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気まずいが居るのを知られてしまったのなら行かなければいけない。道香は重たい足を引きずってめぐみとマサのもとへ向かう。
「道香、昨日から友だちと一緒だったのか」
「え、あ。うん」
「いや、マサさん! アンタね、そうじゃなくてさっきの女はなんなんだって話よ」
「アレは俺の秘書だよ」
「は?」
めぐみと道香の声が重なる。
「悪いけど本当に時間がないんだ。道香、戻ったら俺の家で待っててくれるか」
「それは、良いけど」
「つけ込んで悪さしてるわけじゃないって言い切れますか?」
「あのな……道香が自分の女でもなかったら家の鍵まで渡すと思うか?」
食って掛かるめぐみに対して盛大な溜め息を吐き出すと、本当に時間がないと言い改めて、マサは胸元から革のケースを取り出すと、名刺を二枚引き抜いて二人に渡した。
「細かい話は帰ってからするから。それにアンタも、俺が嫌いなのか道香が大事なのか知らないけど、大事な商談相手だったら人の仕事ブッ潰してるところだぞ」
めぐみの短気さに釘を刺すと、必ず家で待っててくれと言い残してマサは急ぎ足でその場を離れていった。
道香はいつもと違ういでたちのマサの後ろ姿を茫然と見送る。
「ねえ! ちょっと道香!」
周りの人が何事かと振り返る大声で、めぐみは道香の肩を叩くと、マサが残していった名刺をよく見ろと騒ぐ。
「グラッツ&ブレイザー……」
道香もよく知っている。確か元々は町の小さなテイラーが始まりで、近年は若年層をターゲットにしたメンズ向けの老舗ブランドだ。マサの残した名刺には専務取締役、盛長高政と書いてある。
「グラブレの専務が、なんであんなとこでバーテンしてんのよ?」
「……だから、オーナーに恩があるって」
「なに? アンタ本当になにも聞いてないの」
「うん。本職? を聞いても、バーの店員で良いじゃんとか、バタバタしてるからその内とか、はぐらかされて」
まさか老舗ブランドの専務だったとは。
———もりなが、たかまさ。
それがマサの本名なのか。名前すら知らなかった。やはり同情して哀れんでくれただけだったのか。
道香は気が付くと涙を溢していた。めぐみはギョッとしてタオルハンカチを取り出すと、とりあえず家に帰ろうと道香の手を引いて駐車場に足を進めた。
「いつまで泣いてんの。つかなんで泣くの」
「だって、私何も知らない。名前すら知らなかった」
「バカね、あの人の言葉聞いてなかったの?自分の女でもない子に鍵渡さないって言ってたでしょ。しっかりしなさいよ」
「でも……」
「さっきは見るからに忙しそうだったし、連れの女が秘書ってのも本当だと思う。それにアンタ、あの人に家で待ってろって言われたんだから、帰ったら問い詰めてやれば良いのよ。なんなら私も行こうか?」
「来て欲しいけど、話が拗れそう」
「あら、言い返す元気は出たみたいね」
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