雨の夜に

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雨の夜に

家裁の衛士に声をかけて外に出ると、まだ雨が降っていた。大磯に借りた折り畳みの傘を広げると、公園通りをまっすぐに歩きだす。 中途半端な時間だ。飲みに行くには遅いし、アパートに帰るには早い。いや、早くはないのだが、なんだかあの、冷え切ったひとりきりの空間に戻るのは嫌だった。 毎日審理とその裏付け。裁判があればその前には寝る暇もなくなるなんてことは当たり前だ。どんなに頑張っても人に感謝されることはない。上司である大磯はいつも言う。いつもクールで冷静で、そして寡黙でいなければならない。なーんてできるわけねーだろ!ああ、飲みてえなあ! 「バッカヤローっ!」 人通りのないのをいいことに怒鳴っていた。軽犯罪法違反だな、これって。あたしの気持ちとは裏腹に、それでも静かに雨は降っていた。 公園の角に電話ボックスがある。今どきみんなスマホを持っている。電話ボックスで電話をかけている人間なんて、めったに見たことない。が、いまは人影が見える。 小さな人影だ。ジーパンに白いTシャツ、ナイキのパクリのロゴ入りスニーカー。仕事柄、そんなことばかり目につく。 仕事柄か…。家出かな? こういう案件は腐るほど見てきた。家に帰らない…いや帰れないんだ。こいつは家庭内の事案か学校でのいじめがほとんどだ。家庭で虐げられ、学校に逃げりゃそこで虐げられる。どこに逃げりゃいいってんだ? あいつらに、逃げる場所なんてどこにもない。社会がもう、腐ってるんだ。 「ちっ」 涼子は舌打ちをし、雨に濡れた電話ボックスに向かった。 よく見ると、小学4,5年生の男の子のようだ。身じろぎもせず、電話ボックスの中でただボーっと立っている。 「おい」 「…」 「おいって言ってんの!」 「…」 「シカトすんなよ。こっち見ろ」 「何ですか」 ようやく小さな声で少年は返事をした。おせーよ。 「何ですかじゃねえよ。何やってんだよこんな時間に」 「こんな時間にこんな場所にいるボクに、なにか問題あるんですか?」 はあ?何言ってんだ、このガキ。舐めてんのか?夜中にどこの誰かもわからんやつに怒鳴られてんだぞ?少しくらい驚いたりビビった顔するなりしねえのかよ!ぶっ飛ばすか? 急に大磯の顔が脳裏をよぎった。 「いえ、見たところ、電話もおかけになってないようなので、失礼ながらご注意を申し上げようと思いまして。あなたの現在置かれている状況は、その立ち入っている所はれっきとした企業の私有物内でして、よく、公共物と勘違いされている方がいらっしゃいますが、大きな間違いです。使用目的以外にご使用されることは、私有物占拠、という非行案件で、民法および刑法に抵触する恐れがあります」 一気に言った。慇懃すぎたかな、こども、に。 「つまりおばさんはぼくにこの電話ボックスから出ていけと…。この雨の中を?ぼくが傘を持っていないのを承知で?」 超生意気。 「早くうちに帰れってんだよ!それからあたしはおねえさんだから!いい加減ぶっ飛ばすぞ!」 涼子はすこしキレた。大磯がいつも涼子に注意している。少年審理に最も重要なのは、公平にしかも審理において少年の心に寄り添うことだ、と。おどしあげるなどもってのほかだ。 また大磯の顔がちらついたが、元来のこういう性格だ。とまらん。
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