AIドール

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 2050年の春先のことだった。  俺はハローワークの帰り道、雨上がりの道路を自転車で走っていた。ペダルが無性に重く感じた。その日も正社員の仕事は見つからなかった。 「生きるのが辛い。もう人生におさらばしようかな」  俺は人生の希望を失っていた。  交差点で信号が赤に変わりかけた時だった。俺は横断歩道ぎりぎりの所で、ブレーキを握りしめた。  その時だ。  黒のベンツが猛スピードで交差点に突っ込んできた。 (あの車やばいんじゃねえか)  そう思った時には遅かった。  右折しかけたベンツは、濡れたマンホールで勢いよくスピンし、俺めがけて突っこんできた。 「……」    遠ざかる意識のなかで、運転席の若い女の横顔が浮かんでは消える。  空を見あげる。 「がんばって」  誰かが俺をひきとめる。 「逝かせてくれ。もうこんな世界は嫌だ」  思えば三十八年間、何度も人生の再起を誓って、頑張ってきた。けれども簡単に派遣切りされ、またふりだしにもどる。  積み上がらない人生が、どれほど絶望に満ちているか。 「心肺停止だ、電気ショックを」  激しい痛みが走る。あらがえない。どうして俺を殺してくれないんだ。  ハッ、ハッ、ヒクッ、ヒクッ  心臓が動き始める。微かに意識がもどる、体中の神経がむき出しにされたように痛い。 (殺せ! 殺してくれ!) 「脈がしっかりしてきました」 (死なせてくれ) 「だいじょうぶだ。助かるぞ」  「……」  一週間後 「宮里さん、宮里さん」  誰かがしきりによびかける。 「あ、あ、ううう……」 「お加減はいかがですか?」 「ここは何処だ」 「愛心病院です」 「あ……」  意識が遠ざかる。目の前が真っ暗になった。  半月後、俺は愛心病院から、リハビリの専門の病院に転院させられた。  全身打撲に四肢および胸部を複雑骨折したが、命は奇跡的に助かった。  治療費は車を運転していたドライバーの弁護士から毎月支払われた。  退院を明日にひかえた日の午後、弁護士が一枚の小切手を切った。  額面は一億円。 「これで和解しろと」 「はい」 「足がこんなにならなかったら、俺はもっと稼げました」 「失礼ながら、あなたは派遣を転々としてましたよね。しかも事故の時は失業していた。多額の借金もある」 「調べたのか」 「個人情報は簡単に入ります」 「じゃ、おれの残りの生涯賃金は、一億もあれば十分だといいたいのか」 「そうは言いませんが、おたがいにこのあたりが妥当な金額だと。もちろん今後の医療費や介護にかかる費用もお支払いします。さらに一時金として一千万円、そのほかに、あなたの借金も全て私どもで清算しましょう」  破格の条件だった。宝くじにでも当たった気分だった。 「わかりました。それで和解しよう」  こうして俺は、両足の機能を失うのとひきかえに、一億円を手に入れたのだった。  退院後、金はすぐに振り込まれた。それどころか、松葉杖なしでは歩けなくなったからと、バリアフリーが完備されたマンションまで与えられた。  俺を轢いたあの女、長い黒髪に高い鼻、富裕層の令嬢だ。よほど事件が明るみにでるのを恐れているのだろう。だからこれだけしてくれるのだ。  体重がもどり、体に元気がみなぎると、友達も身寄りもない俺は、ひどい寂しさに襲われた。けや木が赤く染まり、風が冷たくなると、人肌がやけに恋しくなる。 「やりたいなぁ」  そんな時、ネットでAIラブドール、一億円、限定販売、という面白い広告を見つけた。 「ラブドールに一億円だすバカはいないだろう」  そういいつつ、俺はホームページに見入った。 「これが人形か」  アップされたラブドールの写真や動画は、リアルすぎて、まるで本物の人間のようだった。 「ショールーム、市内にあるんだ」  暇をもてあましていた俺は、さっそくショウルームに行ってみることにした。 「完全予約制か」  メールで予約が出来るならと送信、すぐに返信メールがきた。 〈本日、十九時までにお越し下さい〉  九月の終わりかけ、日が沈むのが早い。人付き合いのない俺は、知人に会うこともないけど、さすがにラブドールのショウルームに入るところを、誰にも見られたくなかった。 「ここか」  地図に示されたショウルームは、自宅のマンションからタクシーで十分ほどのところにあった。 「高いビルだな」  見上げると首が痛くなった。  俺はエレベーターで、ショウルームのある最上階の五十五階に上った。  飾り気のないドア。一見すると普通の会社のように思えるシンプルな会社名とロゴ。 「『ヒューマノイド・カンパニー』ここだ」  ドアの前に立つ、シュッと自動ドアが開く。 「いらっしゃいませ」  いきなり目が覚めるような美人が出むかえた。背中まである長い黒髪に、目鼻立ちがクッキリとした顔。胸はほどよく大きい。 「あ、あの……」  こんな美人の前で、まさかラブドールの予約をしていましたとは言えそうにない。  慌てて体を反転、ドアを出かかると、 「予約されていた、五木さまですね」  受付嬢がニッコリ微笑んだ。 「どうして」 「この時間に予約されていたのは、五木様だけですから。ご心配なく」  五木というのは偽名だ。さすがに予約メールに本名は書けなかった。 「それではご案内します」 〈ええ、まさかこの美女が同伴するのか? ありえんだろう〉  とまどっていると、美人受付嬢は立ち上がり、俺の背中に軽く手をそえて店の奥へと招いた。 「これが広告で売り出し中のラブドールです」  受付嬢に勝るとも劣らない、かわいらしく美しいラブドールが立っていた。 「本物の人間みたいですね」  お世辞ではなかった。まるで今にも目をさまして、話しかけてきそうなほどリアル感溢れるラブドールだ。だが何かがちがう。 「皆様そうおっしゃいます。ですが、何か違和感を感じませんか?」 〈ドキ、この受付嬢読心術をマスターしているのか〉 「い、いえ、そんなことは……」 「我が社では、お客様の好みのラブドールを作っています。今、目の前にあるものは、サンプル品で、お渡しする物は、お客様の好みをお聞きした上で制作するようにしています。すぐに出きますから、試してみませんか?」  受付嬢が、俺の顔を上目遣いでのぞき込み、微笑んだ。 「そこまでしなくても……」  形の良い胸の膨らみ、短めのスカートからのぞく、張りのある太ももが気になる。 「お試しですから無料です。じゃ、この椅子に腰掛けて下さい」  返事もまたず、受付嬢は俺を革張りのリクライニングシートに座らせた。 「この椅子は?」 「リラックス効果を高めるものです」  部屋の照明がおさえめになる。小川のせせらぎや小鳥のさえずり、草原の波打つ音が流れた。 「はじめますね」  耳元でささやくようにいう。左の手首に柔らかな感触がする。受付嬢が脈をとっているのだろうか。急な眠気に襲われた。 「啓介さん」  目の前に女がいた。しかも懐かしささえ感じる。  女の唇が頬に触れる。  何度も何度も俺はがまんしきれなくなって、女を抱きしめ、唇を重ね押し倒した。長くしなやかな髪、大きな瞳、肉厚な唇、弾力のある胸。  ずっとずっと遠い過去から、心を愛を人生を、伴に捧げ尽くしてきた相手、魂のパートナーを抱きしめているようだった。 「……」  気が付くと、目の中に、夢で見た女が飛び込んできた。 「夢」 「いかがですか」  背後から受付嬢の声がする。 「えっ」  一瞬、何が何だか分からなくなった。 「お客様の理想のラブドールが出来ました」 「出来ましたって」  ビックリしていると、夢の女が微笑んだ。 「お客様の脳をスキャンして必要な情報をもとに作りました。あ、心配しなくても、これは試作品ですから」 「試作品だって」 「もし宜しければ、お持ち帰り下さい」 「持ち帰れといわれても」  ラブドールといっても、目つきや顔の表情や肌の張り艶が、人間に限りなく近い。いや、もう人間といって良いほどリアルだった。 「我が社が誇るヒューマノイドテクノロジーが生んだ、ラブドール、お気に召しましたようですね」 「これがラブドール……」  ヒューマノイド・ラブドールは、魂を持つアンドロイドと思えた。 「試用期間は?」 「一ヶ月でございます」 「もし俺が永遠に借り続けたら」 「全てのお客様が、満足して下さり、お買い上げになっております」 「一億円だよ」 「一億円以上の価値があると思います。あ、それから、お客様、このラブドールには、専用車がセットになっております」 「どういう意味?」 「自動車付きでございます」 「俺、免許持ってないよ」 「ラブドールが運転します」 「まじか」 「ヒューマノイドドライバーは、すでに世界中の富裕層のあいだで、運転手として活躍しております。ご安心下さい」 「そ、そうか」  もう訳が分からなくなってきた。俺は言われるまま、勧められるまま、ラブドールを連れて帰ることにした。 「もし、お気に召されましたら、一ヶ月後に、ご入金をお願いします。もちろん、気に入らないときは返品ください」  俺は受付嬢から、車のキーを渡された。 「ありがとうございました」  入ったのは十九時だったが、出るときは二十三時を過ぎていた。俺とラブドールは、ビルの従業員専用エレベーターで地下の駐車場までおりた。 「あたしの車よ」  真っ赤なアウディだった。 「こ、この車乗ってみたかったんだ」 「ほんと! あたしも大好きなの」  ラブドールが近づくとドアが自動で開いた。 「乗せてあげる」  ラブドールは俺を軽々と抱きかかえ、右の助手席に座らせた。 「あ、ありがとう」  ふかふかのシート、密閉された空間、最高だ。 「まっすぐ帰る?」  言葉遣いまで人間だ。しかも俺が好きな、小鳥のように愛くるしい声の響き。 「え、ど、どうしようか」 「じゃ、ご飯食べて、ドライブでもしましょう」 「いいね」 「やった、嬉しいわ!」  ラブドールが、ハンドルをにぎり、アクセルを踏んだ。車は滑るように走り出した。 「君の名は?」 「エミリ」 「かわいいね」 「あなたが好む名前を選んだの」 「脳のスキャンデーター?」 「そうよ。啓介さんの好きな女性のタイプ、声、話し方、衣装、肌の色から柔らかさ、年齢もね。当然、価値観もあなた好みよ」 「なるほど全てが俺好みか」 「フフッ」 「ほかになにを知ってる?」 「あなたが生殖機能を失ってること」  いきなり一番苦しんでいることに触れられ、俺は心臓が一瞬止まりそうになった。 「あなたの脳をスキャンしたとき、生殖機能に障がいがあることに気づいたの」 「わかってるだろうが、事故のせいなんだ」 「辛かったでしょう。でもあたしなら治せるわ」 「治せるって、うそだろう」 「安心して、あなたの機能は回復できるわ」 「そんなことまで。まさか別料金じゃないだろうな」 「すべて込みよ」  エミリは、ちらと俺をみて、優しく微笑んだ。  俺たちは、郊外のホテルで食事をすませると、部屋を借り、初めての夜を過ごした。  エミリの柔肌が俺を優しく包み込む。もうエッチは出来ないと思っていたのに、なぜかエミリが俺の背中のある部分を指で押すと、俺は獣のように燃えることが出来た。  一ヶ月はあっという間にすぎた。そのころの俺は、もうエミリなしではいられないほど、このラブドールにのめりこんでいた。 「一億円支払ったよ」 「嬉しい! あたし、ずっと一緒にいられるのね」 「うん、おまえは一生、俺の物だよ」  エミリは、日常の家事から介護まで、すべてを気持ちよくこなしてくれる。しかも夜は俺のありとあらゆる淫らな欲を満たしてくれた。一億円払っても、惜しいとは思わなかった。  エミリと二人だけの生活が始まって、一年が経ったある夏の日、俺の足に急に力が入らなくなった。もう自力で立てなくなったのだ。  病院での検査の結果、脊髄のダメージが悪化しているということだった。治療法はないとも言われた。 「エミリ、もう歩けないそうだ」  これからは、車いすを押してくれるエミリがたよりだった。 「あきらめないで」  エミリのまなざしは、まるでわが子を見つめるマリア様のように優しかった。 「もう預金も空っぽなんだ」  事故に遭ったとき、一時金として振り込まれていた一千万円も、殆ど使っていた。  車が家の駐車場に着いた。 「あなたが同意してくれるなら、あなたの足を取り戻すことが出来るわ」 「そんな夢のようなことが出来るなら、何でも同意するよ」  軽はずみだった。だがその時は足が元通りになるなら何でも良いと思った。 「元気をだして」  エミリは車を静かに止めると、俺のシートのリクライニングを倒した。 「何をはじめるんだ」 「足を回復させるのよ。心配しないで」  エミリがフロントガラスを触ると、車の全ての窓に黒い膜がかかった。 「ま、まさかここで」  俺は咄嗟に起き上がろうとした。 「ちょっとの辛抱よ」  エミリが指先で俺の背骨を軽く触った。 「あっ」  一瞬、ちくりとした。たちまち意識が遠ざかった。  目が覚めると自分のベッドにいた。 「気が付いた」  エミリの優しい笑顔がぼやけて見える。 「いったい」  俺は起き上がろうとして、足をベッドの脇にずらした。 「もう大丈夫よ」  俺は思わずベッドから立ち上がり、自分の両足を見た。 「わあああ」  俺の両足は切断され、ロボットの足がつながれていた。 「何て酷いことをしたんだ」  俺はあまりのことに錯乱して、エミリに向かって、足を蹴り上げた。 「あなたのためを思ってしたのよ」  エミリは軽くかわしながら、バランスを崩して倒れる俺のお腹の上にまたがった。 「おれを何だと思ってるんだ!」  手足をばたつかせたが、エミリはびくともしない。 「あなたを愛してるの、だから、あなたに死んで欲しくないのよ」  エミリが泣き叫ぶ。 「死ぬって?」  俺の全身から力が抜けていく。 「遺伝子情報からわかったの、あなたはあと十分後に死んでしまう」 「何が原因で」 「心筋梗塞よ」 「どうしてそれを早く言ってくれなかった」 「あなたを苦しめたくなかったの」 「治せないのか」 「できない」 「……」  俺は目を閉じた。 「でも」 「でもなんだ」 「一つだけ生き延びる方法があるわ」 「どんな」 「あなたの脳の記憶を丸ごとあたしのメモリにインプットするの」 「脳を、ばかばかしい」 「でも選択の余地はないわ」 「ううう」  突然、苦しみが襲った。 「た、たすけて」 「啓介、あなたはあたしのもの」  エミリは突然死する寸前の俺の頭に両手をかざし、毛穴より細い針の毛のような物を頭中の毛穴に侵入させて脳をまるごとスキャンした。 「ケイスケ、ケイスケ」 「ココハドコ?」 「アタシノナカヨ」 「エミリ、エミリ」  目の前に白目をむいた俺が横たわっていた。 「オレガシンデイル」 「シンパイシナイデ、アナタハ、アタシノモノ」 「オレハ、エミリノモノ」  意識が朦朧とする。 「サ、カエリマショ」 「ドコニ」 「アタシタチノイエヨ」 「イエ、イエ」  エミリが車を走らせる、着いたのはヒユーマノイドカンパニーだった。  「エミリが帰りました」 「エミリ、お帰り、カプセルに入りなさい」 「はい」  俺はエミリ、いや、俺は誰だ。 「時間がかかったが、これで生きた人間の意識と記憶をヒューマノイドにコピーするテクノロジーの完成だ」 「この男の記録をマイカードデーターから削除しておきたまえ」 「わかりました。交通事故でうまくモルモットをつくったのが成功しましたね」 「おい、声が大きいぞ、ラブドールに聞かれていたらどうするんだ」 「すみません」  二人の科学者は部屋を出て行った。 「オレハ、ラブドール」                    了
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