ある春の日に

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 目を見開いたハチがハッとして振り向けば、そこにいたのは漆黒の髪を揺らす童女だった。  距離は彼らの足で三歩ほどの場所。思ったよりも近くにいるその女の子の歳は六つくらいか。真ん丸な濡れ羽色の瞳には、驚いた顔のハチが映っていた。 「おにーちゃん、何で髪の色が白いの?」  ハチはその言葉を無視した。だって、他の種族に関わっていいことなんて何もない。しかも多分、髪色を見る限りコイツは巫女の血筋だ。  巫女(みこ)——竜神になる俺とは主従関係になる血筋。  この時代、この国には神様がいた。天を司る神がいれば、大地を司る神、そうして海を司る神もいた。  神と言っても種類は様々で、ハチは竜神と呼ばれる種族だった。  竜神は代々色素が薄く、髪や肌が白かった。そうして、切れ長の瞳の色はザクロのように紅色だった。ひょろりと身長が高く、腕や足など衣服から出る部分の肌には薄く緑青の鱗がついていた。  対する女の子は、艶やかな漆黒の髪、濡れ羽色の大きな瞳。肌の色は健康的な小麦色。それは、紛うことなく、竜神に仕えている巫女の風貌だった。  竜神は、妙齢になると一生付き従う巫女を選ぶことになっている。龍神と巫女がこうやって出逢うことはもとより、口を利くなんてもってのほか。  関わっても面倒くさいことになるだけだ。そう判断したハチはそのまま通り過ぎようとしたのだが。 「ねぇねぇ」  また声がかかる。同じようにハチは無視を続ける。
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