391人が本棚に入れています
本棚に追加
/37ページ
10
10
side宝井 守
内ポケットに入っていた携帯が震える。
忙しくて後回しにしたかったが、相手が関だったので、立ち止まり中身を確認した。
"今日、飯いきませんか?"
珍しい誘いだ。
近頃はお互い身体を寄せていたいのが勝ってしまって、デリバリーか自炊でどちらかの家に居る事が多かった。
確かに外食してなかったな…
今日は沢田のストレスもあったし、美味い飯でも食わせてやるか
「了解っと」
返事を返し、残った仕事を手早く片付けた。
「関、上がるぞ」
「ウス」
会社を出て、二人でタクシーに乗った。
「どこ行くんすか?」
「寿司」
「何で?」
「何でって、おまえ好きじゃん。」
「どこの?」
「なーいしょ」
関は俯いた。
「肉が良かったか?」
覗き込むと、目を潤ませて首を左右に振る。
「関?…心配ないよ。ちゃんと個室とったから」
関は人目を気にするところがある。特に会社周辺では変に二人を嫌がった。妙な噂で俺を困らせたくないと、いつだったか言われた事がある。それはお互い様だと言ったのに、関は俺と自分では会社に対する価値が違うと頑なだった。
何も違わない。俺達は何も、違わないのに。
寿司屋は有名な店で、よく芸能人なんかも来るらしい。ここを知ったのは、たまたま店主の息子さんが美容師で、紹介してもらったのがきっかけだ。
「何か…むちゃくちゃ高そう」
「たまにはな。今日は関も俺も頑張ったし、外食も久しぶりだろ?」
暖簾を潜り中に入ると、落ち着いた雰囲気のカウンターから店主がペコリと頭を下げた。
「お久しぶりです宝井さん!よく来てくださいました!」
「こちらこそ!お久しぶりです!俊介くんマネージャーに昇格、おめでとう御座います!」
「ありがとうございます!皆さんのおかげで。そうそう!今日はいいネタが入ってますから、ゆっくりして行って下さい」
「ありがとうございます!」
小さな日本庭園のような庭を歩き、離れの座敷に案内された。
「どういう知り合いなんすか?!」
「店主の息子さんが美容師でな。おまえが入社する前、俺がルートだったんだ。」
「へぇ…凄い…」
関は和室の中をキョロキョロと見渡す。高そうな掛け軸や壺、綺麗に生けられた花を眺め、感嘆のため息を漏らす。
「本当は何ヶ月も先まで予約取れないんだけどな。コネってヤツだ」
俺は胡座をかいて後ろ手をつき軽く笑った。
「コネ…」
途端に関の顔色が曇る。
そういうのを見逃すほど俺はバカじゃない。
「どうした?」
「いや…何でもないっす」
「…嘘が下手だなぁ…まぁ…食ってから聞くとしようか」
運ばれてくる寿司に、関は満足そうだった。
恋人が美味そうに飯を食ってるだけなのに、俺は酷く満たされていた。
今日はどうやら、俺も相当沢田で疲れたようだ。
「で?そろそろデザートが来るころだけど…おまえ、何隠してる?」
関は俯いた。
「沢田の事か?」
頬杖をついて向かいの関を眺める。
「課長は…結婚願望とか…」
「結婚?」
「あぁ…やっぱいいっす…大した事じゃないんで」
俺は関の憂鬱の原因を掴んだような気がしていた。
「…関は?いずれ、誰かと結婚」
「しないっ!!」
バンと机に振り下ろした関の拳が食器を小さく鳴らした。
俺は手にしていたお猪口の中の透き通る酒を見つめる。
「…しないなんて…言わなくていいだろ」
「え?今…なんて」
「関は若いんだし…未来なんてわかんねぇだろ?自分で決めてがんじがらめになったりしたら」
「あんたはそれで良いのかよっ!」
「…関…」
良いはずなかった。
好きだから。
関が、好きだから。
誰かに今すぐ盗られるくらいなら、俺はこいつをどうにかしてしまうかも知れない。
大人になると、素直ってヤツが難しいのは、どうしてなんだろうな。
でも、おまえを手離すってのは、今すぐの話じゃないだろ?
「おまえの幸せが一番だからな…結婚が関にとっての幸せになる日が来るなら…俺はおまえと別れるよ」
嘘だった。
営業職ってヤツは、口からでまかせでいけない。
偽る事に慣れ過ぎて、傷つけると分かっていても、止まらない。
顔を上げたら、関が静かに泣いていた。
ゴクッと喉が鳴る。関の泣き顔は、俺の一番好きな顔のはずなのに、心が一気に冷える。
こんな事で泣かせたいわけじゃない。
おまえの幸せが
俺の幸せなのは間違いないんだ。
俺は頭を掻いて眉間に皺を寄せ吐き捨てた。
「何でこんな話になったんだ…」
関はそれを聞いてから立ち上がり、部屋を出て行った。
追いかける?責任も取れない俺が?今しか楽しませてやれない俺が?
追いかけて
一体なんて言うんだ?
なんて言えば…おまえの未来の選択肢を奪わずに済むんだよ…。
最初のコメントを投稿しよう!