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触れたところからふと感じる体の震え――恐らく何らかの事情があってここへ来たのだと悟った香川俊輔は、とりあえず店の奥へと移動する。
一番奥にある丸テーブルに横並びで座り直すと、そいつが不思議そうな視線を向けて見つめてくる。
「何があったかわからないけど、知らない世界へ足を踏み入れる時は気を付けなきゃ」
「どうして……?」
「震えてる」
「えっ……?」
自分が震えていることにさえ気づかないほど緊張しているのか、俊輔の言葉に目を大きく開いている。
さっきは連れ出そうとしない俊輔を不思議そうに見ていたのに、一瞬で変わってしまった表情は、まだどこか少年の幼さが抜けきらない感じがした。
「俺は、香川俊輔。君の名前は?」
「香本絢斗」
「香本くんのこと、何も聞かずにホテルへ連れて行くことは出来るけど、俺みたいに歳を重ねてしまうと、どうしても気になっちゃうからさ」
「でも、こういうところって相手のことなんて気にならないんじゃ……?」
「まあ、確かにそういう時もあるけど。今回ばかりはね」
「俺はこの世界じゃ稼げないですか?」
真剣な表情で真っ直ぐ問いかけてくる彼から、それなりの覚悟があってここへ来ていることが読み取れる。
だからこそ、ちゃんと人を見極める洞察力が必要だということもわかってもらいたい。
ただお金を稼ぐためだけに売りをするのは簡単なことかもしれないが、おかしな奴がいることも否めない。
「俺がもし、君を抱くだけ抱いてお金を払わなかったら?」
「えっ……?」
「俺がもし、君の嫌がるようなプレイを強要したら?」
「えっ……と、あの……」
戸惑いを隠せないように、さっきまでの冷静な感じはなく、視線を泳がせている。
自分好みの相手を見つけて、やるだけやってとんずらする奴がいないなんてことあるわけがない。誰だって、金が惜しいと思うのは当然だ。
逆に金を払うのだから、どんな要求にも応じさせようとする奴もいる。コスプレさせたり、SMチックなことをさせたり、ただひたすら自分だけが欲求を吐き出すための感じないセックスをするような奴だっている。
時には、顔が腫れ上がるまでボコボコにされて恐怖心を与え、締め付けを楽しむような狂った奴もいる。
この店で出会った男たちは、そういうことを経験してもなお、自分の体で稼ぐことを止められないという。
それは生活に困っていて手っ取り早く稼ぐためだったり、カミングアウト出来ずに男に抱かれるためだったり、理由はそれぞれ違うだろう。
今、目の前にいる彼も、どうしてもこうしなきゃならない理由があってここにいるということだけはわかるから――。
「本気で自分を売ることで稼ぐつもりなら、最初に俺が君を抱いてもいい?」
「あなたは、俺をちゃんと買ってくれますか?」
「もちろん。俺はそのつもりで君を選んだんだから……」
「じゃあ……俺を連れてって下さい」
スーツの袖をきゅっと握りしめながら、彼が俺にそう告げた。
再び椅子から腰を上げると、そっと腰に腕を回し、俺たちは店を出てそのまま路地裏を抜けると、ホテル街へと続く道へと足を進めた。
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