で美味しくないと文句が出た為お茶出しの係が決まっただけの事だった。ちゃんと時間や温度を気にして淹れたお茶と、湧いたお湯を適当に入れて出したお茶なんて味の違いが出て当然だ。  掃除にしても分別ができてないゴミをそのまま捨ててしまう事案が重なった為にチェックをしながら掃除もしてしまう方が手間が省けるといってできた習慣だっただけで、チェックをするなら新人よりも慣れた人間の方が確実だからそうなっただけ。  どちらも事情を聞けば納得できる事なのに、その事情を知るために一歩踏み出せない時也が1人でモヤモヤしていただけの事。  でも、そんな時也の性格が俺にとっては都合が良かった。  だからその日、俺は時也を自分の部屋に持ち帰ることにしたんだ。
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