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壱之矢
「香芝彩斗、きょうは上がります」
「おう。いつもご苦労さん」
金曜夕刊の新聞配達は、定時に終わった。店主からバイト代を受け取り、愛車のシャガールのペダルを踏む。
高原の街・翠雲市は坂道が多く、自転車配達は健康な高校男子でもきつい。季節は二月末、僕は山の端にかかる早い夕陽を見ながら家路についていた。
画材店に寄ろうと思ったら駅前通りに警官が立っていて、道が封鎖されていた。あきらめて街をう回するバイパスに青い車体を向ける。あすは土曜日。頂に雪が残る翠雲岳の牧場にスケッチブックを持って出かけようか。
バイパスは長く緩い下り坂に入り、銀輪の勢いに任せる。
その時。
歩道左手に、私立菫桜高校らしい薄紫色のセーラー服を来た小柄な少女が目に入った。
一人落ち着かない様子で首を回している。車が通らないのに横断する様子もない。タクシー待ちか。
長い髪を後ろで束ね、唐草模様の細長い和袋をタスキに背負っている。中は楽器かなあ、はやりの軽音楽部かも。
と、見ていたら目があった。
次の瞬間。
セーラー服が車道に転がり出て、「大」の字で立ちふさがった。
「轢くひくひくっ。避けろぉぉぉっ!」
「ごめんっ! 君、後ろに乗せてっ!」
タイヤが猛烈な悲鳴を上げる。急ブレーキと進路変更。
脇を間髪すり抜けたと思ったらセーラー服が駆け寄って、荷台にがしっと腕をかけた。
バランスを崩しかけた車体をなんとか立て直すと、少女は荷台を押しながら追走していた。
「止まらないで! 新聞屋さん、乗せてお願いっ!」
なにごとだ。なんで僕が新聞配達バイトって知ってるんだ。
一瞬迷ったけれど、息を切らせた少女の顔がマジだった。親でも死にかけているのか。
「よくわかんねーけど走ればいいのかっ?」
ぱっと咲いた笑顔がヒマワリに見えた。
「助かる。まっすぐ坂を下りて!」
セーラー服は地面を蹴り、荷台にお尻をどすんと乗せて横乗りした。
一気に重さがかかり、シャガールがぐらぐら揺れた。少女の腕が僕の腰に巻き付いたが感動する余裕もない。道は下り坂、ペダルの力をぐいと強めて暴れる後輪をなだめた。
「これからやることは口外無用、菫桜では絶対に秘密だよ。いいね?」
なんだそれ。親が急病じゃないのか。しかし絶対秘密って、万引きでもして逃げてるのか?
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