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料理のスキルも上がり買い物も自分でできるようになると週末に2人で遊びにいく余裕も出てきたその頃。
土曜日の午前中に買い物を済ませ、何となく下拵えをして冷凍しておく。野菜が均等に減るように減りの悪い野菜はスープや味噌汁に入れてしまうことを覚えた。
肉も一種類の肉を大量に買って小分けにしていた頃に比べると数種類買ってそれぞれの使い道によって切ったり漬けたりすることも覚えた。
知らずに過ごしてきた僕は指先ひとつで何にでもつながる世界を覚え、食材の使い道に困っても調べて使い切る事ができるようになった時には一也に褒められた。
そして、僕の手が一段と有用になった時に余裕のできた僕の手は一也の手を取ってしまったのだ。
一也が他に約束があると言ったその週、久しぶりに1人で過ごす週末が淋しいと思ったのはいつぶりだろう?
きっと季節のせいだと言い訳してその気持ちを見ないふりしようとするものの、どうしても一也のことが気になってしまう。
彼と別れてしばらく感じていた淋しさはその生活に慣れていけば気安さとなった。友達のバイト先で臨時のバイトをしてみたり、誘われるままに飲みに行ったりしたけれど部屋に帰ると自分の居場所はここだと安心する日々。
時間を持て余せば図書館に行き、いくつか置かれているソファーが空いていればそこで本を読んで過ごす。空いてなければ気に入った本を数冊借りて部屋に戻って読書に耽る。
誰にも邪魔されずに部屋で読書をして過ごす時間は快適で、寝食を忘れて本を読んではお腹が空いて弁当を買いに出るのが定番の過ごし方だったはずなのに借りてきた本を開いても集中出来ない。
一也は今、何をしているのか。
一也は今、誰と居るのか。
そんな事ばかり気になってしまい、そんな自分に気付いて大きくため息を吐く。
時計を見ればそろそろ夕食の時間だけれど作る気力もなく、特別空腹でもないためその日は食事を作るのをやめた。と言っても冷凍したご飯はあるため久しぶりにレトルトカレーのお世話になる。
少し前までは定番だったメニューなのに、なぜか少しの淋しさを覚えてしまう。
サラダか何か野菜を、と思ったもののいつもの癖で買ってきた野菜は適当な大きさで切って冷凍してしまった。
少しばかり料理のスキルが上がったと思ってはいたけれどまだまだだ。
行儀が悪いと思いながらも本を見ながらカレーを食べ、片付けをしてしまったらやることがなくなってしまった。
借りてきた本は面白いと思ったものは読み終わり、ハズレだった本は読む気にならない。最近、この時間は一也と飲みながら過ごしていたのにと思ってしまうと淋しさが増してくる。
一也からは相変わらず「付き合おう」とか「いつになったら俺のこと好きになるの?」なんて言われていたけれど、こんなふうに淋しいと思うのはとっくに一也のことが気になり出しているからだろう。
この数ヶ月、週末を一緒に過ごすのが嫌だと思ったことはなく、それどころか数回目には週末を心待ちにしている自分に気づいていながらもその〈気持ち〉が何かは考えないようにしてきた。
単純に家事スキルが上がっていくのが楽しかったのもあるけれど、人との触れ合いを極力避けてきた僕は〈人から褒められる〉事に飢えていたのだろう。
食材をちゃんと使っていることを褒められ、食材の選び方を褒められ、料理の腕を褒められ。
部屋に掛けてあるワイシャツを見てアイロンの上達ぶりを褒められた時も思った以上に嬉しかったんだ。
一也に惹かれているのは気付いていた。
それは〈この人が好き〉という強い想いではないけれど、徐々に心を開き、徐々に気持ちを向け、一也の優しさに触れる度にもっと一緒にいたいと思うようになっていった穏やかな感情。
この人に触れたいと思うことはないけれど、この人と一緒にいたいという気持ちに嘘は無い。この人に触れたいと思った時が受け入れても良いと思った時なのだろうか?
男性と付き合った経験のある僕は、男性としか付き合えないであろう僕は慎重にならざるを得ないのに。好きな人が自分の前から去っていくなんて、そんな経験を何度もしたくないから。
そう考えると一也の気持ちを受け入れるのを躊躇ってしまうのは男女どちらとでも恋愛できてしまう恋愛観がネックになっているせいだろう。
「子どもができたんだ」
この言葉は僕の中で大きなトラウマとなって、僕の気持ちを、僕の行動を制限する。
自分以外の相手と過ごしているかと思うと落ち着かないけれど、一緒にいたいと伝えることは躊躇われる。
だけど、その誰かと過ごすからと週末を一緒に過ごすことができなくなると言われたらその時僕は笑って「今までありがとう」と言えるだろうか。
こんな事を考えている時点で答えは出ているような物なのに、それなのに僕には一歩踏み出す勇気はない。
最近の週末は時間が過ぎるのが早かったのに久しぶりに1人で過ごす週末は気楽だけど時間の流れが遅くて戸惑ってしまった。家事のスキルが上がったせいもあるのだろうけれど、やるべきことが終わると時間を持て余してしまう。
土曜日に読み終わってしまった本を返却しながら再び図書館で過ごそうと試みるけれど、借りたら返却しなければいけない。通勤途中に返却に寄るには方向が違うためどうしても週末に図書館に行かなければならなくなるのだけどその時間があるのならば違う事に使いたい。はっきりと言ってしまえば一也との時間を減らしたくない。
好きだった店に行ってみても欲しいものも見つからないし、何か見つけた時に話しかけようと隣に一也を探してしまう。
「こんなはずじゃなかったのに…」
自分の気持ちを認めたくなくて思わずこぼしてしまう。本当にこんなはずじゃなかったんだ。
恋愛対象が同性だけだったら〈子どもができた〉なんて抗うことのできない理由で別れを選ぶ事は避けられるだろう。だけど恋愛対象が男女どちらもだとまた〈子どもができた〉と言われる可能性があるのに。
あんな目に遭うのは懲り懲りだから好きになんてなりたくなかったのに。それなのにこんなふうに思ってしまう時点で手遅れなのだろう。
今日を機会に会う回数を減らしたほうがいいのかもしれない。そう思ったところで一也から連絡があれば予定を空けてしまうのだろう。と言うか、僕に予定が入ることなどまず無い。
試してみようか。
それは名案に思えた。
来週は僕に予定がある事にして会わないようにしてみよう。少しずつ少しずつ距離を空ければ気持ちも薄まるかもしれない。今はそんな不安定な要素に頼るしか無いのだ。
それを実行すべく、一也から来た週末の予定を伺うメッセージに今週は僕に予定ができたからと答える。外出する予定があるから会えないと。
僕が一也の予定を詮索しないように一也も僕の予定を詮索したりはしない。だけど、その事を淋しいと思ってしまう僕の気持ちはもう末期なのだろう。
1週間仕事をこなし、土曜日に家事をする算段をつけ日曜日は何処か行くところを探そう。何か趣味を見つければこの気持ちを薄めることができるかもしれない。何処に行こうか、何をしようか。
それを考えるのは楽しみを見つけると言うよりも、何かから逃げるような焦燥感を伴い僕の気持ちを荒立てる。
部屋を知られていなければ部屋にこもって過ごすこともできるけど、部屋を知られている以上少しでもリスクを伴う事はしたく無い。部屋にいるのにいないと嘘をついて、それが何故かと追求されたらこの気持ちを隠し通す自信がないのだ。
そして予定した通り1週間仕事をこなし今週は何を買い足そうかと考えながら帰路についた少し肌寒い金曜日、駅を出たところで声をかけられた。
「時也」
その声を聞いて驚いてしまったのは嘘を吐いた後ろめたさがあったせいだろうか。何気ないふりを装い声の主を探す。声の主、一也は少し不機嫌そうな顔をして僕に近づくと「ちょっといい?」と聞かれる。その雰囲気に逃げ出したくなったけれどそれを許されるとは思えなかった。
「どうしたの?」
冷静を装い返事をするけれど気を付けないと目を逸らしたくなる。
「飯、行くよ」
有無を言わさず連れて行かれた先は行きつけの居酒屋で、一也の元バイト先。家事を教わるようになってからは家で練習を兼ねて食事をしていたし、出かけた時は出先で美味しそうな店を探していたためこの店は久しぶりだ。
チェーンの居酒屋ではなくてちょっとだけ良い居酒屋のその店は大人数の飲み会には適しておらず、それぞれの席が個室っぽくなっているところが過ごしやすくて2人の時によく利用する店だけど、今日はその〈個室〉っぽさが居た堪れない。
席に着き飲み物といくつかのつまみを頼む。その間、僕は一切話していない。何を言っていいか分からないのもあったけれど、一也も口を開かないため互いに沈黙したままだ。一応、4人で座れるようになっているのに僕の隣に一也が座ったせいでおかしな座り方だと思われているのではないか、そんなことも気になってしまう。
どうしたらいいのか戸惑っている間にお通しと飲み物が運ばれ来る。一也はビール、僕の分は何がいいかも聞かれずに頼まれた僕の好きな〈甘いお酒〉。
無言で飲み出す一也を習い僕もその甘いお酒をゆっくりと飲む。普段部屋で飲む甘いお酒はアルコール度数が低く、甘いお酒=アルコール度数が低いと思っていた僕はオレンジのせいでアルコール度数の割に飲みやすいそのお酒の意図になんて気付いてなかったんだ。
家で飲む缶酎ハイにはアルコール度数が書いてあるけれど、居酒屋で飲むカクテルにはアルコール度数が書いてない。それを失念していたのは一也の態度に緊張していたせいか、久しぶりに会えた事を素直に喜べなかったせいか…。
「で、時也は週末何するって?」
つまみが揃った時点で一也が口を開く。つまみが揃うまでお互いに無言だったせいでグラスの中はだいぶ減っていて、最後のつまみが来た時点で同じものを1つずつと頼んだのを止める事はできなかった。
こんなはずじゃなかったのに。今夜は肉を焼いて使いきれなかった野菜で味噌汁を作るつもりだったのに。そんな事を考えながら飲んでいたのに思考を止められる。
「ちょっと行きたいところがあって」
「ふ~ん、そうなんだ」
適当な言葉に対する返事は棒読みの言葉で、それ以上何を言っていいのかわからず言葉が続かない。
一也はそれ以上何も言わないし、僕も何を言っていいのかがわからず沈黙が続く。
「そうやって俺が諦めるまで逃げるつもりなの?」
1杯目のビールを飲み干して呟くように言った言葉は全てを見透かしたような言葉だった。
「俺と合わない週末は快適だった?」
返事のできない僕を置いてけぼりにして一也が言葉を続ける。
「料理もできるようになったし、俺は用済み?」
今日は会った時からヒリヒリとした雰囲気だったけれど、これはどう見ても怒っているのだろう。それにしても僕の嘘はどうしてバレてしまったのだろう…。
「用済みだなんてそんな事」
「でも俺に会いたくないんでしょ?」
話そうとしても中断されてしまう。
「俺の何が駄目だった?
何が嫌だった?」
矢継ぎ早に続く言葉に口を挟む暇もない。
「別に駄目なことも嫌なことも」
「でも会いたくないって事はそう言う事でしょ?」
今日の一也は何か変だ。
少し怖くなって店を出ようかと様子を伺うけれど僕が座ったのは奥で、一也が座っていては僕はこの席から出ることができない。
仕方なく甘いカクテルを少しずつ飲んでいると新しく来たものを目の前に置かれ、それが催促されているような気になり1杯目のカクテルを飲み干してしまった。
「会いたくないなんて言ってない。用事ができたから今週は会えないって言っただけで」
「でも嘘でしょ?」
一也は一体何を知っていて、何に気付いたのだろう。
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