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「じゃあ、もしも好きな人ができたらどうするつもり?」
「その時はきっとその気になった時なんじゃない?」
「それなら俺のこと好きになれば問題ないって事じゃん」
ポジティブなのか阿呆なのか。
「だから、男も女も恋愛対象にできる人とは付き合わないって言ってるよね」
「でも好きになったらその時なんだろ?」
「その自信どこから来るの?」
呆れて笑ってしまったそれを自分に都合よく解釈したのだろう。自分をプレゼンし始めた一也の言葉を聞きながら酎ハイを舐める。
〈俺と付き合ったら絶対に楽しい〉だとか〈俺は優しい〉とか、プレゼンになっていないようなプレゼンを聞きながらも思い出すのは彼の事で。
〈物〉は捨てることができても〈気持ち〉は捨てたつもりでも気付けば戻ってきているから厄介なのだ。
ふとした瞬間に思い出してしまう彼の事。そう言えば初めて一緒にお酒を飲んだ相手も彼だったな、と酎ハイを舐める。あの時に飲んだのもアルコール度数の低い甘いお酒で、その時に彼が飲んでいたのはビールだった。彼の部屋で僕の誕生日を祝ってもらったんだ。
彼も僕も料理なんて簡単なものしか作れないからケーキを買ってきて、ピザを頼んで。やっと解禁だとコンビニに行ってお酒を選んだのは楽しいけれど、捨て去ったはずの記憶。
20歳のお祝いだと言って渡されたネクタイは成人式の時に一度使ったきりで捨ててしまった。女の子と違って記念写真を撮ったりもしなかったからこの先見る機会もほとんどないだろう。
飲み過ぎたのか、捨てたはずの記憶が浮かび上がっては弾け散る。
プルタブを開ける指先。
缶を掴む大きな掌。
僕を引き寄せる大きな手と僕を抱き寄せる長い腕。
一也の指は彼の指よりも細く繊細で、その掌は彼の手の様に厚みは無い。
僕が帰らない様にと掴んだその手は彼のそれとは〈質〉の違う物だったけれど、この手なら僕を掴み続けてくれるのだろうか?
「時也、聞いてる?」
「聞いてるよ」
耳に届く一也の声は聞こえてはいたから嘘ではない。ただ、その内容を精査するよう言われたら答えられないけれど…。
「だから、お試しで付き合ってみたらどうよ?」
いつの間にそんな話になったのだろう?付き合う気がないと言った僕の言葉は無視なのだろうか?
「今は誰とも付き合う気はないって言ったよね?」
「言ったっけ、そんな事?」
とぼけて丸め込むつもりなのだろうか。
「気の知れた知り合いとして付き合う分には楽しいけどそれ以上は考えられないって言ったと思うよ」
アルコール度数の低いお酒にしておいて良かった。少し強めのお酒なら丸め込まれていたかも知れない。
彼のことを思い出したのも酔いが回り過ぎなかった一因だろう。
「頑固だなぁ」
呆れたように言われたけれどそこは譲れない。
「じゃあさ、週末に一緒に遊びに行ったりは?友達同士でもそれならおかしくないだろ?」
そう言われても〈友達同士〉の付き合いがピンとこない。
高校生の頃は部活帰りにマックで話し込んだり、試合の後に打ち上げをしたり、そんなこともあったけれど彼と付き合うようになってからは空いた時間はバイト優先で、彼と別れた後は〈皆〉で飲みに行ったりくらいしか遊んだ記憶がないのだ。
数少ない記憶の引き出しを漁ってみても、彼の部屋で過ごした記憶ばかりが出てきて〈遊びに行った〉記憶があまりにも少ない事に驚く。
買い物や映画に行った記憶はあるけれど、2人で遠出したりテーマパークやレジャースポットに行った記憶も無い。彼は〈嫁〉となった彼女とはどんなデートをしていたのだろう?結婚して父となった今は、家族でどんなふうに過ごすのだろう。
僕の好きだったあの手は夫の手となり僕よりも小さいであろう手を握り、父の手となった今はそれよりもさらに小さな手を慈しんでいるのだろうか。
一也が〈恋愛〉の話をしたせいで、中途半端に飲んでしまったせいで、思い出したくない記憶や考えたくもない事ばかりが思い浮かんでは消えていく。
「俺が全部忘れさせてやるから先ずはお友達から」
僕が何を考え、どんな気持ちになっているのかが伝わってしまったのだろうかというタイミングで一也が言う。
「それって付き合う前の段階で都合よく言う言葉だよね」
「だって、流石に〈知り合い〉止まりは切なくない?」
「じゃあ〈知り合い〉から始める?」
「だからそこからもう一段階進みたいんだって」
堂々巡りだ。
「知り合いとして遊びに行くのは?」
そして引く気はないらしい。
「知り合いとは食事はしても遊びには行かないんじゃない?」
「俺と遊びに行くのは嫌?」
「正直、よくわからない」
本音が溢れ出してしまう。
嫌と言うよりは遊びに行くとして、どこに行って何をするのか想像つかないのだ。
買い物は趣味が合うと思えないし、映画は何を観たらいいのだろう?
食事に行ったり飲みに行ったりするだけなら今までと変わりがないからそれだけでは一也が納得しないだろう。
「だからそれをこれからしてみようって言ってるの。身構えなくていいから先ずは俺と遊びに行ってみればいいじゃん。
行ってみたいとことかないの?」
「…無い」
もしかして僕はつまらない人間なのだろうか?
高校生になってから始めた部活はそれなりに強いチームだったせいで部活三昧の日々で、休みがあれば身体を休めることが優先だったため目が覚めたら昼過ぎなんてこともザラだった。中学生の頃からやっている友人に比べると技術も体力もない自分はとにかく練習するしかなくて、結果休みの日には疲れを取る為に家でのんびり過ごすのが常だった。
仲良くなった部活の友達は皆そんな感じで、たまに休みの日にどこかに遊びに行こうとなってもシューズを見に行ったり、テーピングを買い出しに行ったりと結局は部活が頭から離れず〈遊びに行く〉という感じではなかった。そうこうする内に彼と出会ってしまったのだ。
そのスポーツの経験者である彼からは練習の仕方や身体の休め方。シューズ選びから用品の選び方まで様々なことを教えられた。レギュラーメンバーとして試合に出るまでにはなれなかったものの、レギュラーメンバーを支えることはできたと思う。
試合に出ることのできない悔しさはあったものの、それでも一緒に練習する仲間を支えるのは性に合っていた。
そんな風に試合に出れなくてもちょこまかと動く僕のことが可愛くて仕方なかったと彼に言われた時は〈弟〉のように思われているのかと思ったけれど、僕を見る眼差しやさりげなく僕に触れる手で〈弟〉では無い事に気付いたのはいつだったのだろう。その時は一時の気の迷いだと思ってたんだ。
結局思うほど身長が伸びなかった僕は大学でそのスポーツを続けることを諦め、高校の時にできなかった事をやってみたいと思っていた矢先に彼からの告白を受けたのだ。そして、その想いに絆されて付き合ってしまったのだ。そのせいで彼と時間が合わない時はとにかくバイトに入り、彼と時間が合えば彼の部屋に入り浸る。そんな生活だったから遊び方も知らないままだった。
「時也、俺といるのにさっきから誰のこと考えてるの?」
そっと手を握り言われた言葉。
自分を見ろという意思表示なのだろうその行動に少し焦ってしまう。
「俺の話聞いてるふりしてるけど違う事考えてるよね」
図星を突かれて目が泳いでしまう。
「時也と付き合ってるのに他の女と子作りするような男、さっさと忘れたら?」
無神経な言葉だけど正論だ。
僕と付き合っているのに、僕のことを大切にすると言ったのに、それなのにいつの間にか彼女を作り結婚を決めていた彼のことなんてさっさと忘れるべきだと頭で分かっていてもふとした拍子に思い出してしまうこの想い。
〈時間薬〉という言葉があるけれど、僕は時間薬が効きにくい質なのだろう。
「そんな男のこと思い出せなくなるくらい大切にするから」
言いながら指を絡ませようとしてきた一也の手を振り解く。
「友達は指、絡ませたりしないよ」
「じゃあ友達からって事で、どこ遊びに行く?いつなら空いてる?」
揚げ足を取られるとはまさにこの事だろう。逃げようと発した言葉を拾い上げ、自分の都合の良いように解釈してしまう要領の良さは見習うべきかも知れない。
「いつの間に友達に昇格したの?」
「だって時也が友達は指絡ませないって言うから我慢したんだって。まだ友達だからね」
してやったりとニヤリと笑う一也に呆れながらも諦めて絆されてもいいのかと思ってしまった。
こんなにも自分を求めてくれるのならばもう一度信じてみてもいいかも知れない、そう思ってしまったのだ。
その日は〈友達〉認定され、帰るにはもう遅いからと言われ、ジャージと毛布を借りてソファーで仮眠させてもらった。一也は〈友達〉だから我慢すると自分のベッドに入ったものの、いつまでも「時也からこっちに来てくれたらいいのにな~」と五月蝿かったため無視していたらいつの間にか眠ってしまっていたようだ。気が付けば翌日の昼頃で時間を無駄にしてしまったと反省したのを思い出す。
一人暮らしだとどうしても家事が疎かになってしまうため週末は溜まった家事をしたかったのに、と少し落ち込みながら一也を探すとソファーの横、床の上で布団に包まって眠っているのを見つけてしまった。
「馬鹿だ…」
思わず呟いた言葉に反応してか、一也が目を開けたせいで目が合ってしまう。
「何でベッドで寝てないの?」
沈黙が苦痛でこちらから口を開く。
「だって時也が来てくれないから」
「友達だとしても同じベッドでは寝ないよね」
「そっか、まだ友達だった」
どこまで本気にしているのかニヤリと笑って〈友達〉を強調する。
悪趣味だ…。
「今日はどうする?
どこか出かける??」
嬉しそうな一也は放っておいて身支度を整える。昨夜借りたジャージは洗って返したほうがいいだろうかと悩んでいるとそのままでいいと言われたため、素直に洗濯カゴに入れさせてもらう。
「今日は家のことしたいから帰る」
「じゃあ明日は?」
「明日も家のことしたいし」
「じゃあ来週」
「来週も家のこと」
「駄目だよ」
言い切る前に言われてしまった。
「でも一也だって家のことやるんじゃないの?」
「まあ、そうだけどさ。
じゃあお互い金曜日の夜に出来ることやって、土曜日に家のことが終わり次第会うってどう?」
ああ言えばこう言う。約束を取り付けるまで帰らせてもらえそうにない。
「毎週は嫌だ」
「俺は毎日会いたいけどね」
「友達でも毎日会う必要はないんじゃない?」
「友達だから毎日会うのは我慢するけど来週は空けておいて」
まんまと丸め込まれてしまった。
「とりあえず今週は時也の着たジャージで我慢するから」
帰り際にそう言われ、無理矢理ジャージを持ち帰ったのは来週会うための一也の策略だったのか、今となっては確認のしようのない想い出で…。
そう言えばうちで泊まる時のために、とそのあと持ってきたのはあのジャージだった。引っ越しの時に捨ててしまったあのジャージはとっくに焼却処分されているだろう。
付き合い出してからはくすぐったいような、甘酸っぱい想い出だったはずなのに、今となっては苦々しい想い出。
あの時がなければ未来は違っていたのだろうか…。
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