ブロック・ヒューマン

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 現実世界に戻ると雨はさらに激しさを増していた。  横殴りの雨は傘を通り越し、私の身体を打ち付ける。しかし、今の私には全く気にならなかった。  今平くんからいただいたメッセージを下にマップを検索。的中したポイントに一番近い駅の改札をくぐり、私は必死に足を走らせた。ピチャピチャと地面に溜まった水たまりを弾く。道行く人に嫌な目を向けられるが、そんなのを気にする余裕はない。  信号が赤になったところでスマホの画面を見て、自分の位置を確認する。画面は雨に濡れぼやけていた。服で拭おうとするが、その服も雨で濡れている。ぼやけたスクリーンの中に映る二つのポイントだけを見て、自分の距離を測る。  青になると私は再び全速力で走り始めた。  住宅街に入り、歩道のない道路を走っていく。  不意にコンクリートの水に足を滑らせ、私は正面から地面に身体をつけた。幸い、車は通っていなかったため転んだだけで大事には至らなかった。  代わりに前へと投げられたスマホの画面に大きなヒビが入る。  私はそれを見てショックを受けるも気を取り直して状態を起こした。右膝を擦り剥き、血が雨に混ざり、流れる。  足を動かす度に激痛が起こるため、止むを得ずゆっくりと歩きながら目的地へと近づいていく。全身が冷たく、身体を打ち付けた部分が痛む。  でも、私が受けた傷は幸が私から受けた傷に比べれば大したことはないだろう。  私の勝手な勘違いで幸にひどいことをしてしまった。きっとすごく楽しみにしてくれたのだろう。彼女が今平くんに見せていた笑顔は私に対してのものだったのだ。それを私は今平くんに向けたものだと勘違いしてしまった。  雨と土で汚れたヒビの入ったスマホを眺める。自分の位置を挿す青色のポイントと目的地を示す赤色のポイントが次第に重なっていく。  私はそこで足を止めた。    視線をスマホから外へと向けると一軒家が目に映る。  ちょうど止まったところは玄関先であり、視線を少し横に向けると表札が見える。 『古谷』  表札にはそう書かれていた。  私は今平くんから幸の自宅を聞き、直接彼女の元へとやってきたのだ。こんなまどろっこしいことをしなくても、ブロックを解除してデジタル世界で会えば早かっただろう。  しかし、それでは私の気が治らなかった。  幸とは直にあって、彼女と話したかったのだ。私たちはずっとデジタルだけの間柄だった。だから私は彼女の家を知らなかった。  それももう今日で終わり。  本当の親友としてリアル世界での彼女の温もりに触れたかった。彼女に対してひどい仕打ちをした私は、もう大切な親友なんて呼べたものではないかもしれないけど。  ゆっくりと手を前に差し出し、インターホンのボタンに指をつける。  幸はどんな顔をして私を見るだろう。手が震えているのは冷たい雨に当たりすぎたからか、それとも緊張によってか。流れる滴は雨で濡れた髪から流れたものか、それとも私から流れた冷や汗か。  恐れる必要なんてない。私は現実を受け止めなければいけない。それが唯一私が犯した過ちに報いる方法なのだから。  勢いに任せて、私は指に力を入れ、インターホンを押した。  ピンポーンという音の後、静寂が訪れる。聞こえてくるのは『傘にあたる雨音』と『たまに通る車の車輪が水をかき混ぜる音』のみ。  その自然音を遮るようにインターホンから音が聞こえてくる。 「はい。古谷です」  私は瞳を大きくした。  久々に聞いた彼女の声。  紛れもない『古谷 幸』の声だった。 「あの……新山 和紗です」  私は跳ね上がる鼓動の音を抑えながらも静かに名前を口にした。先ほどまで冷えきっていた体には熱気が宿っていた。  向こうからの返事はなかった。代わりに物がぶつかる音が聞こえてきた。ガチャガチャとインターホン越しに響き渡る。  怒っているのだろうか。  それもそのはずだ。私は彼女にひどいことをしたんだから。  熱気が一気に覚めていくのを感じる。顔を俯け、唇を噛み締めた。  すると鍵の開く音がした。  インターホンからではない。目の前に見える玄関からだ。 「和紗!!」  扉を勢いよく開けるとそこには幸の姿があった。  Tシャツにショートパンツとラフな格好をしている彼女。部屋着などそんな物だろう。  私は初めて目の当たりにする本当の幸の姿に目尻にたまった涙が溢れるのを感じた。  先ほどまで悲しくて出ていた涙は彼女の姿を見た瞬間に嬉しみに変わる。  私は傘を地面に落とすと、階段を駆け上がり、幸の元へと走っていく。 「幸っ!!」  両手を広げ、彼女の体を包み込む。デジタルとは違う本物の彼女の体。肌の温もり、鼻腔をくすぐる甘いシャンプーの香り。 「和紗」  そして、耳元に伝わる彼女の暖かな息まじりの優しい声。  私は彼女を力強く握りしめた。だが、すぐに我に帰り、幸から体を離す。  彼女は驚いた表情で私を見た。Tシャツは私の濡れた服と手に侵食されて水が付いていた。感極まって、自分の状態をすっかり忘れてしまった。 「ご、ごめん……その……服」  後ろに一歩下がろうとする。それを幸が止めた。  今度は幸が私の身体を包み込む。驚きながらも全身を脱力させ、幸に身を委ねる。 「大丈夫だよ。それよりもびっくりしちゃった。まさか和紗がうちに来るなんて」 「その……あなたに謝らないといけないことがあって。ごめんなさい。私、勘違いしてたみたいなの」  手を彼女の背中に回し、私もまた彼女を抱きしめる。 「ごめんなさい。私、てっきり幸が今平くんと付き合っていると思ってた。スーパーでたまたま二人が買い物する姿を見かけて楽しそうにしてたからそうなのかなって思った。それで嫉妬して、幸に対してひどいことをしてしまった。でも、違った。幸と今平くんは私の誕生日のために二人で買い物をしていたんだね。それなのに変な誤解をしてしまって本当にごめんなさい」 「……そうだったんだ。私の方こそごめん。和紗を傷つけるような紛らわしいことをしてしまって」 「うんうん。幸は何も悪くないよ。悪いのは全部私」 「だから、ここまできたの?」 「うん。今平くんから幸の家を聞いて。謝るためにはデジタルよりもリアルがいいかなと思って」 「そっか……」  幸はギュッと私を握り締める。彼女の体は冷え切った私の身体を温めてくれた。 「その……こんなことして我儘を言うのはおこがましいと思うのだけれど、また幸と一緒にいてもいいかな?」 「一緒にいたい?」 「うん……いたい」 「ふふ。もちろん!」  幸の陽気な返事に対して、彼女と同じように身体をギュッと握り締めることで感情を表現した。この日、私たちは和解をすることが出来た。大切な友達を失わなくて良かったと心の中でそう強く思った。
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