ある春の日に

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「もしもーし、おにーちゃん?」  歩いているハチに彼女は追いすがるように手を伸ばす。それでも気合で無視を続けるハチだったが。 「はっ、もしかしておにーちゃんしゃべれないの?」 「はァ? しゃべれるわ、馬鹿にすんな」 「しゃべった!」  ……思わず口を利いてしまったハチの負けだった。悔しさから彼の口調も強くなる。 「だからしゃべれるってば。何なのアンタ」  ふと軽い引っかかりを感じてハチが下を向けば、気づかぬうちに彼女に着物の裾をぎゅっと掴まれていた。小さな手。小麦色のそれは、雨を受けて艶やかだった。 「わたしは、くしなだ!」 「クシナダ?」  ハチがオウム返しに尋ねれば、彼女は小さな頭でこくりと頷いた。 「そうよ、くしなだひめと言うの。ね、おにーちゃん、わたしのお友達になってくれる?」 「いや、駄目でしょ」  そう言ったと同時に、捕まれた衣を鬱陶しそうに払ったハチ。  これだけ強く言えば去って行くだろうと思った彼が、黙ったままクシナダのつむじを見下ろしていれば、途端にしゅんと彼女の眉が下がる。  ぱた、と桜の木の枝から雨粒が小さな肩に落ちて——同じ様にぼろっとクシナダの頬に大粒の涙が零れ落ちた。
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