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「おまえもそろそろ嫁をもらったらどうなんだ?」 「せめてそのくらいの甲斐性はないとなぁ」  うるさい。言われなくてもわかっている。 「出来損ないでも嫁くらいはもらえるだろう?」  酒の席での言葉だと聞き流していたが、さすがに「出来損ない」という言葉にはカチンときた。言った奴をひと睨みすると、その隣で杯を(あお)っている奴が笑いながら口を開く。 「見た目ははな垂れ小僧でも、人なら嫁になってくれるさ」 「はな垂れ小僧とは無礼だろう!」  思わず怒鳴り返してしまった。すると「そういうところが小僧なんだよ」と次々に笑いが起きる。 「人の嫁をもらうのは古臭いという神もいるが、我ら竜神は人と交わってこそ神通力が増すというもの。昔は生贄という形で定期的に嫁をもらうことができたが、いまは我らのほうから積極的に嫁取りにいかねばならん。わかっているのか?」 「……わかっています」  さすがに最年長者に怒鳴ったりはできないが、ため息をつく姿には腹が立った。 (誰も彼もが一番下だと侮りおって)  たしかに五十年そこそこしか生きていないのだから、ほかの竜神たちから見れば小僧のようなものだろう。それでもわたしだって成人した立派な竜神だ。だから嫁取りの話も出ているわけで、酒の肴におちょくられるのは腹が立つ。  あちこちで「小僧がどんな嫁を取るのか楽しみだ」と笑い声が起きるなか、「そんなに慌てなくてもいいさ」という声が聞こえてきた。 「あなたはたしか……」  隣で杯を傾けているのは、ここより南にある辰咜山(たつたやま)に棲む竜神だ。「名は何だったかな」と考えていると、赤い眼がちらりとわたしのほうを見る。 「嫁取りは時期が来れば自然とそうなる。竜神にとって嫁取りは必然だからな」 「そうなんですか?」 「俺は千年近く生きているが、嫁を取ったのはほんの少し前のことだ」 「千年、」  それは最年長の次に長命じゃないか。さぞやすばらしい神通力を持っているに違いない。そう思って改めて姿を見てみるが……何と言うか、あまりパッとしない印象だ。  褐色の顔つきはそれなりだが、適当に整えたのであろう髪のせいかくたびれて見える。それなのに着物だけはパリッとしていて、それがさらに珍妙に見えた。 (もしかして、着物は嫁が用意したのだろうか)  ふと、自分の着物に視線が向いた。竜神の集まりは着物だと言われ、三十年ほど前に仕立てたものを今日も着ている。自分では悪くないと思っているが、古臭く見えるこの着物が若輩者に見せているのかもしれない。 (こういうものは嫁に見立ててもらうのがよいのだろうな)  竜神を慕う嫁の見立てなら、もう少し立派に見えるのかもしれない。それに嫁を取れば一人前になった証にもなる。これまであまり真剣に考えてこなかった嫁取りだが、いい頃合いかもしれない。 「あなたはどうやって嫁を見つけたんですか?」 「いわゆる生贄だ。俺のねぐらの周辺では、竜神に嫁という名の生贄を差し出すのが慣わしだったからな」 「やはり生贄が一番か……」  今日集まっている竜神のほとんどが生贄を嫁に迎えている。しかしいまの時代、竜神に生贄を捧げる風習が残っている土地などほとんどなかった。わたしが誕生した土地は古くから人が住んでいるが、そんな場所でさえ古来からの風習は廃れてしまっている。 (我らはもはや昔話や神話といった世界の存在でしかないのだろう)  そんな存在を心から敬い畏れる人などいないに等しい。これでは生贄を探しても見つからないに違いない。 「生贄で嫁取りをするのは難しいだろう。だから俺の話は役に立たないぞ」 「わかっています。しかし生贄以外で嫁取りとなると、最近の人の女は気難しいと聞くので気が乗らないのが本音です」 「あぁ、俺の嫁は女じゃない」 「……は?」 「男だが気立てがよく歌がうまい。それに柔肌なうえ顔も愛らしい」 「はぁ、そうですか」  なんと、嫁は女でなくてもよいのか。それは知らなかった。それなら一気に選択肢が広がるが、いざ男の嫁をと考えても想像できなかった。 「なんだなんだ、本当に嫁取りをするのか?」 「嫁を取ればはな垂れ小僧も卒業だな」 「いやいや、小僧の嫁になろうという女はいないかもしれないぞ?」  またもや馬鹿にするようにあちこちで笑い声が上がった。最年少の竜神ではあるが、そこまで馬鹿にされるいわれはない。それにわたしにだって目をつけている女くらいいる。 「うるさい。わたしにだって嫁候補の一人や二人くらいはいるぞ!」  啖呵を切る形になってしまったが、実際二十年ほど前に見初めたかわいい子がいるのだ。しばらく見に行っていないものの、あの子も人の世では大人と呼ばれる年齢になっているはず。 (それなら嫁にしても大丈夫だろう)  出会ったその日に「お嫁さんになる!」という返事も取りつけてある。まだ幼子だったが竜神であるわたしとの約束だ。忘れていたとしても、あのときの返事を言霊として縛れば何とでもなる。 「そうだ、あの子を迎えにいけばいい」  そうと決まれば善は急げだ。手にしていた杯を膳に戻し、すっくと立ち上がった。  すると、男の嫁を娶ったという竜神から「まぁ、がんばれよ」と気の抜けた言葉をかけられた。それに小さく会釈をし、うるさい笑い声を背に宴席を後にした。
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