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それからだった。どちらからともなく声をかけなくなっていったのは――。あんなにいつも俺の名前を呼んでくれていた兄さんも、父さんの言いなりみたいに家の中にいても目さえ合わなくなっていった。
窮屈だった。家にいるはずなのにたった一人取り残されているみたいに息苦しくて呼吸が出来なくて、誰にも相談なんて出来なくて――。
そんな時に出逢ったのが、中学の同級生だった和泉遥太だ。
和泉はいつも元気で明るくて決して真面目とはいえなかったけれど、何かと俺に絡んでくる。学級委員長だった俺に居眠りして取り損ねたノートを貸してと言ってきたり、普段一緒にいる仲間と組めばいいのに体育の時間は俺とペアを組んだり。気がつけばなぜか隣にいた。
言葉には出さなかったけれど、もしかしたら和泉は気づいていたのかもしれない。俺の誰にも言えない寂しさに――。
そしてさりげなく側にいてくれたんだと思う。
俺が放課後に残って一人で黙々と担任の頼まれものをこなす教室の片隅で、机に顔を伏せながら居眠りしていたのも、その作業が終わったタイミングで目を覚ましたように振る舞う姿も、あえて前の席に座ってじっと見つめてくる視線も、全てが愛おしかった。
会話なんてなくたっていい。ただ、同じ空間にいられるだけでいい。それだけでその時間だけは孤独を感じなくてもいられたから――。
そして、卒業が近づいてきた登校最終日。変わらずに教室にいるのは俺と和泉の二人だけで、今日はずっと俺の前の席に座ったままこちらを向いて頬杖をつきながら見られている感じがしていた。時々そういう日もあったけれど、いつもよりも見られてる感じがして、ふと顔を上げた。
――どくん――
真っ直ぐに見つめられている逸らすことの出来ない視線に、心臓が大きく跳ねる。
そして、ふいっと顔を逸らしてくすりと笑ったかと思えば、「香川って、最後まで掴めないままだったわ」と再び視線がかち合った。
「それはきっとお互い様だよ」
「そうかもな」
「でも、俺にとって和泉くんの存在はとても貴重だった」
「貴重って……」
「その言葉が一番しっくり当てはまると思う」
「へえ……。だったら、俺にとっても香川の存在は貴重だったってことだな」
「そうだといいなって思う」
「だな」
二人で穏やかに笑い合いながら、そんな会話をしていると、何となくぷつりと空気が変わった――。
その空気をお互いに感じ取り、どちらからともなく近づいていき、二人の距離が0cmになった瞬間――唇が重なった。
夕暮れの教室で二人を写し出す影はどんな風に写っていたんだろう?
その答えはきっと今となっては誰にもわからない。
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