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二十五話
「アイツ、なんで俺と兄様間違えたの」
「似とるんちゃうか」
「顔?」
「か、雰囲気。小山内家は由緒正しい武士の家系、お前んとこもそうやろ。祝言上げとうても肝心の相手がおらな話にならん、ちゅーわけで消去法で代役立てた」
「それで満足なのか」
「本人死んどるし」
夢に現れた男と自分が似てるとは思えなかったが、悪霊の分別を消し飛ばすのが霊姦体質の所以か。
『黒無垢をよこせ』
「許して葵」
『もうやめて鳳車』
じいちゃんが裂帛の気合を込めて蝶を叩っ斬り、茶倉が符で焼き捨て、二人の討ち漏らしを踏み込みに合わせて薙ぐ。
「嫌っ!!」
何度追い散らせどまた集まり、懲りずに甦る蝶の群れが、死に物狂いでしがみ付く小山内さんを吊るしたまま黒無垢をさらってく。振袖が場違いな優雅さで羽ばたき、裏地の赤が見えた。
思い出せ、考えろ。
俺と長政が別人だって証拠は……。
「火傷がねえ!」
堂々腕を掲げて叫ぶ。
鳳車の動きが止まる。
「忘れたとは言わさねえぞ、お前を庇ってできた火傷だよ!お栄がぶん投げた鉄瓶の湯を浴びて、長政の腕にはでっけえ痕が残った!」
『兄様じゃない?』
「俺は烏丸理一!TSSの調査員、スーパー霊能者チャクラ王子のイケてる助手だ!」
『そんな』
鳳車が愕然と立ち竦む。もうすこしで葵ちゃんを引っ張り出せる。
「閃いた」
他二人を招いて耳打ちすりゃ、案の定茶倉が難色を示す。
「アホか」
「イケる」
「自分でやれ」
「お前の方が似合うって絶対」
「悪ゥない。賭けてみよか」
「多数決の勝利」
じいちゃんの援護射撃に感謝し、遠ざかる黒無垢を竹刀の先にひっかけ裏返す。お色直し。
「どっちみち夫婦にゃなれねえ。先約いっから」
紅絹には魔除けの効果があると聞いた。伴侶のもとに辿り着くまで花嫁を守る験担ぎ。
じいちゃんに竹刀を預け、茶倉に赤無垢を着せ、親指の腹を噛み切る。
紅を欺く血の色が唇に映え、もとから端正な顔が艶を含み、魔性の色香が漂い出す。
「よく似合ってる」
「そっちも男前やで」
帯や着物の切れ端が踊り狂い、燃え落ちる蝶が赫灼と輝く座敷で契りを交わす。
厳かな面持ちで真ん中に陣取るじいちゃんが、俺たちの手を重ね置く。
「これより夫婦固めの儀をはじめる。ご両人とも末永うしあわせに」
武家は伝統と格式を重んじる。新郎新婦の仲を取り持ち、夫婦として承認する媒酌人は婚礼の席に欠かせねえはず。
が、鳳車は用意できなかった。
『あ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛』
手札は尽きた。
「おめでとうございます!」
空気を読んだ司くんが大袈裟に手を叩き、小山内さんジュンちゃんもぎこちねえ拍手をよこす。
「三々九度の盃ねえけど」
「大吟醸もってこい」
祝福の中うなじに手を回し、首を支え接吻。口紅が溶けて滲み、唾液で割った鉄錆の苦味が灰汁のように舌を刺す。
何故か茶倉の指も切れていた。唇を窄め血を吸えば、女装の花嫁も指を食み、咥え、啜り返す。
天井のひびがぱらぱら塵をこぼし、太い柱がめりめり裂け、嵐の海の筏の如く暴れる畳の下で板張りが傾ぐ。
蝶々座敷は鳳車の心の産物、精神と直にリンクしてる。動揺すりゃ形をたもてず、必定の破綻をきたす。
「あぢっ!?」
びっくりしてとびのけば、てのひらに蝶の形の火傷ができていた。茶倉のうなじに見慣れぬ刺青……痣?
「首の後ろどうした」
「転んだ」
兎にも角にも接吻を堪能し、ふてぶてしく口角を上げる。
「お先に堪忍な」
『許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ』
崩壊が進む。
座敷が歪む。
『どこまでもこけにして!!』
蝶の大群が滑空する。
「ぶっぱなすで!」
「了解!」
茶倉の左手に右手を組ませ、しっかり束ね上げる。
色違いの数珠が涼やかに鳴り、閃光があたりを照らす。太極図のように黒白混ざり合った光が膨らみ、群れを押し返す。
浄化の光に灼かれ、黒い蝶が昇天していく。
足裏が畳を摺り、壁際まで吹っ飛ぶ。あられもなくはだけた紅襦袢がずり落ち、白い肢体が暴かれる。
『どうしてなの』
虚しい問いかけ。
『いらないって言ったじゃないか』
だから貰った。
『私はただ兄様と……』
大量の木屑が降りしきりずずずと柱が沈む。なのに悪あがきをやめず、ボロボロに擦り切れた蝶と帯を操り、俺と茶倉に飛ばす。
「家が憎くて祟ったんじゃねえ。女に生まれ変わって、好きなヤツの嫁さんになんのがお前の本懐」
「せやから待った。ちぐはぐの子が生まれて体が手に入るまで」
「ズルして成り代わったって夢が叶うわきゃねー、他人の体で抱かれて感じてホントに幸せだって言えんのか!?お前の望みは女になることじゃねえ、半端もんの鳳車のまんま汚えとこも醜いとこも全部ひっくるめて愛してもらうこったろ!!」
葵ちゃんが此処に呼ばれたのは、鳳車と同じ願望を持っていたから。
男と女どっちでもねえ自分を受け入れ、歪な体と心まるごと愛してほしがる魂を。
『慕うひとと結ばれぬなら、生まれてこなければよかった』
打ち萎れた鳳車のもとに揚羽が向かい、颯爽とポニテを揺らし、セーラー服の少女が走ってく。
「戻れ青木さん!」
「行かせたれ」
倒れてくる柱をかいくぐり、落ちてきた梁を躱し、必死の形相で鳳車のもとまで辿り着いた青木さんが断言する。
「生まれてきたから会えたんだよ」
鳳車の手を包む。
「葵のことわかったなんて言えない。でもね、わかっていきたい。辛いことや苦しいことは半分分けてほしい、一緒にとことん悩むから。これからさき、どっちを選んでもそばにいる」
スクールバックから短パンを取り出し、せっかちに足を突っ込む。
「葵はなり損ないなんかじゃない。アンタの気持ち考えず酷いこと言った、私の方が人のなり損ないだ。でも、だから、足りない同士埋め合って、踏んだり蹴ったり経験して、泣いたり笑ったりしながら大人になりたい。アンタがジャージで通すならスカートの下に短パン穿く。いい年してなんでもかんでもおそろいは無理だけど、ガッコの行き帰りはやっぱお喋りしたいから、兄貴と挟んで歩く。川の字フォーメーションだよ」
額に額を合わせ、囁く。
「はみ出したっていい。そのままでいい。中のあなたも」
微笑む。
「返事、待たせてごめん。好きでいてくれてありがと」
一途な念に報い、恋心に感謝を捧げ、片翅の蝶を癒やす。
「ご先祖様の惨い仕打ち、心よりお詫び申し上げます。ですからどうか孫を、葵を返してください。女の体が欲しければこの老いぼれが身代わりになります」
「葵は妹の親友なんです、いなくなったら寂しくなります、連れてかないでください」
小山内さんが慎み深く土下座し、司くんが畳に額を打ち付け懇願する。
こんなに大勢に求められて、それで貴女はどうしたいの。
一緒に逝く?
独りで行く?
『帰りたい』
それが答えなのね。
少女の裸身がくたりと頽れ、胸のあたりから半透明の蝶が抜け出す。
「逃げろ!」
天井の重さに撓んだ梁が曲がり、柱がへし折れた。
みすぼらしく翅を傷めた揚羽が息子を庇って突っ伏し、青木さんが葵ちゃんをおんぶで走り、それに小山内さんと司くんが続く。
「はよ来い!」
じいちゃんの手を掴む。
「おわっ!」
「きゃっ!」
襖を倒した勢いで縁側に転がり出、夢から覚めた心地で振り返りゃ、座敷の中央に潰れた空き箱が転がっていた。
司くんが投げた文庫本も落ちてるが、鳳車がしっちゃかめっちゃか散らかした衣類は見当たらねえ。
「帰れたのか。鳳車と揚羽は?」
小山内邸の至る所で無数の蝶が生じ、西空を染める夕焼けに立ち消えていく。
「火葬ね」
小山内さんが寂寥と呟く。幻想的な情景に見入った矢先、感慨深げな独白が響いた。
『空……広い』
軒下からさまよいでた蝶が美しい少年に化ける。隣には人に戻った揚羽が、穏やかな母の顔で寄り添っていた。
脱いだ赤無垢を引きずり、茶倉が小山内さんに聞く。
「もろてもええですか」
「え、ええ。構いませんけど」
もとより箪笥の肥やしになっていたもの、死霊の念が染み付いてるなら専門家に処分を委ねるのが妥当な判断だ。
依頼人の許しを得たのち、譲り受けた着物を庭に放り、軽やかに指を弾く。
炎上。
「供養や。もってけ」
お焚き上げされた衣装を身に纏い、鳳車がお辞儀をした。
「粋なまねしはる」
「だろ?」
感心するじいちゃんの横に立ち、上司の手柄でドヤった。
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