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時也が泊まったあの日、ベランダからその姿が見えなくなるまで見送った。
時也は俺が見ている事に気付いていなかったけれど、通勤用のリュックは俺のジャージで不自然に膨らみ不格好で、華奢な時也が背負うと妙にコミカルだったのを思い出す。
それにしても自分は何故こんなにも時也が気になるのだろう。
この気持ちにどんな名前をつけたら良いのだろう。
好きか嫌いかと言われれば迷いなく好きと答える。
時也とどうなりたいかと聞かれれば付き合いたいと答える。
それならば好きで付き合ったその先に何を求めるのか。
自分の将来設計の中に同性と添い遂げるという選択肢は無い。
付き合うだけならば身体の相性が合えば男でも女でも良いけれど、将来を共にするとなると選ぶのは異性だ。社会的な問題もあるし、将来を思い描いた時に俺の想像する〈家族〉は当然のように子どもが含まれている。いくら好きでも同性同士では子どもが望めないのだから仕方がない事だ。
それならば中途半端に時也に手を出すべきではないと、倫理的にはそうなのかもしれないけれど俺たちはまだ若い。
今の時点で付き合ったとして結婚までに至るカップルは何割か、そう考えてみるけれど新卒で就職したばかりだと成婚率はそれほど高くないはずだ。となれば付き合ったところで別れる確率の方が高い。
別れる確率の方が高いのならば、時也と付き合って別れたとしてもそれは〈普通〉のことだったと言えるだろう。
時也が捨てられた理由を教えられたのに、それなのにそんな風に思う俺は最低の男なのだと今でこそ思うのだけど、その時の俺は〈普通〉なのだから問題無いと思い込んでいた。
想像力の欠如。
自分本位。
若さゆえの傲慢さ。
〈若い〉という事は何の免罪符にもならないのに、それなのに許されると思っていたのだ。
そして毎日は過ぎていく。
平日は仕事に行き金曜日の夜は家の事をすると決めたため食事の誘いはしなくなったけれど、約束を確認するために改札での待ち伏せは続けている。
週末は時也のためにと開けてあるのだけど、そうなると平日は暇になってしまう。金曜日になると疲れた顔で改札口から出てくる時也はまだまだ余裕が無いのだろう。そんな時也を欲望の吐口にする訳にはいかず、平日は平日で遊べる相手をキープしてある。
週末に会ったところで手を出すことのできない関係が続いたまま、無理に事を進めて嫌われては元も子もない。そうなると発散する場所が必要で、便利なのは今まで関係を持った相手だ。
真剣に付き合った訳では無い元カレ、元カノは俺と同じで倫理観が壊れている。壊れているから呼び出せば応えてくれるし、呼ばれればそれに応える。
定期的に発散させなければストレスが溜まるし、ストレスが溜まれば発散したくなる。
自然の摂理だ。
ただ時也の手前、元カノと遊ぶのはやめた。元カレといても友達と言い張る事はできるけれど、元カノの事を友達と言った時に時也がどう感じるかを考えてのことだ。
男女共に恋愛の対象になる相手とはもう付き合わない、と言うのならば恋愛対象が男ならば問題無いのだろう。
ただの揚げ足取りだけど間違った事は言ってない。
自分の欲望のために都合よく解釈して好きなように振る舞う。
自分本位な俺はバレなければその事実はない事になるし、バレた時にはうまいこと言い逃れすればそれで許されると考えていた。その時自分が楽しければ、その時自分が気持ち良ければ、相手の気持ちを考えるような気遣いなんて持ってない。
週末に予定を空けてもらい何処かに遊びに行こうと誘っても、運動部に入っていた割に体力のない時也は外出を好まない。そのせいで次第にどちらかの家で過ごすことが多くなって行った。
観たい映画があれば観に行くし、買い物に行ったりもするけれど映画に行っても人目を気にするし、買い物に行っても趣味が合わない。俺の好きなものは時也の趣味じゃないし、時也はシンプルなものを好み〈定番〉が決まっているせいで買い物に付き合っても正直楽しくない。俺の趣味の服を勧めてみても手持ちの服との兼ね合いが、と断られる。装飾をメインに選ぶ俺と、素材や着心地にこだわる時也の間には高い高い壁があるようだ。
俺好みに飾り立てたいという欲求はあるけれど、飾り立てたところで連れ歩ける訳でもない。連れ歩ける訳で話もないのなら飾り立てる必要はない。
そうなるとどうしても家で過ごす時間が多くなりお互いの家を行き来することが増えるようになった。
その日は時也が来るのにその週の片付けが終わっていなかったため、一言断ってから家のことを始めた。時也はスマホを弄んでいる。
取り敢えず掃除と洗濯は終わらせてあったため買い置きした食材を使いやすいように分けていく。
居酒屋でバイトしていたため料理はそれなりに得意だ。食材をそれぞれ切り分けて冷凍していく。肉類は味をつけて冷凍しておけば焼くだけで食べられるし、傷みやすい野菜や買い過ぎた野菜は適当に切って冷凍しておけば困る事はない。
時也の様子を伺うとスマホを弄っているとばかり思っていたら目が合ってしまい少し焦る。いつから見られてたのか、全く気付いていなかった。
「何か気になる?」
そう声をかけると遠慮がちに何をしているのか気になったと言うためキッチンに呼び、ひとつひとつ説明していく。
肉は大量に買った方が安いから小分けにして調味液に絡めてから冷凍しておく事。その日の朝に冷蔵庫に出しておけば帰宅して焼くだけで一食になること。
野菜もほとんどの野菜は使いやすい大きさに切って冷凍しておくこと。味噌汁やスープには冷凍したまま入れる事ができる事。
言いながら使いきれていない食材の入った冷凍庫を見せる。週の半ばに遊びに行ってしまうとどうしても消化しきれない分が出てきてしまうのだ。
「一也って料理できる人?」
「バイト先が居酒屋だったから」
時也の質問に答えるものの、後から変な話を聞いて誤解されるのも嫌なのでホールで入ったはずなのに厨房に回された経緯を話す。〈色々と〉やらかしたと説明すれば何となく察するだろうし、自己申告していまえば後で知られたからと言って後ろめたい思いをしなくて済む。
俺の言葉にいちいち感心する時也にまさかと思い聞いてみる。
「時也、もしかして家事苦手?」
「一也は得意なの?」
俺がそう聞くと嫌そうな声で質問を返してくる。これは図星だったのだろう。
「嫌いじゃないよ」
そう答えると意外そうな顔をされた。
昔から服は好きで手入れに煩かった。そのせいで母親にあれこれ文句を言っていたらキレられてしまい、服の管理は自分でしろと怒られたためアイロンがけは得意だ。一人暮らしを始める前から自分の気に入った服だけは自分で洗っていたため洗濯だって普通にできる。人にやってもらうと文句が出るけれど、自分で失敗したとなると諦めるしかない。
掃除に関しては、困ったタイミングで身に覚えのあり過ぎる髪の毛やアクセサリーが見付かってしまう事が何度かあったため仕方なしに得意になった。
だから都合の悪い部分は省いて時也に説明する。
そのリアクションを見る限り家事は苦手なのだろう。そして俺は思いついてしまったのだ、時也の攻略が大きく進む方法を。
「次の週末、時也の家で色々教えてやるよ」
当たり前のように、何気ない調子で提案する。今だってお互いの家を行き来しているのだから今更部屋に入るなとは言わないだろう。
俺の言葉に焦った顔を見せ抵抗した時也だったけど、〈俺の部屋で俺の道具〉で教わるよりも〈自分の部屋で自分の道具〉で実践した方が覚えやすいと当然のように言えば素直に頷いた。本当のところ俺が使っているような道具は誰が何処で使ったところで大差ないのだけど、嘘も方便だ。時也の生活の中にジワジワと俺を浸透させて、俺がいるのが当たり前にしてしまおう。
取り敢えず時也の持っている調理器具を聞いて思わずため息が出た。
鍋とフライパン、それに包丁とまな板。
これが時也の部屋にある調理器具だった。計量カップは?計量スプーンはと聞けば〈コップ1杯が大体200mlだと聞いた〉〈計量スプーンって何?〉と聞き返される。調理実習で使ったはずだと言っても覚えが無いと。それならば料理の味付けはどうしているのかと聞けば、そもそも調味料が塩胡椒と醤油しかないと。よくよく聞いてみればカレーと炒飯が得意というか、それくらいしか作らないと言うから驚いた。この5年間、時也はどうやって生きてきたのだろう?「野菜炒めくらいならできるよ」と小さな声で言ったけれど、どうせ野菜を炒めて塩胡椒しただけだろう。
調理器具や料理に関してそんな認識しかない時也に呆れ、その日は無理やり100均に連れ出し山ほど買い物をした。
計量カップと計量スプーンは当然買ったし、お玉やフライ返し、菜箸もカゴに入れる。食べる箸と調理する箸が同じとか、見かけによらず大雑把すぎる。
その他にも俺が普段使うものは当然のようにカゴに入れていく。
よくよく話を聞けば掃除も洗濯もかなり大雑把で、仕方なしにそちらの道具もカゴに放り込む。
「一人暮らし、5年目になるのに信じられん」
呆れて漏れてしまった一言だったけれど、そんな時也が可愛く思ったのも事実だ。この〈可愛い〉と思った気持ちを大切に育てていけば未来は違ったのだろうか?
その日は俺の手料理を振る舞ったのだけど、キッチンに時也を呼び調理器具の使い方を説明しながら料理を進めていった。使い方を見ておけば何をどう使うのかイメージしやすいだろう。
その日は調理器具を洗って片付けることを宿題だと言い渡し、それ以外の物も自分の使いやすいように片付けるよう言っておいた。
そして迎えた次の週末。
金曜日には自分の家の家事を終えて土曜日の午後から行くと約束したため金曜日は久しぶりに飲みに行った。
今日は待ち伏せする必要はない。
確実に約束事してあるのだからせっかくの金曜日を無駄にする事はない。家の事は明日の午前中に済ませれば良い。
友達と待ち合わせ、馬鹿な話をしながら自分のペースで酒を飲む。時也と一緒だと飲み過ぎた時に色々とすっ飛ばしてしまいそうで自制していたせいか、いつもより酔いが回るのが早い。
「最近どう?」
どうもこうもないと、なかなか進展しない時也との仲を愚痴るけれど頷いてくれると思った相手には呆れられてしまった。
「それ、普通だよ」
俺にしては珍しくノーマルな友達はそう言って言葉を進める。
「お前みたいに取っ替え引っ替えしてやりまくるのが異常だって気付いてない?
今の相手がどんな相手か知らないけどさ、その対応が普通だよ。
特にお前の爛れた恋愛事情知ってれば尚更」
酷い言われようだ。
「でもさ、お前みたいに女としか付き合わないならわかるけどそうじゃないし」
「バイ?」
「どうだろう?
でも男も女も恋愛対象の相手とは付き合えないって言われた」
「ならゲイじゃない?
だったら余計にお前じゃ無理だって」
差別はしないけれど思ったことをはっきり言う友人は俺に辛辣な言葉を投げ続ける。
「ゲイなら尚更、お前みたいに男でも女でも大丈夫って嫌だろうな。
ただでさえ認知されにくい関係なのに彼女できました、別れてくださいって言われたら泣き寝入りするしかないと思ってるんだと思うよ。
で、お前はそういうことをする男だと思われてる」
友人の言葉に反論したいものの、言われた事は正論ばかりで何も言い返せない。
「そもそもさ、その相手のこと好きなの?」
その言葉にすぐに答えることができなかった。
「一也らしいと言えば一也らしいけどさ、相手は選ばないと駄目だと思うよ?
遊びに付き合わせて良い相手と駄目な相手がいるだろ?
今の相手は遊びに付き合わせても大丈夫な相手なのか一度ちゃんと考えな」
この時の友人の忠告をちゃんと聞いておけば良かったと思う日が来るなんて、この時は考えてもみなかった。
少しずつ少しずつ変わっていく自分の気持ちに気付かず、少しずつ少しずつ変わっていく時也の気持ちにだけ目を向けて。
好かれるのが当然だなんて傲慢な考えを何時からするようになっていたのだろう。
気に入れば大抵の相手は思うようになったし、相手に望まれれば求められるがままに応じてきたのは〈恋愛〉じゃなくて〈未成熟な不誠実な戯れ〉でしかなかったことに気付いていれば未来は違ったのだろうか?
自分は〈恋愛経験〉が豊富だと思っていた俺は、結局のところ〈自分本位な恋愛ゲーム〉が得意なだけだったことに気付かずに、ただただ時也のことを傷つける事しかしなかったくせに、それなのに何であんな言葉を送ってしまったのかと今でも後悔しかない。
既読のついたメッセージ。
既読のつかないメッセージ。
俺の初めての〈恋愛〉の後悔の証。
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