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二十四話
逆巻く業風が吹き抜けた。
「葵っ!」
廊下に待たされた一同が雪崩れ込ぬないなや襖が閉じ、茶倉とビンゴで顎が落ちる。
「入ってきちゃ意味ねーじゃん、漸く出れると思ったのに!」
「すまん。勢いで」
「早漏癖は孫と一緒か」
「馬鹿野郎!」
セクハラまがいの失言を大声でごまかす。
「僕が押したんです、ごめんなさい」
襖をガタガタ揺らしながら少年が詫び、孫娘の変わり果てた姿を目にした小山内さんが青ざめる。
「服はどこ?」
「なんで裸?私のことわかんないの」
「今の話聞いてないのか、葵は化け物に取り憑かれちゃったんだ。見ろよ、穴ぼこだらけじゃんか」
眼鏡の少年がポニテの肩を掴み、周囲に刻まれた破壊の痕跡を示す。
座敷は荒れ果てていた。天井を支える梁や柱は深く抉れ、一面に敷き詰められた畳は裏返り、大量の衣類が散らばる。
色とりどりの帯と触手が取っ組み合い、上に下に絡まり合って既にささくれた畳を削ぎ、天井でもんどりうって駆け下る。異形の死闘を遠巻きに眺めるのは夥しい蝶の群れ。
常軌を逸した惨状に慄いたのも束の間、少年を振りほどこうと暴れ出す。
「はなして、葵がオバケミミズに食べられちゃうっ!」
「この子たちは?」
口論おっぱじめた少年少女を見比べりゃ、じいちゃんと小山内さんがそっと目配せを交わす。
「かたっぽはジュンくんだよな。もうひとりは?まさか彼女連れで見舞いに」
「青木さんは女の子です」
小山内さんの発言に絶句。
「は?え?でも」
眼鏡の男の子がはきはき自己紹介する。
「申し遅れました、青木司です。こっちは妹の純、今日はコイツの付き添いできたんです。葵とは幼馴染でみんな同じ学校に通ってるんですよ、僕が三年で妹は二年」
「勝手に付いてきたんじゃん、頼んでないのに。受験で忙しいんだから帰りなよ」
「無茶いうな、閉じこめられたんだぞ」
「話すんじゃなかった」
「一人じゃ心配だし」
「保護者面しないで」
「君が司くん?」
男の子を指す。
「はい」
女の子を指す。
「君が純ちゃん」
「ちゃん付けはやめてください。なれなれしいです」
「ごめんなさい」
よくよく考えりゃ小山内さんたちは青木ジュンの性別に言及してねえ、俺が勝手な先入観で男の子だと思い込んでただけだ。
待てよ、そうなると。
「葵ちゃんの好きな子って……」
青木さんの顔が歪む。茶倉がため息で倦む。
「やっぱりな」
「気付いてたのか」
「居間で青木さんいうた時から予想はしとった。男やったら青木くんやろが」
「それだけで?」
俄かには信じがたい。
納得できず唇を曲げる俺に対し、淡々と推理を述べる。
「きょうび振られたショックでサボる中坊は少ない。カミングアウトでも兼ねんかぎり」
「待ってください。葵が青木さんに告白して、断られたのが不登校の原因だっておっしゃるんですか。ありえません、両方とも女の子ですよ」
「アンタがそんなんやからホンマのこと言えんかったんちゃうの」
雅さんがたじろぐ。
「家族にぶっちゃけは勇気いる、キモがられたらすげーへこむもん」
やるせない思いで話題を変える。
「なんでアイツの本名わかったの」
「蔵で家系図を見た。十四代当主伊右衛門は妾に子供産ませとった」
「揚羽と勘違いしなかった?」
「葵ちゃんが会うた女が低ゥ掠れた声で喋ったて雅さんに聞いて、男やないか思うたんや」
「それだけ!?」
名探偵が多すぎ。
じいちゃんが苦笑いする。
「聞いて驚け、種明かしはあっけない」
優しい視線を辿り、じいちゃんの右肩で休む黒い蝶に気付く。
『鳳車を……息子をたすけて……』
「揚羽なのか」
「コイツは恩人。ぞろぞろ廊下歩いとったらどこからとものうひらひら~て現れて、ここに導いてくれたんや」
茶倉がじいちゃんの肩に手を翳し霊視。
「悪い気は感じん」
「心配で成仏できなかったのか」
「物心付いた時から郭育ちの世間知らず、正妻に追い出されたら親子仲良ゥ野垂れ死にが関の山。ちょんぎったんを悔やんどるあたり、息子の人生狂わせた自覚はあったらしいで」
「……っ」
乳飲み子を抱えさまようのと遺していくの、どちらが賢明な判断か現代の価値観で裁くのは難しい。
『お座敷育ちの蝶は夜の鷹になれませぬ。されど今一度苦界に身を落とし赤子を育てる覚悟があれば、鳳車は狂わずにすんだのです』
むごい仕打ちをした鳳車への未練が、死後も揚羽を縛り付けた。
「説明してください、葵はどうしちゃったんですか」
「とりあえず落ち着いて。ミミズオバケはコイツ、茶倉の式神みてーなもん」
「危なくないの?」
「全然。味方だよ。俺たちゃ小山内さんの依頼を請けて、葵ちゃんに憑いてるもんを祓いにきたんだ」
「茶倉ってTSSの茶倉練さん?すげーや、生で見んの初めてだ!純も動画見たろタピオカの」
「葵、取り憑かれてるの?何に……」
「それを調べに来たらこの通り、えらいこっちゃで」
しれっと受け流す茶倉に耳打ち。
「普通の人にゃきゅうせん様見えねーはずだろ?」
「ここは蝶々座敷、鳳車の領域。霊体は受肉する」
「聞いたか雅さん、アレは茶倉さんの使い魔や。葵ちゃんを傷付けたりせえへん、安心し」
「信じていいの」
「はい」
胸を張って答える。
茶倉がむず痒げな顔をした。
「腕に覚えのあるヤツだけ前に出え」
残りのメンバーを背に庇い、じいちゃんや茶倉と並んで得物を構える。
「葵ん中には鳳車がおる。引っぺがさんと話にならん」
「わかってるけど」
きゅうせん様が弾き損じた帯が鋭く飛来、すかさずじいちゃんが打ち返す。
「来るで!」
反射的に体が動く。鳳車が放った帯を力強く叩き、反対側から潜り込んだ別の帯を撥ね付ける。
『花嫁衣裳をよこせ』
「あかん、同化すんで!」
鳳車の目的は黒無垢で装い祝言を上げること。
言われた通りにすりゃ最後、葵ちゃんの自我は完全に消滅する。
「きゃあっ!」
小山内さんがひしと黒無垢を抱き締め後退、青木さんが甲高い悲鳴を上げる。
女性陣の視線を追って上を仰ぎ、天井に張り付く着物に愕然とする。
「まずい!」
着物が膨らみ飛び掛かる間際、司くんがリュックに手を突っ込む。
「くらえ!」
司くんが投げた文庫が着物に命中、青木さんがあ然とする。
「私が貸した本……」
「ナイス!」
手が空いてりゃ親指立ててえ。司くんはまんざらでもなさげ。
「よそ見すな!」
じいちゃんが鎌首もたげた帯に打ち込む、茶倉が符を撒いて着物を燃やす。
「でやあっ!」
全身に漲る闘気を練り上げ切っ先に集中、ひらひらはらはら炎舞する蝶に必殺の打突を繰り出す。
廻る・廻る・廻る。
三人背中合わせで素早く廻り、入れ替わり立ち替わり死角を補い、茶倉が呼び出す爆炎の加速に乗じて竹刀を振り、帯の斬撃と蝶の襲撃を押し返す。
今しも脇腹を掠めた帯を黒い炎が灼き尽くし、赤い炎が燎原のように燃え広がって蝶を爆殺する。色の違いに意味あんのか?性質が異なるとか……。
じいちゃんが深く踏み込んだ前傾姿勢から飛燕の如く竹刀を翻し、炎の照り返しを受けた茶倉が檄をとばす。
「青木!」
「はい!」
「兄は引っ込んどれ!」
酷い言い草だ。しょんぼりする司くんの横、青木さんの顔に動揺が浮かぶ。
「大事な話があって来たんやろ。呼び戻せ」
「む、無理。できない……」
「根性入れろ」
「ちょうちょも帯も全部葵が操ってんでしょ、私の声なんか届かないよ!」
「ダチやねんやろ」
青木さんが虚を衝かれる。茶倉が皮肉げに片頬笑む。
「化けもんはダチちゃうか。また逃げるか」
「あ、あんたに何が」
「知らん。わからん。わかっとんのはお前と葵だけ、せやからケジメ付けにきたんやろ」
言葉足らずの茶倉に苛立ち、帯の鞭を捌いて声を張る。
「聞いてくれ青木さん、葵ちゃんさ、座敷で迷子になってるとき君の名前呼んだんだ。鳳車に取り込まれたのも君に似合いそうな着物めっけて、うっかり掴んじまったせいなんだ」
『ジュンにあげるの。仲直りのしるしに』
「私のせい……」
わからず屋に激怒した。
「なんでそうなるんだよ!葵ちゃんはさあ、仲直りしたかっただけなの!着物貢ぐからダチでいてくれって、だけどそんなの間違ってんじゃん!青木さんは真っ向敷居跨いで気持ち伝えにきたんだろ、だったら胸張って言ってこい!物に釣られて本当かどうかもわかんねえ仲直りする欲の皮突っ張った人間だって誤解したまま、大事なヤツが消えちまってもいいのかよ!?」
ぎゅっと唇を噛み、セーラー服の胸元を掴む。
「ごめん、小山内のおばあちゃん。葵と絶交したの」
衝撃の告白に小山内さんが止まる。
「学校来ない理由、ホントはわかってた。親にも先生にも友達にも言えなくて、ずるずる引き伸ばしてるうちに半年たっちゃって、昨日漸く兄貴に言えた」
「様子が変だから突っ込んでみりゃ案の定……ご飯も食べないしろくに寝れてなかったろ、お前」
司くんが沈痛に言い、死んだ蝶さながら畳に落ちた本に視線を飛ばす。タイトルは『思春期のガイドブック 性同一性障害の認知と理解』。
「鈍すぎだよジュンは、葵が誰好きかなんてバレバレじゃん。綺麗な蝶捕まえりゃ真っ先に見せにきた、ビーズの指輪をプレゼントした、極め付けがプロポーズ。ジュンちゃんと結婚するから司くんは神父さんしてねって、見てるこっちがやんなる位キラキラした目で言った」
諭す言葉に諦めが漂ってるのは、葵ちゃんが初恋だったからか。
葵ちゃんが青木さんを見ていたのと同じだけ、青木さんに恋する葵ちゃんを見ていたのか。
「うっ……」
小山内さんが跪く。
「葵、は。小さい頃からお転婆で、青や緑など男の子っぽい色を好みました。女の子向けのアニメより戦隊ヒーローに夢中で、スカートは嫌いで、ずっと髪を短くしていました」
丁寧に畳んだ黒無垢を雫が湿す。
「入学式の前夜、暗い顔で部屋に来ました。セーラー服は着たくないって言うんです。もちろん叱りました。ジャージで行きたいなんて何を馬鹿な、おばあちゃんに恥かかせないで頂戴って」
子供じゃないんだからわがまま言わないで、他の親御さんもたくさん来るのに。
「それだけじゃない。成人式に向けて髪伸ばしましょ、今から伸ばせば間に合うから、綺麗に結ってあげるわよって言ったわ」
しなだれた黒無垢をかき抱き、片翅が縒れた蝶の刺繍に懺悔する。
「うんと小さい頃、葵は『僕』って言ってたんです。私が矯正しました。司くんのまね?女の子が僕なんてみっともない、おかしいわよって、それがさも正しいことかのように……あれから『僕』なんて言いません。安心しました。なんて罪深い」
「うちのババアも孫の左利き直そて躍起になったで。無駄やったけど」
茶倉が鼻を鳴らし左手の符を撒く。
地獄蝶を中心に放射線状に敷かれた帯の花道が炎上し、万華鏡の模様が錆びるが如く灰燼に帰していく。
心当たりを蒸し返しゃきりがない。
小山内さんは葵ちゃんを愛していた。葵ちゃんも小山内さんが好きだった。
だからこそ。
「しなくていい我慢をさせてたのね……」
蹲る小山内さんを追い越し、青木さんが近付く。
「酷いこと言ってごめん。謝って許されることじゃないってわかってる、でも言わせて。気持ち悪いっていうのはそうじゃなくて、葵のこと何でも話せる一番の友達だと思ってて、なのに葵は違くて、それがショックだっただけなの。手を繋いだりキスしたり、私が先輩としたいと思ってること葵も想像してたなんて、キャパオーバーで受け止めらんなかった」
「やめて」
「葵がいなきゃツマんないよ。仲直りしたい。昔みたいに戻りたい」
「虫よすぎ。どんな気持ちで告ったと思ってんだ」
茶倉が合図を送ってきゅうせん様を静め、天井壁床を這い座敷で蠢く帯が凪ぎ、黒い蝶が滞空する。
固唾を飲んで見守る俺たちの後ろ、小山内さんと司くんに挟まれ立ち尽くす青木さんが、鳳車が憑依した葵ちゃんと視線を交わす。
鳳車と面影をだぶらせ、葵ちゃんが泣き笑いする。
「正直言いなよ、女の子が女の子を好きになるなんて気持ち悪いと思ったでしょ?」
「違」
「ごまかさないで。あの時ハッキリわかった。蛹をメスで切り裂いて、中のドロドロ見ちゃった顔」
それはたぶん、恋愛感情から最も縁遠い嫌悪の表情。
「『私』なんて違和感しか感じない。セーラー服は嫌い。ジャージの方がマシ。ホントはズボンで通いたかった」
自分で自分を否定し、普通の枠に押し込める日々。
「足開いて座っちゃだめ。口開けて笑っちゃだめ。女の子らしくしなさいって叱られて、頑張ってそうしたよ。おばあちゃん哀しませるのやだから……お父さんたちみたく自分勝手で幼稚な大人と違うもん。『私』も飲み込んだ、国語の教科書で男の人が言ってたし。でもさ、アレは反則。なんで恋愛相談なんかしたの?頭おかしくなりそうな位ジュンを好きなの、これっぽっちも気付いてなかったの」
「親友だと思ってた」
「友達でいたかった。いようとした」
「子供の頃カブトあげたよね。覚えてる?」
「うん」
「いっぱいいるなんて嘘。兄貴虫捕り下手だもん」
「じゃあなんで」
「友達のしるし」
司くんが妹を案じ踏み出すのを制し、緊迫したやりとりを見守る。
葵ちゃんが自虐的に笑む。
「髪を伸ばさないでいたのは最後の抵抗。心は男のまま、体だけ女になってくのが嫌だった」
息を吸い込む。
「捨てたかった。消えたかった。本当じゃない体はだれかにあげる、だからちゃんとした男にしてくださいって、信じてもない神様に毎日祈った。で、バチが当たった」
葵ちゃんは優しい子だ。
女の体に男の心を宿し、その事を誰にも打ち明けられず悩んでいた。
「ごめんねおばあちゃん。がっかりした?」
「葵……」
孫の成人祝いに振袖を贈るのが夢だと小山内さんは語った。
「僕、振袖似合わないよ」
早すぎる下見に連れ出された葵ちゃんは、どんな気持ちで青を選んだんだろうか。
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