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家裁調査官
仕事でいつも遅くなる
高速道路はどこも渋滞
駐車場はいつも空いてない
車から降りたら雨
歩くのにも傘はない
ああイライラする
いつもいつも
あたしはついていない。生まれてからいいことなんかひとつもない。そんなあたしを誰も気にしない。あたしが生まれたとき、家族は同じ時刻に生まれた牛の方を心配した、と聞いた。
事務所のドアを蹴飛ばした。衛士のおっさんが目を剝いている。
「おいおい、今日も大荒れだね」
ドタドタと足音のする方向を見て、大磯がため息交じりにそう言った。
ここ豊浦市家庭裁判所の裁判官、大磯武は昨年赴任したばかりだが、優秀さと元来の人当たりのよさから、ただでさえ激務で崩壊しがちなここの組織をまとめ上げている。
事務官の高畑が「じゃじゃ馬ですからねっ、ありゃ」と揶揄する。
大きな音をたてながら古びたドアを開けて涼子が入ってくる。
添田涼子。家庭裁判所調査官。それは審理に伴う案件を調査する、実質的な裏取り業務、だ。
家庭裁判所――扱う事件は概ね二つ。家庭内のもめごとを扱う家事事件と、非行を起こした少年に対する少年事件だ。そのいずれも子供に密接に関係する案件であり、その調査、調整、そして裁判官への報告が調査官の役目だ。早く言えば、紛争に巻き込まれたり、また紛争を起こしたりした未成年の少年少女たちの未来を初期段階で決定する、責任重い仕事と言える。
「そえだくん、ちゃんと調べて来たんですかね?四〇三号の件は」
豊浦支部では案件を号数で呼ぶ。人権、とくに少年事件審理者への配慮だ。事務官の牧田が薄ら笑いを浮かべ、涼子に言った。悪ぶったクソガキ、自分のことしか考えないクソ親、まるで関係ないというスタンスのクソ学校にクソ教師。こいつら相手にまともな調査なんかできはしないだろう。
「ああっ?クソしみったれた情報で何がわかるのか、逆に教えてくれよ、せんぱい」
いつもの涼子の悪たれ口だ。
「きみは裁判所の職員としてもっとふさわしい言動を…」
牧田事務官が呆れたようにそう言った。裁判所職員として常に言動には気をつけろと、上司である大磯にも口酸っぱく言われているのだ。
「はあ?ふさわしい言動してたらあいつらがよい子になるんですか?毎晩、夜九時には歯を磨いて寝る、いい子になっちゃうんですか?ああっ?」
「よしなさい、添田さん。調査結果を聞きましょう」
大磯が割って入るようにしてそう言った。上司には逆らえません。
「はーい。死ね、マキタ」
牧田を振り返る容姿もなく、涼子は背中で中指を立て牧田に見せた。
「その指は禁止でしょ」
大磯がピシリと涼子に言った。ちっ、お見通しかよ。
「ちぇ、はーいっす」
北海道で生まれた。牛と育った。大学は司法書士をめざし、ボクシング部にも在籍していた。性格はそう…破天荒な添田涼子は美しい美貌とは裏腹に、その言動行動から豊浦家裁の癌、とも言われていた。
「少年審理はただでさえデリケートなんです。乱暴な言動や行為は慎んでくださいね。とくに、子供の胸ぐらを掴むなんて、もってのほかですから」
「こども、ね。へいへい」
奴らを子供だなんて、一度も思ったことなんてない。ずるがしこくて、ばかで、残酷な小鬼だ。やつらとまともにやりあうなんてありえない。あいつらはみんな大人の縮図だ。この腐った社会の中のバケモノなんだ。
報告を終え、明日の審理の準備をする。すべてを片付けて時計をみたら20時を少し過ぎていた。
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