敦志編

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 時也からの連絡を少しだけ期待していたのに、それなのに連絡がないまま終わった夏休み。  後期の授業が始まるため久しぶりに顔を合わせた時也は日焼けすることもなく、休み前は普通にショートスタイルだった髪型は前髪がかなり伸びていてその表情を隠してしまっていた。  後ろはスッキリとしているで切っていないわけではないのだろう、と何気なく見ていた時に見つけてしまった赤い痕。  大学生で彼女もいるのだ。それが何の痕か分からないほど初心ではないし、付き合っている相手がいればそんなこともあるだろう。だけど、時也には似合わないその痕から思わず目を逸らしてしまった。  首の後ろ、Tシャツからは出てしまうけれど上に一枚シャツを羽織れば見えない位置にあるそれは、意図してつけられたのかもしれないと思う程に絶妙な位置で、彼女の独占欲を表しているように見える。 「時也、前髪長すぎない?」  赤い痕から目を逸らし、話題を探して言ったその言葉に少し困ったように笑う時也を見て、その髪型も彼女の意向だと気付いてしまう。  気弱で大人しく見える時也に痕を付け、その顔を隠すように前髪を伸ばす事を強要したのだろう。確かに時也は地味に見えて綺麗な顔をしている。身近な友人以外にも表情豊かに接すれば仲良くなりたいと思う相手はそれなりに多いだろう。そして、時也の彼女はそのことをよく理解しているのだろう。  その独占欲にどんな女と付き合っているのかと心配になるけれど、恋愛なんてそんなものかもしれないと見て見ぬ振りをする。  そもそも、自分自身恋愛にあまり興味がないため人の事は正直どうでもいいというのが本音だ。時也の〈痕〉だって俺以外の誰かが気付けば大騒ぎになりそうだからと心配にはなるけれど、万が一誰かに見つかって揶揄われたとしても自分の彼女の独占欲に満更でもないのかもしれない、と思って追求する事を止める程度の恋愛知識しか無い。  幸か不幸か、それなりの顔をしているため声をかけられる事だってもちろんあったけれど心を動かされる事はなく、だからと言ってアセクシャルかと言われればそうでも無い。人並みに性欲だってあるし、今現在恋愛をしたいと思わないだけで好きになった人がいれば付き合いたいと思うのだろう、きっと。だけど今のところ好きになる相手がいないのだから恋愛をしたいと思わないのは仕方がない。  我ながら面倒臭い男だ。  時也に独占欲の強い彼女がいたところで俺には全く関係無いため友人としての付き合いは変わらないのだけど、時也自身は夏休みを境に性格が変わった、とまではいかないものの一段と自分のことを話すことがなくなった。  大学生の夏休みは長い。  一人暮らしをしている友人は久しぶりに実家に帰ったと話し、夏休みに彼女ができた友人は惚気まくって呆れられている。  趣味のキャンプを楽しんだ友人は笑えるほどに日焼けをしていたし、バイトに明け暮れた友人は念願のバイクにまた一歩近づいたと笑う。  それぞれの夏休みの経験を交換する中で、俺自身は親族なのをいいことにバイトに入れられまくったせいで貯金は増えたけれど、今のところ免許を取るための資金ぐらいしか使う予定はない。  学生の内はとりあえずできるだけ学びたいと思っているためそちらが優先だけど、欲しい資料は図書館に行けば読むことができるし、無いものを購入すると言っても何冊も買うわけではないため貯金は増え続けている。実家住みなため食費もかからないし、ファッションにも興味がないため量販店の服で満足だし、金のかかる趣味も無い。  そう思うと変わり映えのない自分が少しばかり情けなくなる。 「時也は仲良さそうだね」  周りの話を聞きながら思わずこぼしてしまった言葉。 「え?何で??」  その狼狽えぶりに〈痕〉の事を知って知るのかと思ったのだけれど、そこを気にする様子はない。それでも時也の変化と〈痕〉は無関係ではないだろう。深い仲となり彼女から何らかの指示があっての性格の変化かもしれない。 〈痕〉を見てしまったせいでついつい詮索したくなってしまうけれど、それは時也の望むところではないと思っていることとは違う内容の話を振ってみる。 「暇ならバイトに来ないかって誘ったのに1回も連絡くれなかったし」 「あっ…」  きっとバイトの話も覚えていないくらい夏を楽しんだのだろう。 「ごめん、お盆向こうが休みだったし平日は普通にバイトしてた」 「もしかして相手、社会人?」  その言葉に困ったように頷く。 「なかなか会えないから休みが取れたら僕も休めるようにと思って、普段からバイトは詰めてるんだ。  バイト先は向こうの知り合いの所だから、その辺も理解してくれてるし」  そう言って嬉しそうな顔を見せるけれど、俺からしてみれば良いように使われているのではないかと心配になってしまう。 「平日って、何時から何時?」 「学校がある時は空いた時間に顔出してできる仕事をしてたけど、休みの間は普通に9時6時かな?」 「それ、毎日?」 「そうだね」  以前話した時は店番としか聞かなかったけれど、詳しい仕事内容を聞いてみれば〈個人書店の手伝い〉というのが時也の仕事で、店番から本の整理、オンラインで注文を受けた書籍の発送など案外多義にわたる仕事をこなしているようだ。 「時給は?」  話を聞いてみればそれ程待遇が悪いわけではなさそうだけど、それでも大学生にそこまで任せるのはどうかと思ってしまう。 「それって楽しい?」 「楽しいって言うか、都合が良い?  出来るだけバイトに入って、真面目ポイント稼いでおけば休みたい時に休めるし」 「何、その真面目ポイントって」 「例えば週に働く日が4日だとするじゃない?だから5日働けば真面目ポイントがひとつ貯まるから次の週は3日働けば良いって、それが真面目ポイント」  時也の答えに頭を抱えたくなった俺は、それでもと思い聞いてみる。 「週に4日とか決まっててそれプラス行ってるってこと?まさか強制されてるとか?」  あまりな勤務条件に思わず確認してしまう。知り合いなのを良いことに、都合よく使われているのではないかと心配になってしまったのだ。自分が身内からこき使われているのとは違うような気がするのはきっと気のせいじゃない。 「強制されてるわけではないよ。  その、時間があると顔を出してくれるから…」  そんな風に照れたように答えるけれど、俺の心配が解消されることはない。  時也が言うには店主が1人いるだけなので、時也がバイトに行くと店主が休憩できると。夏休みなどの長期休みだと、時也が店番をしていれば店主は他の仕事ができるためありがたいと。  かなり店主の趣味を押し出した本屋のようで、新刊と中古品を同時に扱い仕入れなどは店主が直接行うため時也の存在は必要不可欠なようだ。  それでは時也の趣味と合った店なのかと聞けば、「好きな本もあるけど僕とは少し趣味が違うかな?」と答える。  趣味ではないけれど仕事としては悪くないと思っていると言い、暇な時にでも売り物の本を読むのは申し訳ない気がするため気になった本は購入するものの、店に置いておくわけにはいかずに持ち帰ってしまえば読む時間もなく、自宅の本棚には読んでいない本が溜まっていくだけだと教えられる。  バイトをしながら売り上げにも貢献しているわけだ。  結局は彼女との時間のために都合よく使われているのではないかと少し苛ついたけれど、本人がそれで良いのなら何も言うことはできない。  その時からだ。何かに付けて自分のバイト先に時也を誘うようになったのは。  初めは渋っていた時也だったけれど、店主が〈仕入れ〉と称して数日間休みを取る時には俺のバイト先の手伝いをしてくれるようになったのは俺がしつこく誘ったから。  本屋でのバイトを辞めてこちらに移れば良いのに、と思ったのは時給がこちらの方が良いからだったけど、これが時也の秘密を知ってしまうきっかけとなる。  その日は本屋は仕入れのため数日間休みだと聞き、暇ならばと懲りずにバイトに誘ってみた。平日だったせいで彼女との約束もなかったのだろう。珍しく俺の誘いに乗った時也は「飲食のバイトは自分にはハードルが高いと思ってたけど敦志が一緒なら安心できる」と笑顔を見せて俺を喜ばせた。  友人として信頼されるのは悪くない。  初めてバイトを手伝ってもらった日、制服なんてたいそうなものはないけれど、コックコートとエプロンは用意してあるため黒っぽいパンツだけ用意して欲しいとお願いしておき、その日は学校が終わってそのまま俺のバイト先に向かう。時也は細身の黒のパンツにTシャツ、丈の長いジャケットだったためTシャツの上からコックコートを着るつもりかと心配したけれど、中にインナーを着てきたと言い俺を安心させる。ならばと着方を教えながら着替えてしまおうとしてインナーだけになった時也を見て動きが止まってしまった。  インナーを着た後ろ姿に多数に飛ぶ赤い痕。  以前見付けた首筋の痕よりもより鮮やかに、より多く付けられたそれに違和感を感じる。  自分の持つ知識を総動員して考えても、後ろ姿にこれほどの痕を付けるには本人の了承がないと付けられるものではないのではないかと思うのだけど、こんなにも濃く、こんなにも多数の痕をつけておいてわざわざ見せるということを時也がするだろうか?  そもそも、彼女が彼氏の背中に多数のキスマークを付けるのは一般的なことなのだろうか。 「今日の事って彼女に言ってあるの?」  動揺を隠しながら聞いてみると「言ってあるよ。その間は連絡取れないって伝えておいた」と答えが返ってきたため分かっていて見える位置に痕を付けたのだろうか、と考えるとその痕にどうしても視線がいってしまう。  痕の存在が気にはなってしまうもののコックコートを着てしまえば見えないし、時也本人に聞くわけにもいかず2人揃って着替えてバイトに入る。  そしてその日以降、一緒にバイトに入る度にその〈痕〉を見せつけられる事になるのだった。  バイトそのものは順調だった。  平日の夜はそこまで忙しいわけではないため接客をしながら仕事を教えていく。普段は本相手の仕事のせいで人と接するのが苦手なのかと思っていたけれど、意外に人と接するのが上手くて驚かされる。周りの様子を見て動くことも上手く、大学での人慣れしない様子とは違うことに違和感を感じる。 「時也って接客とかしたことあるの?」 「接客は本屋で一応してるよ?」 「そうじゃなくてもっと、なんて言うか…」 「あ、高校の時に運動部でマネージャーみたいな事はしてたよ」 「みたいな事?」  そう言えば先輩からもマネージャーの話は聞いていたけれど、時也からは直接聞いたことがなかったため話を促す。 「レギュラーになれないから試合の時は臨時のマネージャーだった」  苦笑いというよりは、痛みを堪えるような顔でそんなことを言われてしまった。時也にとって、あまり思い出したく無い事なのかもしれない。 「そっか。  人のこと見ながら動くのが上手いから飲食の経験無いって言ったけど、何かしてたのかと思って」 「それなら、その時の経験のせいかもしれないね」  やはり少しだけ痛みを耐えるような表情を見せる時也は自分の待遇や自分の行動に納得がいってないのかもしれない。 「そう言えば前に先輩が時也のことナンパしたのは自分だって言ってたな。  試合の時も、友達を見にいくつもりがついつい時也を見てたって」  笑い話のつもりで言った言葉だったのに、それなのに時也の見せた表情は戸惑いと羞恥でその理由がわからずこちらも戸惑ってしまう。 「先輩、他にも何か言ってた?」  その時のリアクションと言葉で時也の相手と先輩に関わりがあるのかと思ったけれど、先輩からは何も聞いてはいない。それでも、もしかしたら先輩の友人であるマネージャーが時也の彼女なのかとも予想を立てる。先輩と同級生ならば就職していても不思議ではない。  年上の独占欲の強い彼女を想像して時也とはお似合いだと思った時に少しだけ感じた嫉妬のようなものは、〈庇護する対象〉だと思っていた時也にちゃんと庇護してくれるであろう相手がいる事を見せつけられたせいなのか、無防備な時也の背中に大量の痕を残す相手への憧憬なのか。 「時也は弟みたいなものだって言ってたよ」  時也の言葉にそう答えるとあからさまにホッとした顔を見せるためそれ以上は何も言わない事にしたけれど、時々バイトを手伝ってもらった事が〈彼〉にやきもちを妬かせていたなんて、恋愛偏差値の低い俺には想像すらできていなかったんだ。
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