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「今日は、本当に驚かせたよね?」
「そうですね。でも、父や母が決して人生を諦めているわけじゃないってことがわかったんで、良かったです」
「そうだね。前向きに考えてくれるといいなって思うよ」
「はい」
「それから……続きはまた後で」
話終えた俊輔と絢斗は、今敷地内に停めてある車の中で会話をしていた。
これから移動して、俊輔の行きつけのごはんやさんへ行くという。
そこで二人のビジネスの話をすることになっていた。
エンジンがかかり車が発進する。しばらく走りながら、移り行く景色を眺めていると、静かに車が停車した。
「ここから少し歩くけど、大丈夫?」
「はい」
「じゃあ、行こうか?」
慣れた足取りで先を進んでいく後ろ姿を追いかける。
そして、路地裏の奥の方まで歩いていくと、一軒の赤提灯が姿を現した。
『はつみ』と書かれたお店の暖簾をくぐり、ドアを開けると、「いらっしゃいませ」という上品な女性の声が出迎えてくれた。
「こんばんは」
「香川さん、いらっしゃい」
「二人なんですが、いけますか?」
「もちろんです。どうぞ」
「では、失礼します」
着物姿で髪を結い、白のエプロンをつけた女将さんが接客をしてくれる。
カウンターの一番端の席に並んで腰を下ろすと、おしぼりとお茶を持った女将さんが近づいてきて、それを静かに置いてくれた。
「料理はお任せでいいですか?」
「お願いします」
「では、しばらくお待ちくださいね」
とても綺麗な人で、上品な空気を醸し出していて、女性らしい柔らかな匂いが鼻を擽った。
こんなお店、初めてだし――そんなことを考えながら店内をぐるりと見渡していると、
「ここはね、俺が社会人になって初めて見つけたお店なんだ」
「へえ、そうなんですね」
「すごく美味しいよ」
「はい」
しばらくすると、女将さんが先付を運んできた。いんげんのごま和えで、色付けで人参の花形が添えてある。
「いただきます」と手を合わせると、お洒落な箸置きに置かれているお箸を手に取り、それを一口で口の中へ入れた。
「美味しい」
「良かった」
それからも、お椀ものや、お造り、焼き魚、蒸し物、お肉と、出された料理はどれも頬っぺたが落ちそうなくらい美味しくて、自然と笑顔が溢れてくる。
「すごく美味しかったです」
「それなら良かった。でね、本題はここからなんだけど……」
「はい」
何となくわかっていた。あの日別れる前に話していた専属として働くというビジネスの話をしていなかったから。
最後の一口を口の中に入れると、絢斗はお箸をそっと箸置きに置いた。
「俺の専属になるって話だけど、第二と第四の金曜の夜に、香本くんの時間を俺に預けてくれないかな?」
「えっ、あの……」
「ダメかな? ただ一緒にこうやってごはんを食べたり、映画に行ったり、時々SEXもする。そんな関係は難しい?」
「月に二回ですか?」
「そう。一回10万で月20万なら、売りをしなくても生活できない?」
「けど、そんな大金……」
「俺が香本くんを買いたいんだ。他の誰かじゃなく君を……」
「香川さん……」
普通こんな自分に都合のいい話、すぐにでも受け入れるべきなのだろうか?
でも、俺は――あなたに買われたいわけじゃない。
ただ――側にいたいと思ってしまっているだけなのに、買われることでしか繋がれないのなら――。
「俺を買って下さい……」
「もちろん、喜んで」
「ありがとうございます」
「じゃあ、次は再来週の金曜日に」
大人の余裕なのか、少しだけ和らいだ表情でそう言うと、香川さんは湯呑みのお茶をゆっくりと飲み干した。
こうして、二人の新しい関係が始まった。
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