5:焔の獣と移譲の御子

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5:焔の獣と移譲の御子

「この姿なら……こうして君が常に身に付けられるものも造りやすいからな。少し待っていてくれ」  わたしを抱きあげながら歩いていたヤフタレクは、そう言って巨大な木の麓へわたしを座らせた。  ここは神殿を通り過ぎた先にある神の領域なので、滅多に足を踏み入れることはない。  木の近くには、透明な角を持つ大きな鹿の骸が横たわっていた。  綺麗に肉が削げているその骨は、風化したものではなく、誰かが手入れをしてそうなったのだとなんとなくわかる。  優しい表情を浮かべながら、その鹿の骸を撫でているヤフタレクを見て、それが彼なのだということも。  赤銅色のたくましい腕が、氷で出来たような鹿の角に触れる。大角鹿(トナカイ)のものと違った、木の枝に似ているそれは、乾いた音を立てて折れた。  こちらに戻ってきたヤフタレクは、わたしの足首に角の一部を当ててくれる。ひんやりとして、本物の氷みたいだった。でも、氷みたいに冷たさで肌が真っ赤にならない。不思議な感覚に驚いていると、彼は右手だけを狼のものに戻し、鋭い爪で小さな角を器用に加工していく。 「これって……」 「かつての友だ。この森の恵みと守りになるように、骸を安置していたが……少しばかり力を借りようと思ってな」 「友達を……殺さなきゃいけなかったの?」 「俺がああなっていたら、こいつも俺を殺してくれただろうさ」  あなたが……そうならなくてよかったと言おうとして口を噤む。それから、彼が優しい表情で透明な角を触れる様子を、彼の肩にもたれ掛かりながら黙って見つめていた。  硬いものを削る音が一定のリズムで聞こえてくる。鋭角を丸めて傷付かないように加工された角の根元に僅かにくびれのようなものを付け終わると、ヤフタレクは自分の髪の毛の一房をサッと切り取った。 「あ」  もったいない……と思ったけれど、不思議なことに彼の髪は切った部分を補うようにするすると目の前で伸びていく。 「君は……俺のように髪が伸びたりしないのはわかってるが……髪を少しもらってもいいか?」 「う、うん」  頷いたわたしの髪にヤフタレクが触れる。それから、遠慮がちに一本だけわたしの髪を切ると、彼は切り取った一房の赤い髪にわたしの髪を混ぜて紐を編み始めた。 「すごい……。貴方、そんなことも出来たのね」 「昔、俺にこういうことを教えてくれた物好きな人がいたんだ」  手元をじっと見ながら、彼はそっと言葉を漏らす。 「その人とは、会いたくないの?」 「ずっと前に、天に召された。君みたいに変わった人だった」  何て言葉を返せば良いのかわからないけれど、ヤフタレクが柔らかい表情で微笑むので、短く「そう」とだけ返す。  きっと、彼に取っては大切な人で、この人は大切な存在をたくさん失ってここまで生きていたんだということまで分かってしまう。  そして、わたしが死んだら、彼は、もしかしたら、また大切な存在を失うことになるのかなって考えて、胸の奥がチクリと痛む。 「出来た。仕上げにサラの角を……」 「あの、それが、その氷の角を持っていた獣の名前なの?」 「ん……? ああ、あいつの名を口にしていたか。そうだ」 「素敵な名前ね」 「サラは、歌と踊りが上手い神だった。きっと君のことを守ってくれるだろう」  彼の紅い髪で編み上げられた紐は、木々の合間から零れ落ちる光に照らされて、赤銅のようにきらきらと輝いている。  編んだ紐の中央部分を、角の括れ部分に結び付けて硬く縛ってからヤフタレクは「仕上げをするからよく見ていてくれ」と少し鋭い犬歯を見せて笑うと、ゆっくりと立ち上がる。  わたしに出来たばかりの護符(アミュレット)を手渡した彼の肌が、あっというまに伸びてきた赤い毛に覆われていく。  さっきまで丸みを帯びていた黒い爪が鋭く変化して、輪郭の顎の鋭さが失われる代わりに、鼻先が伸びていく。徐々に背筋が曲がっていき、両腕だった部分は地面に付いて立派な前脚に変わった。  あっと言う間に、わたしの前にいた精悍な男性は巨大な狼の姿へと戻っていった。 「それを俺の口元へかざしてくれ。危ないから、横から、そう」  彼の指示通り、ヤフタレク大きな頭の真横に立ち、作って貰ったばかりの護符(アミュレット)を鼻の上からぶら下げる。  ふぅっと彼が口をすぼめて息を吐くと、細くて綺麗な真っ赤な炎が氷のような角を橙色に染め上げた。 「わあ……、きれい」  夕焼けの空を閉じ込めたみたいな色で、思わず感嘆の声をあげたわたしを見て、ヤフタレクがうれしそうに目を細める。 「それなら、ずっと身に付けていられるだろ?」  彼が作ってくれた護符(アミュレット)を両手で抱えるようにして胸の前で抱きしめると、じんわりと温かかった。  炎に温められたからでは無く、角の中に込められたヤフタレクの魔力が少しだけ外に出ているからだってなんとなくわかる。  忘れたりしないように、護符(アミュレット)を手首に巻いて、長袖で隠した。誰かに見つかって咎められたら嫌だもの。それに、引っかかって落としたりするのも嫌だし。 「ありがとう。本当に……」 「俺の爪は……そうだな。次会うときに持ってきたらナイフにでも加工してやろう」 「また会ってくれるのね。よかった」  少しだけホッとした。彼は、今すぐにでも森から出ていくと言い出しそうだったから。   わたしを背中に乗せながら、彼は森の中をゆっくりと歩いて行く。  朝からここへ来て、もう夕暮れも近い。心配しないでって書き置きをしたけれど……流石に一晩帰らなければ、コダルトが探しに来るだろう。  悪い人では無いし、優しい人なのは知っているけれど……それでも、彼に領主の義務としてわたしの人生を背負って欲しいわけではない。  だから、つい彼の好意に気付かないふりをしてしまう。  森の出口まで来て、わたしはヤフタレクの大きな背中からそっと降りた。  しっかりと冷やしていたからか、足首はもう痛まない。 「……だから」 「え」  帰り際、消え入りそうな声で、彼が呟いた言葉の一部だけが耳に入る。  よく聞こえなくて聞き返すと、彼が照れくさそうに視線を逸らしながら耳をぺたりと折り曲げて口を開いた。 「俺だって……初めて見たときから、君のことがとても眩しく見えたんだ」 「ほんとに?」  思わず、彼の首元に抱きつきながら、うれしすぎる言葉を確認する。 「俺みたいな化け物を、好きだと言ってくれて、正直、浮かれている」 「ふふ……よかった」  キュウンと犬みたいに鼻を鳴らす大きな狼が愛おしくて、鼻先にそっと口づけると、彼もお返しにわたしの頬に濡れた鼻を押しつけてくれる。 「また会いに行くから」 「無理はするな。俺はいつでも君のことを見守っているから。村のやつらに心配をかけるのもよくない」 「ありがとう」  彼に背を向けて、わたしは村へと急いだ。  胸に微かにあたる護符(アミュレット)がぽかぽかと温かくて、ずっとヤフタレクがそばにいてくれるような気持ちになる。  もう少し落ち着いたら、彼を村に連れてきてみよう。狼の姿をしていたら怖がるかもしれないけれど、人の姿なら、きっと彼の良さを村のみんなもわかってくれるはず。  村を囲っている門を開くと、コダルトがわたしのことを待っていた。もしかして、帰りが遅いから探しに行こうとしていたのかな? 「コダルト?」  少しだけ申し訳なくて、わたしは彼が口を開くより先に「遅くなってごめんなさい」と口にする。  でも、彼は困っているような下がり眉を少しだけ下げて「怪我がないならよかった」とだけ言って、わたしに背を向けた。  いつもなら「心配したんだぞ」って一言から始まって、色々とお説教してくるのに……。何かあったのかな? 疲れているだけなら良いけれど。  元気が無さそうなコダルトの背中を見送ってから、わたしは家へと戻った。  ヤフタレクの爪を革のポーチの中にしまって、家の中を片付ける。  明日は、村のみんながわたしに祈りを捧げる日だから、外へは出られない。明日の祈りやお願いを聞き届けて、移譲の儀を行ってからだから、ヤフタレクに会えるのは少し先になるのかな……。  あの綺麗で少し硬いけれど温かい毛皮に包まれることが出来ないのはすごく寂しいけれど……御子としての役割は果たさないといけないから。  寝具に寝転がりながら、じんわりと温かい護符(アミュレット)を握りしめる。 「俺はいつでも君のことを見守っているから」  彼の低くて柔らかな声を思い出しながら、わたしは眠りについた。  轟々と燃えさかる大きな炎みたいに揺れる、彼のゆるく波打つ赤い毛皮を思い浮かべて、いつか、彼との間にかわいい子供を授かることを夢見ながら。 ―完―
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