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その時、背広と僕らの間を何かが高速で飛んだ。また背広たちが急停止し、左のイチョウの幹から「だん」という音がする。
「朝霧さん。その矢を使ってっ!」
幹に一本の矢が刺さっていた。
「菫桜高校生の三年間の想い、あなたに託します。思い切り暴れてきなさいっ!」
「御影、有希子……」
驚いていた夷澄が、我に返った。左手を伸ばして矢を引き抜き、一息に駿雷を馬路へと走らせた。
「がんばれ、朝霧さんっ!」
「菫桜の森を守ってくれっ!」
「かっこよく射止めてーっ」
口元を覆い続けた鬱屈を蹴散らすように、神装束の翠高生たちから腹の底を振り絞ったような声援が放たれた。
だがその時、駿雷の前方に太った男が転がるように出てきた。
「絶対に、射させんぞーっ!」
小橋さんだ。血走った両眼が焦点を失っている。
両手を広げて、駿雷の行く手をふさいだ。
歓声が悲鳴に変わる。避けなければ衝突する、避けては射れない――。
「すまないサイト。降りてくれ」
「え?」
「二人乗りだから駿雷は遅い。首を守って脇の草むらに飛べっ!」
振り向いた夷澄の顔に、覚悟を決めた。
腕を夷澄の腰から離し、両肘で首を抱え込みながら体を左に傾けた。
宙に浮き、それから強い衝撃が全身を貫く。頭を何とか守り、ごろごろと地面に転がった。
手が芝をつかみ横転が止まり最初の痛みをこらえ、まぶたを開くと。
まるで白羽の翼が生えたかのように、駿雷が蒼天に向かって飛び立っていた。
太った男の頭を、軽々と跳び超えた馬上で。
舞い散る桜花と日輪の中。
左腕を伸ばし弓を引き絞る、夷澄の横顔が見えた。
あの時と同じ、真剣で、純粋な眼差しで。
右手が夷澄の顔を離れ、空中で放たれた矢が「ぶうん」と音を立てる。続いて「あーっ」という歓喜とも失望とも取れる声が響いた。
それを確かめてから、まぶたを閉じた。張り詰めた神経を緩め、ぶり返した激痛の波を受け流し、気が遠ざかることを受け入れた。
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