「全部忘れるくらい」

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 先輩たちや話したことのない同学年のゼミ生とも交流して、なかなか有意義な時間を過ごした。  3時間ほど経って飲み放題の時間が過ぎると、その場にいた半数以上の人たちが二次会と称して近くの居酒屋に移動した。  お酒が入って、だんだんと賑やかになり、数人で集まってそれぞれの話題で盛り上がっている。 「そういえば美晴、私の両親知ってるんだっけ」 「あー、そうそう。その話の途中だった」  私は隣に座る美晴に話しかけた。周りの子たちは恋愛話に夢中で私の会話は耳に入っていなそうだ。 「うちの両親と姉も医者なんだよね」 「え、そうなの?」 「うん。2年前まで怜南の両親と同じ病院で働いてたんだよ。今はそこ辞めて個人病院してるけど。あ、姉は元の病院に残ってる」 「知らなかった…」  美晴の両親は自宅で同僚の話なんてするんだ。うちとは大違いだ。  知らなかったという私の発言に美晴は不思議そうな顔をする。 「あー、苗字知らないとか?平岡だよー。姉は平岡美雨(みう)。美しい雨って書くの」 「きれいな名前~」  美雨に美晴だなんて。姉弟らしい素敵な名前だ。 「え、なにその反応。ほんとに何も知らない?」 「…どういうこと?」 「怜南のお兄さんの優一郎さんと、うちの姉ちゃん、少し前に婚約したでしょ?」  美晴は混乱したような表情を見せる。いや、でも間違いなく私の方が混乱していた。  兄の婚約なんてそんな大事な話、何も聞いていない。だっていつ家に帰ったって誰とも会わないんだから、聞くタイミングなんてない。 「あ、ああ。ごめん、…そうだったね。美雨さんの名前すっかり忘れちゃってて。まさか美晴のお姉さんだなんて思わなかったから」 「ねー、びっくりだよ。世間は狭いね」  動揺が隠せない。でもここで美晴に悟られる訳にはいかない。そう思って私は精一杯の演技をした。 「怜南のお兄さんが、姉ちゃんの大学時代の先輩だったんでしょ?学生の時からの付き合いらしいから…何年続いてんだろ。すごいよねー」 「…そう、なんだ。うちでは全然そんな話しないから…知らなかったな」 「えー、うちに来たときは結構いろいろ話してくれるんだけどな、優一郎さん。家族の前だと恥ずかしいのかな」  そうか、あの寡黙で冷たい目をした兄は、私の前でだけの姿だったのだ。  体温がスッと下がっていくような、そんな感覚があった。
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