1話完結・読切

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1話完結・読切

 子供の頃から、なにくれとなく本屋に()(びた)るのが好きだった。  あてもなく書棚の迷路をめぐり、ふと気になるタイトルが視界に飛び込んだとたん、運命の高鳴りを感じる。オオゲサじゃない。  ちょうど5年前か。奥手のボクが、同級生の仲介で隣のクラスの女子と付き合った。  生まれて初めてのカノジョとの、生まれて初めてのデートは、学校帰りのショッピングモール。  フードコートでトッピングの違う2種類のタコ焼きをシェアしたあと、最上階の映画館に行ったっけ。  主演の男女は2人とも、当時人気絶頂のアイドルだった。でも、スクリーンの中のヒロインより、ボクの隣の座席のセーラー服の方が、暗転して薄暗くなった劇場の中でも、ずっとまぶしく思えた。  その映画と同じタイトルが刻まれた、ハードカバーの背表紙。ノベライズ版が出ていたなんて知らなかった。  胸がキュッと熱くなる。  高校を卒業後、ボクは上京して、都内の大学に通うようになって。  地元の調理師専門学校に進学したキミとは、すっかり疎遠(そえん)になってしまった。これが俗にいう自然消滅(しぜんしょうめつ)ってやつか。  ――元気に、してるかな……。  自分でも驚くくらい、何のワダカマリもなく。場違いなくらい優しい感傷(かんしょう)の置き場所を求めるみたいに、反射的に、手が伸びていた。 『花と(にじ)』……あの日、彼女と観た映画のタイトル。  行書体の和風フォントは、ノスタルジックで可憐なラブコメ映画のノベライズとしては、なんだかレトロが過ぎる気もする。  かすかな違和感は、でも、かえって無邪気な好奇心を刺激した。ボクの右手は、赤いツヤヤカなカバーをまとう本の背表紙へと急いだ。  そして、同じタイミングで同じ本を取ろうとしていた、別の誰かと手が触れ合ったのだ。 「あっ」 「あらっ」  あわてた声をあげたのも、ほとんど同時だった。  それこそ、ありがちなラブコメ映画の1シーンみたいに。  いや、これは、もっと純文学的な……オトナの恋愛映画だ、きっと。 「ごめんなさいね。わたくしったら……探していた本に巡り合えて、つい脇目(わきめ)もふらずに。恥ずかしいわ」  はんなりした柔らかい声は軽やかな笑みをふくんでいるが、薄化粧が映える品のいい白い頬は、本当に赤く上気している。  それを見たら、ボクまでカーッと全身が熱くなった。  いや、イッキにノボセ上がってしまった……というほうが正しいだろう。  彼女の問いかけに、何をどう返答したものか……。正直、ほとんど記憶がない。  ただ、ひどくドモりながら。着物のエリの合わせから少しのぞく鎖骨のクボミの片方に、薔薇の花のような模様を見つけた。それが品のいいマトメ髪の彼女には似つかわしくないタトゥーなのか、それとも誰かのクチビルの圧迫痕(あっぱくこん)なのか、正体を知りたくて目をこらしていたら、 「あのぅ……?」  と、困惑した吐息をついて、彼女が、くすぐったそうに身をくねらせたので。  ボクは、 「あっ、あっ、あの……スイマセン! ボク、ものすごいド近眼なもので……メガネしてないと、パーソナルスペースがバグっちゃって、つい……!」  シドロモドロで弁解しつつ、オロオロと後ずさった。  とたんに、書棚(しょだな)に背中がぶつかり、ちょうど、くだんの赤い本が床に落っこちた。 「ゴホッ!」  レジ前にいるはずの店主のオジサンの、わざとらしいセキばらいが聞こえる。  昔ながらの小さな書店には、店内の天井のアチコチに、防犯用の鏡がこれ見よがしに取り付けられている。  真上にある鏡を見上げれば、こっちをニラみつけているオジサンのドングリマナコと目が合うに違いない。  彼女は、くすくすと笑いながら、和服に包まれたヒザを軽く折り曲げて、流れるような優雅な所作(しょさ)で本を拾い上げざま、ボクの耳元にささやいた。 「ねえ、あなたも、この本……お好きなの?」 「はははは、はいっ! 好きですっ……めっちゃ好きですっ!」 「まあ、嬉しい! 同じ趣味の方と、こんな運命みたいな出会い方をするなんて……」  それから彼女は、さっさとレジに向かって本の会計をすませると、ちょいちょいとボクを手招きして、一緒に店の外に出た。  そして、いかにも高価そうな革のハンドバッグから、べっ甲柄の万年筆を取り出すと、包装用の紙のブックカバーに11ケタの電話番号を記入して、こう言ったものだ。 「あなたに、貸してさしあげますわ。読み終わったら連絡なさってね。本の感想を教えて頂きたいわ。二人っきりで、ゆっくり……ね?」  雲の上をただよう気分で、フラフラとアパートに帰った。  念入りに手を洗ってから、背筋を正して机に向かう。儀式めいた気分でメガネをかけ、ゆっくりと本の表紙をめくった。  そして、扉ページに印刷された本のタイトルと著者名を分厚(ぶあつ)いレンズごしに改めてハッキリと確認したボクは、ゾッと戦慄(せんりつ)せずにはいられなかった。 『花と(にじ)』のノベライズだと思いこんでいた本は、実は、の著書……『花と(へび)』だったのだ。  オワリ 注記※団鬼六 御大の名著『花と(へび)』についてご不明な方は、お手数ですが、ネット検索をなさってみてください。宜しくお願い申し上げます。
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