その手は、まるで

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魔法を使っているみたいだ。 初めて見た時、そう思った。 それから、時々隣でその魔法を眺めさせてもらっている。 「……あのさ、あんまり見られるとやりづらいんだけど?」 突然魔法を紡ぐのをやめ、彼女はこちらを顧みた。 見つめていた手元から、その顔へ視線を移す。 切れ長な瞳、少し皺の寄った眉間、きゅっと結ばれた口元。 綺麗な顔だなーと先程までとは違った点で感嘆して、また俺はぼうっと彼女を見つめた。 彼女の後ろの窓から差し込む、オレンジ色の夕日が眩しい。 「……え、なに。聞いてるの?なんか顔に付いてる?」 そこでやっと俺は我に返り、慌てて首を振った。 「いや、ごめん。ただぼーっとしてた」 弁解すると、彼女の眉間により深い凸凹が刻まれた。 「ぼーっと、って……まあいいや。それより、見ていいとは言ったけど、そんなに真剣に見られてるとやりづらいんだけど」 「じゃあどうすりゃいいんだよ」 放課後、2人きりの教室。少女漫画なら確実に何かしらのイベントが発生しそうだが、今の俺たちにそういう雰囲気は全くなかった。 俺の前でただペンを動かす彼女は、ただのクラスメイト。小説家を目指しているそうで、今日も物語をひたすら紡ぎ出している。 少し前、たまたま俺は教室で彼女の執筆現場に遭遇し、それからこうして一緒に放課後を過ごす事が増えた。 「書いてるところを見たいって言われるなんて、想像したことなかったから……私もどうすればいいかわかんないよ」 物好きだよね、と言われた。 確かにそうだな、と素直に答える。 彼女は楽しそうに笑った。 「自覚あるんだ?」 からかうような声音に、ムッとしたふりを返す。 そのままお互い少しの間無言でいたが、突然彼女は呟いた。 「なんで?」 ノートから顔を上げないまま、尋ねられる。 日がさらに傾いて、彼女の顔に光が当たっている。眩しそうに彼女は目を細めていた。 「なんで、見たい、とか……思ったの?」 その手はスラスラと物語を紡ぐのに、喉から出る言葉はゆっくりだ。 かなりの回数の放課後を一緒に過ごしているが、その問いを投げかけられたのは初めてだった。 俺も静かに目を細め、いつかの記憶を辿る。 あの日の放課後、忘れ物を取りに教室に戻って。 「物語を書いてるところ、初めて見て……びっくりしたんだ」 それは、実際に存在しない世界だ。言い方は悪いが、書き手の妄想が創造されただけであって、結局本物にはなれない。 それなのに。 「この世にない、1から作り上げた世界をスラスラ形にしていくのが、魔法みたいだ、って思ったんだよ」 話すうちに恥ずかしくなってきて、最後は目を逸らしてボソボソ告げた。 首の後ろを掻きながら、ちらりと彼女の方を見る。 そこには、驚いたような、戸惑ったような表情があった。 「……なに?聞いといて反応なし?」 俺も俺でそんな反応をされるとは思わず、気まずくなってくる。 照れを隠して声をかけると、彼女は我に返った。 「あ、えっと……その、びっくりしたんだよ」 「びっくり……?」 眉をひそめると、慌てたように付け足される。 「いや、その、嫌なびっくりじゃなくて、そんなふうに言ってもらえると思ってなくて。からかわれたことしかなかったから……」 彼女は少し俯いて、困ったような顔で笑った。 「変だね、なんか」 「なにが?」 「私が好きで物語を書いてるはずなのに、私は私のことに否定的だったな、って思ったの。こんなふうに肯定してくれた人、初めてなんだよ」 だから、ありがと。 いつもより柔らかい表情でそう伝えられる。 ふいに俺は、自分の心臓の音を意識した。 眩しく感じるのは夕日のはずで。なのに、視線は窓の外を彷徨う。 「……別に、本当にそう思っただけだから」 ぶっきらぼうに伝えると、彼女はただ笑って、またノートに向き合い始めていた。 その様子は、相変わらず魔法のようで。 『その魔法を見ていたい』と、その言い訳にしばらくは甘えていよう。けどいつか、理由も言い訳もなく隣にいられたら。 俺はただ、彼女の手元を眺めていた。
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