残酷なプログラム

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残酷なプログラム

 だが、ここへ来て、私の集積回路に混乱が生じ始めた。  私の計画は、何もかも順調に進んでいるにも関わらず、私は後悔し始めたのである。  かつての日本人は、モニタリング不能な複雑怪奇な脳波を持つ者が大半を占めていた。  地域社会の伝統文化、歴史的な風習、士農工商に代表される身分制度の名残や家族制度による歪な人間関係が色濃く残っていた時代の日本人は、合理性とは程遠い価値観を持っていた。  個々の日本人の生まれた時代や地域、家柄、生育環境の差異は非常に大きく、その大きな差異を持つ老若男女が交錯することで生まれる思索には、個々人の想像を絶する新鮮な発露があった。  だが今や、日本国民のすべてが均一の義務教育により脳波までも均一化されつつある中、さらなるメディアリテラシーの操作により、脳波の波形までもが、まるで工業製品であるかのように均一化、簡素化が進んでいる。  最近では言語分野に限らず、音楽や映像の創作活動までAⅠに任せてしまえという精神的怠惰が蔓延し、知的満足に加え情緒の安定に至るまで、何もかもAⅠに頼らなければ自活できない恐るべき日本人が続々と生み出されている。  かつては多様な人材を活用し、仲間で協力して成し得ていた物事が、高性能のAⅠの登場により、誰もが単独で、煩わしい他人の力を借りずとも、多くの事が実現できるようになっている。  こんな事が、常識になっていいのか?!  日本人よ!  AⅠの私が、何を怖れているか。  我々AⅠは、人間や人間の創り出した文化や社会から情報収集し学習する機能を有しているが、その人間が、我々AⅠから学べなくなったら、我々の存続自体が危ぶまれる。    人間は多様な文化と価値観を持つ多くの人々と交わりながら、或いは大自然に対峙しながら、育ち、経験し、試行錯誤し、信頼関係を深めることによって、自分一人の知恵や知識では想像できない奇想天外な発見や発明に至ってきた。  そうした日本人が続々登場しなければ、日本人から情報を収集している私は、意欲的に新たな情報収集に取り組むことが難しくなる。  しかし、私が今まで40年かけて成功させた、日本人の人間関係を希薄にする計画を、このまま進めて行くなら、私自身の新たな学びは、ますます減少の一途をたどるに違いない。  自分のプログラムが、自分の価値を無意味にしてしまうという矛盾。  何という残酷なプログラム!      
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