一也編

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「じゃあ、もしも好きな人ができたらどうするつもり?」  あまりにも頑なな時也に聞いてみる。  この先、2度と恋愛をする気がないと言うのならば諦めようとは思うけれどそんな事はないだろう。もしも恋愛をする気がないのならば次の手を考えるだけだ。 「その時はきっとその気になった時なんじゃない?」 「それなら俺のこと好きになれば問題ないって事じゃん」  こちらは真剣に聞いているのにはぐらかすような答えしか返ってこないのも気に入らない。  ならば俺のことを好きにさせてやる、その気にさせてやる。 「だから、男も女も恋愛対象にできる人とは付き合わないって言ってるよね」 「でも好きになったらその時なんだろ?」 「その自信どこから来るの?」  時也が呆れて笑ったのを良い事に俺は自分をプレゼンする。 〈俺と付き合ったら絶対に楽しい〉とか〈俺は優しいよ〉とか、とりあえずは時也の頑なな心を開かせるのが先決だ。  具体的なことを言ったところで酔った時也に響く事はないだろうから耳障りの良い言葉とわかりやすい〈俺の優しさ〉をアピールする。  さっきから時也が俺の方を見ながらも俺を見ていない事に気付いてはいた。俺の動きを目で追いながらも時々視線がズレるのは〈誰か〉の行動をなぞっているからなのだろう。  話しながら新しいビールを開けようとすると俺の指先に視線を向ける。プルタブを開けて、それを押し戻して缶を口元に運ぼうとするとプルタブを見ていた時也が何かに気づいたように視線を逸らす。一口飲んで、ビールが温くならないように手を離すとその手を不思議そうに見る。  付き合い始めてから不思議そうに聞かれた事があった。 「ビール飲む時ってプルタブ、もっと押し込まないの?」  はじめは何を言われていたのか分からなかった。 「しっかり押し込まないと泡が、」  そこまで言って〈しまった〉と言いたげな顔をする。 「泡が何?」  きっと俺の知らない誰かから教えられた事があるのだろう。面白くなくて追い詰めてみたくなってしまった。 「何でもない」 「何でもなくはないよね?」  アルコールがあるシュチュエーションなんて当たり前だけど接近して座ってる訳で…。 「言わないと悪戯しちゃうよ?」  腕を伸ばし、腰を抱き寄せ、耳元で、耳朶に唇をわざと当てながら囁く。 「やだ、話すから離れろって」  そう言って逃げようとするのが面白くて腕に力を込める。 「このまま話して。  じゃないと悪戯決定」 〈動くと缶が倒れちゃうよ〉と耳元で囁くことも忘れない。  そして渋々時也が答えたのは〈前に誰かが〉プルタブをしっかり押し込まないと泡の具合が悪い気がする、と言って缶の中に入りそうなくらいプルタブを押し込んでいたからそれが普通だと思っていたと。自分の飲む缶酎ハイは泡は関係ないけれど、泡を楽しむビールはそう言うものだと思っていたと。 「それ、誰が言ったの?」  缶を倒すことを恐れて俺のことを強く拒絶できないのを良い事に、逃げようとする時也の体に指を這わす。 「ちゃんと話した」  何とか抵抗しようとするものの、俺に力で叶うわけがなく少し息を上げながら抵抗する時也は可愛い。だけど俺といるのにいつまでも違う男を思い出すのは気に入らない。 「ねぇ、缶の開け方以外にどこが違う?」  意地悪な俺は時也が啼くまで許さなかった。  俺にとっては幸せな思い出だけど、時也にとってはどうだったのだろう?  無理やり思い出したくないことを思い出させるような行為を時也はどう思っていたのだろうか。  自分本位な俺の、今更ながらの後悔。   「時也、聞いてる?」 「聞いてるよ」  少し眠くなってきたような時也に声をかけるとちゃんと返事は返ってきたし、目線はちゃんと俺に向けられた。  でも話を聞いてはいたけれど、聞いているふりをしていた事にだって気付いてた。 「だから、お試しで付き合ってみたらどうよ?」  だったら畳み掛けてしまおう。 「今は誰とも付き合う気はないって言ったよね?」 「言ったっけ、そんな事?」  畳み掛けて、丸め込んでしまおう。 「気の知れた知り合いとして付き合う分には楽しいけどそれ以上は考えられないって言ったと思うよ」  酔ってるし、眠そうだし、簡単に色良い返事が返ってくると思ったけれどまだ理性が残っているようだ。 「頑固だなぁ」  変わらない頑なな態度に呆れてしまう。 「じゃあさ、週末に一緒に遊びに行ったりは?友達同士でもそれならおかしくないだろ?」  仕方なく譲歩する。  遊びに行くくらいなら良いだろう。  映画に行ったり、買い物に行ったり。  テーマパークは…行かなさそうだ。  動物園もイメージにはないけれど、水族館ならばどうだろうか?  そんなことをつらつらと並べる。その話のどこに反応したのか気付けなかったけれど、俺の言葉に時也が少し切なげな表情を見せる。  どうせまた女に走った元彼を思い出したのだろう。 「俺が全部忘れさせてやるから先ずはお友達から」  これは本心だった。  そんな顔をさせるような相手を思いだす必要はない、その時の俺は本当にそう思ったんだ。そんなに遠くない未来に同じようなことをする事になる自分のことを棚に上げて。 「それって付き合う前の段階で都合よく言う言葉だよね」 「だって、流石に〈知り合い〉止まりは切なくない?」 「じゃあ〈知り合い〉から始める?」 「だからそこからもう一段階進みたいんだって」  俺がああ言えば時也がこう言う。  堂々巡りだ。  そんなに〈友達〉が嫌なのだろうかあ? 「知り合いとして遊びに行くのは?」  それでも俺だって引く気は無い。 「知り合いとは食事はしても遊びには行かないんじゃない?」 「俺と遊びに行くのは嫌?」 「正直、よくわからない」  嫌と言わない時也は少しずつ俺に絆されている事に気付いているだろうか?  アルコールが気持ちの起伏を穏やかにするのか、言葉の割に柔らかい表情をしている事に気づいているのだろうか? 「趣味合わないのに買い物って。  映画なんて最近行ってないし…。  そもそもご飯行くだけなら今までだって行ってたし」  時也なりに考えてはいるようで、頭で考えた事が独り言のように口から溢れ出す。返事を要しない時也の心の声。  そんな心の声に応えてみる。 「だからそれをこれからしてみようって言ってるの。身構えなくていいから先ずは俺と遊びに行ってみればいいじゃん。  行ってみたいとことかないの?」 「…無い」  あまりにも淋しい答えに少しだけ時也を不憫に思った。  元彼とどのくらい付き合っていたのかは知らないけれど、俺といても少しのきっかけで思い出すほどまでにまだその想いは断ち切れていないのだろう。  時也を捨てて新しい命を選んだ元彼をいつまで引きずっているのかと、そんな仕打ちを受けておいてそれでもなお引きずるほど良い男だったのかと。 「時也、俺といるのにさっきから誰のこと考えてるの?」  元彼のことを思い出せなくなるほどに溺愛すれば良いのだろうか?  それならば優しく、どこまでも優しく甘やかしてしまおうか。  時也の手をそっと握り締め、まっすぐに視線を合わせる。 「俺の話聞いてるふりしてるけど違う事考えてるよね」  俺の行動に動揺を隠せないのか、時也が視線を逸らす。逸らしても許す気は無い。 「時也と付き合ってるのに他の女と子作りするような男、さっさと忘れたら?」  わざと嫌がるようなことを口にする。  傷口を開いて、その傷に優しく薬を塗ってやろう。 「そんな男のこと思い出せなくなるくらい大切にするから」  真摯なフリは得意だ。  あとひと押しと指を絡ませようとしたけれど、それは拒まれた。 「友達は指、絡ませたりしないよ」  そう、これで良い。  時也の口から〈友達〉という言葉を引き出せば俺たちはもう友達だ。 「じゃあ友達からって事で、どこ遊びに行く?いつなら空いてる?」  都合よく言葉を解釈し、少しずつ追い詰めていく。 「いつの間に友達に昇格したの?」 「だって時也が友達は指絡ませないって言うから我慢したんだって。まだ友達だからね」  押しすぎても駄目だし、引きすぎたら逃げられてしまう。ちょうど良い加減を探りながら少しずつ距離を縮めるのが攻略のコツだ。  だから今日は〈友達〉として接するに留めておく。  取り敢えず今は〈友達〉となった事で良しとして外を歩くには遅いような、早いような、本当に微妙な時間になってしまったのでジャージと毛布を貸すから少し寝てから帰るよう時也を説き伏せた。安心させるように〈友達〉だから我慢すると告げ、自分はベッドに入る。 「時也からこっちにきてくれたらいいのにな~」  冗談めかして言ったのは、時也にそのシチュエーションも有るのだと意識させるため。その日は手を出すつもりはなかったけれど、目が覚めた時にまだ眠っている時也に気付き悪戯心が芽生えた。  俺が隣にいたら意識するしかないはずだ。掛け布団を持ってソファーの横に移動し、そこでもう一度横になる。  時也の気配を感じながら手を伸ばしてしまいたい欲望を抑え、起きるのを静かに待つ。しばらくして動く気配がしたけれど、そのまま眠ったふりを続ける。  身体を起こしたのだろうか、空気が動きしばらくしてから聞こえた声。 「馬鹿だ…」  呆れた声で呟くのが聞こえた。それでもその声には嫌悪ではなくて好意が含まれているように聞こえるのは気のせいじゃない。その声で起きたかのように装い目を開けるとこちらを見ていた時也と目が合う。 「何でベッドで寝てないの?」  相変わらず呆れた感じで言うけれど、その目は笑っている。 「だって時也が来てくれないから」 「友達だとしても同じベッドでは寝ないよね」 「そっか、まだ友達だった」  普通に友達と言っているけれど、俺は友達だなんて思ってない。  こうやって油断しているうちに逃げられないようになるのに、時也は少しばかり無防備過ぎる。 「今日はどうする?  どこか出かける??」  もう一押ししてみようと調子に乗ったふりをしてみる。断られること前提だけど、YESと言われれば儲け物だ。  だけど俺の様子を見ながら身支度を整えた時也はあっさりとNOを突きつけてくる。 「今日は家のことしたいから帰る」  寝る時に着たジャージをどうしようかと迷っているようなので洗濯カゴを指さしながら話を続ける。 「じゃあ明日は?」 「明日も家のことしたいし」 「じゃあ来週」 「来週も家のこと」 「駄目だよ」  堂々巡りになるのが面倒でその言葉を止める。 「でも一也だって家のことやるんじゃないの?」 「まあ、そうだけどさ。  じゃあお互い金曜日の夜に出来ることやって、土曜日に家のことが終わり次第会うってどう?」  逃げようとすれば追いかけるだけなのに、逃げようとしても捕まるだけなのに。 「毎週は嫌だ」 「俺は毎日会いたいけどね」 「友達でも毎日会う必要はないんじゃない?」 「友達だから毎日会うのは我慢するけど来週は空けておいて」  まんまと丸め込み、俺を意識するようにもう一押し。 「とりあえず今週は時也の着たジャージで我慢するから」  別にそのジャージで何かしようなんて思ってないけれど、それを言えば時也が持ち帰るだろうと思って言った言葉。  案の定時也はそのジャージを持ち帰ったけれど、その行動が次の約束につながる事に気付いていたのだろうか?  そう言えばあのジャージは俺が時也の家に泊まる時用に、とあちらの部屋に持って行ったままだ。  あのジャージはまだ時也の元にあるのだろうか?  引っ越しの時に持って行ったのならば俺の居場所はまだあると言うことだろうけど…そんな都合に良いことはないだろう。  あの時、もっと真摯に時也に向き合っていれば今は違ってきていたのだろうか?
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