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「俺は時也のこと、大切にするから」
俺は、とは彼と自分を比べているのだろうか。
「約束だよ」
「俺のこと信じな」
そう言って僕の手に自分の手を重ねる。
僕は欲しかったものを手に入れることができるのだろうか?
「時也と付き合ってる間は女に興味持たないし、時也のことしか好きじゃない」
僕にとって殺し文句でしかないその言葉。
「約束だけは守って欲しい。
約束だけは破らないで」
一也の手を握り返し、その気持ちを受け入れたのは自然の流れだったのか、酔った勢いだったのか。
「大切にするから」
個室っぽいのをいいことに人の目を盗んで唇を重ねてきた一也を拒む事はできなかった。
触れるだけのキスは感情を昂らせ、気持ちを抑えるのが難しくなる。
「時也、好きだ」
触れるだけのキスの合間に囁かれる言葉。
こんなのは狡い。
狡いけれど、もう離れる事はできない。
「お願いだから、僕を独りにしないで」
僕の切実な願いを聞いて「大丈夫だから」と「時也しか好きじゃないから」と繰り返し、酔った僕の頭にその言葉を刷り込んでいく。そしてその言葉を信じた僕は深みに嵌っていったのだ。
その日は一也の部屋にそのまま連れて行かれ、酔って正常な判断ができなくなっていた僕は一也に請われるままに心を許し、身体を許した。
と言っても彼と別れて以降、誰とも身体を重ねていない僕に一也を受け入れる事はできなかった。できなかったのだけれど、想いの通じ合った僕たちは触れ合うだけで満足だったんだ。
好きだ
大切にするから
ずっとこうしたかった
時々怖くなって一也に縋ってしまう僕に気付き、その都度囁かれる言葉。
酔った勢いで一也の気持ちを受け入れてしまったけれど、時々冷静な自分が戻ってきて怖くなってしまい、その原因である一也に縋ってしまう。そんな僕を見て「可愛い」と嬉しそうに言いながら、その言葉を発した唇で、その指で僕の欲望を高めていく。
「時也、愛してる」
その言葉に答える事はできなかったけれど、それでもその言葉を受け入れたんだ…。
それからも一也は遠慮することなく僕に気持ちを伝え続けてくれた。
付き合う事を決めた日の翌日、やや二日酔い気味で事の顛末に戸惑う僕をそっと抱きしめて言ってくれた言葉。
「時也だけを大切にするし、何があっても約束は守るから」
だから僕は一也を信じたんだ。
一也の僕に向けてくれた気持ちを、僕が一也に向けた気持ちを大切にしようと思ったんだ。
元から週末は2人で過ごしていたせいで付き合い始めたからといって生活が変わる事はなかった。
平日は仕事をし、週末は僕の部屋で過ごす。違うことといえば飲み過ぎなくても一也が泊まっていくことと、僕には少し大きいあのジャージがクローゼットでその存在を主張するようになったこと。
それと、身体を重ねるようになったこと。
一也は流石というか何というか、手練れであるためブランクのあった僕の身体はいとも容易く籠絡された。彼と違うその指先や手順に戸惑うと僕の意図などすぐにバレてしまい、一也のやり方を覚えこまされるかのように繰り返される指先と手順。
時には言いたくない事を言わされ、やりたくない事を強要されたけれど「俺としてる時に違う男のことを思い出す時也のせいだから」と言われてしまえば従うしかない。
確かに逆の立場ならその気持ちがわからないでもない。
僕と一緒にいるのにここが違う、あそこが違うなんて考えられながら抱かれるなんて苦痛でしかない。
そう思えばここが違う、あそこが違うと抱かれながら考える僕が悪いのだ。
一也は正しい。
僕の恋人は家事もできるし容姿も整っている。
話も上手く、多少自信が過ぎるところはあるけれどそれは一也にとっては魅力でしかない。
人付き合いも良くて愛想もいい。
職場は名前を聞けば誰でも知っている会社だ。
ハイスペック男子と呼んで問題ないだろう。
それに比べて僕は家事はそれなりにできるようにはなったけれど所詮それなり。
人付き合いは悪く、一也がいなくなったらまた独りだ。
職場もやりがいはあるけれど一也の会社と比べてしまえばそれなりでしかない。
そう思うと強引に僕に付きまとっていたと思っていた一也の行動は、僕にとってはありがたい行動だったのかもしれない。
金曜の夜はそれぞれの部屋で1週間溜め込んだ家事をする。だいぶ慣れたのと、一也との時間を減らしたくないため金曜日の帰りに買い物をしてその日のうちに下拵えをするようになった。
土曜日になると一也が僕の部屋に来て土曜日曜は2人で過ごす。
出かける時もあれば部屋でのんびりする時もあるし、身体を重ねる時もあれば何もしないままくっついて眠る日もある。
食事は僕が作る時もあるけれど、料理の腕前は一也の方がだいぶ上なので作ってもらうことの方が多い。そんな時は大体一也が材料を買ってきて振舞ってくれる。
リアルな話、週末に2人で過ごすとなると光熱費だって倍かかるためそれを相殺するために一也が料理担当と暗黙の了解のようなものだ。
時は穏やかに過ぎていく。
一也はその言葉通り僕のことを大切にしてくれたし、男女問わず僕以外に心を向ける相手はいないようだ。
だけど生活には少しずつ変化が現れる。
動画配信サイトを契約したせいで映画館に足を運ぶ事は無くなった。よほど観たいものがなければ家でのんびり観た方がいい。家で観ながら時也とイチャイチャしたいと言われ、納得してしまったのだ。
確かに部屋で映画を観る時は僕を膝の間に座らせたり、膝枕をねだったり、映画の内容によっては気持ちが盛り上がってしまいそのままバスルームに移動する時もあった。
買い物は僕があまり物欲が無いせいで一緒に行っても話が合わず、ゆっくり買い物をしたい時は土曜に来るのが遅くなったり日曜に早く帰るようになった。
はじめのうちはそれでもと一緒に行ったけれど、服の系統も違うし気になる小物も違う。僕が一也に付き合うのは苦にならないけれど、一也を興味のないものに付き合わせるのは忍びなくて自分の買い物をしなくなった僕を見かねてそうなったのだ。
僕の欲しいものはどこにでも置いてあるような物だけど、一也は小物一つにも拘りたいタイプだから仕方がない。
水族館とか動物園とか、遊園地とかテーマパークとか。行ってみたい気持ちはあるけれど男2人で行っていいものなのか、変な目で見られないかと考えてしまうと足を向ける気にならなかった。
一也は大丈夫だと言ったけれど、そういう場所は男女のカップルやファミリーが多く自分がそこにいることを想像すると罪悪感を感じてしまう。
男友達と数人で行く分には楽しそうだけれど、2人で行くのは躊躇われるのだ。
そうやって2人での行動範囲が狭まっていくのだけれど、仕事で出張があったり取引先に足を運んだりと実際には行動範囲は学生時代に比べて格段に広くなっている。
そのせいで週末はのんびり過ごしたいと思ってしまったのは駄目なことだったのだろうか?
僕たちの付き合いは大っぴらにするようなものではないため職場や友人にはわざわざ告げることもしなかった。
ただ「彼女できた?」と問われれば〈いない〉と答えるけれど、「パートナーいる?」と聞かれれば〈いる〉と答えるだろう。
もしくは「恋人はいるか」と聞かれれば〈いる〉と答えたはずだ。
大きな喧嘩もなく過ぎて行く日常。
一也との付き合いは僕にとっては日常となっていった。
当たり前の毎日が当たり前に続く日常。
それでも時折僕を襲う焦燥感。
2人で過ごした週末、変な時間に目が覚めてしまった僕は心細くなってしまい一也を探す。
と言っても隣にいるし身体だだって触れ合っている。触れ合っているのだけど不安でその手を探す。
疲れているのか僕が身動きしてもぐっすりと寝入っている一也の手をとりそっと握りしめる。
僕よりも大きくて、少し堅い手をそっと握りその手に顔を寄せ、その体温と匂いで一也のことを再確認する。
この手は僕の物だから大丈夫。
この手は僕の手を離さないから大丈夫。
自分にそう言い聞かせないと不安になってしまうのは何故なんだろう…。
2年周期で変化して行く僕の日常に不安はあったけれど、その不安な2年目が過ぎ3年目に入ったところでやっと安心する事ができてんだ。
もう大丈夫、そう思ったんだ。
付き合いも3年過ぎればお互いわざわざ告げなくても気持ちがわかってしまうため余計な会話もなくなった。
それでも週末は僕の部屋で過ごし、時には身体を重ねる。
いつしか食事は僕が作るのが当たり前となり、身体を重ねるために一也が手間をかけることはなくなった。
僕の家事スキルが上がったため料理によっては一也よりも美味しく作る事ができるようになったし、一也を受け入れるのが当たり前となった身体は僕が慣れたこともあり一也の手を煩わせることなく受け入れる事ができるようになっている。
僕たちの関係が変化したのは世の中のカップルにとっても良くある変化で、所謂〈倦怠期〉なのだろうと思っていた。
一也は相変わらず優しくはあるし、僕以外の誰かを感じさせることもない。
食事を作らなくなったことに後ろめたさがあるのか毎月〈食事代〉と言ってお金を渡されるけれど、それは使わずに保管してある。
いつか2人で旅行に行けるほど貯まった時にはサプライズを、と思っているけれどそれがいつになるのかは場所次第だ。
長年連れ添った夫婦はこんな感じになるのだろうか?
そして付き合いも4年目に入り年度が変わる時に一也から来た連絡。
《ゴメン、新人教育任されてしばらく忙しい》
そんなメッセージの後で週末に行けない時が出てくるかもしれないと告げられた。
僕の会社はそこまで大きくないせいか、入社3年目あたりから後輩の指導を任されるようになっていた。〈指導〉と言っても営業に一緒に連れて行ったり、会社特有の書式を教えたり、通常業務を教えながらできる程度の指導で今のところ困った事もない。
アットホームな会社のせいなのか、会社内での派閥などもなく誰かが困っていれば助けて当然。自分が困った時に助けてもらったことを忘れず、その気持ちを次に何かあった時に繋げるようにといった感じなので万が一〈困っていても〉困る事がないのだ。
それが当たり前だと思っていたため週末に時間が取れない程の新人教育とはどんなものなのかと思わないでもなかったけれど〈大手〉になると事情が違うのだろうと無理矢理納得した。
会社が違えば事情も違うのだ。
うちの会社だって今年も新入社員が入るためきっとまた指導する機会もあるだろう。僕も負けないように、そんなふうに思っていたのに。
一也が頑張っているのだから僕も頑張ろうと思っていたのに。
4月に入りうちの会社も新入社員が出社するようになると何かと世話をする事が増えたのだけど、今まで任されていた新人教育を同期が主になってやることになったため僕は少し凹んだ。
一也に話を聞いてもらいたかったけれど〈忙しい〉と言われてしまうとそれもできなくなる。平日は無理だと納得はしていたけれど、こんな時に話をできない関係だと思うと少し淋しい。
これだけ長く付き合っていても一緒に暮らそうという話が出ないのは何故だろう。一緒に暮らしたいと言えないのは何故だろう。
それでも週末になれば会える、それを楽しみに1週間頑張ってきたのに土曜日の昼過ぎに入ったメッセージ。
《ごめん、今日行けない。
っていうか、しばらく行けそうもない》
こんな大切な事をメッセージで送るなんてと思い、一也の番号を呼び出して電話をかける。だけど一也が出る事はなかった。
《今、仕事してるから。
行ける時はこっちから連絡する》
そっけないメッセージ。
土曜日まで仕事だなんて新人教育がうまく行ってないのか、新人教育でとられた時間を土日で埋めようとしているのか。
忙しい。
そっちに行けない。
行ける時は連絡する。
そんな風に言われてしまったらこちらから連絡を取り辛くなってしまう。
幸いな事に僕も仕事が忙しくなったため少しは気が紛れるものの、ふとした拍子に淋しくなってしまう。
仕事は新人教育の代わりにやって欲しい事があると言われ、先輩の営業に連れて行かれる事になった。
今までも営業には行っていたけれど、今回は先輩の顧客や先輩が今担当している案件の取引先に連れて行かれる。
はじめのうちは戸惑ったものの先輩の抱える案件を考えると引き継ぎのために僕を連れ回しているのだろうと思い、何があっても困らないための顔合わせなのかもしれないと思い至った。
それならば先輩の期待に応えられるようにと気を張るせいか、帰宅すると食事を作る気力もなく食生活がいい加減になってしまう。
食材の減りは悪くなり、コンビニ弁当のパッケージが溜まっていく。
米を炊くのが面倒で冷凍うどんを常備しておいて適当に煮ることを覚えた。
めんつゆや白だしでかけ汁を作り卵を加えれば立派な卵うどんだ。
小口切りにして冷凍しておいたネギを散らせばそれなりに見える。
使われない野菜は霜がつき、肉は解凍されないまま残っていく。
うどんの買い置きがしたくてそれを無理矢理使い、僕の部屋の冷凍庫はいつしか冷凍うどん専用となった。
野菜室にわずかばかりある野菜が何か言いたげだけど見て見ないふりをする。
朝は手間がかかるのが嫌でロールパンとヨーグルト、それにコーヒーが定番となった。
トーストを焼くことさえ面倒だと思ってしまう僕は〈ちゃんと食事はしている〉と言う事実で自分を無理矢理納得させていたのだ。
コーヒーを作りロールパンを齧る。
ヨーグルトを食べるとなんとなく健康的な気がした。
4個パックのヨーグルトは賞味期限も長く重宝するし、夜に本当に食欲がない時はこれを食べればなんとなく心が落ち着いた。
減って行く食欲と増えていくプラごみ。一人暮らしで1番増えるゴミはプラごみなのかもしれない。
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