洋館の猫

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洋館の猫

 灰猫に連れられて、眞弓と汰朗は神代町にある、三毛猫の若が現れた家を回った。家はどこも中祇や下祇の東、それも狛山家の山から近いところに集中していた。町の猫は基本的に南西の新興住宅街にいるというから、そこから距離を取っていたことが伺える。家人の居る家には眞弓が話を聞いたが、たまに三毛猫がやってきて餌を貰っていくということ以外には特段の情報はなかった。ただ不思議と共通していたのは、いずれの家でもかつて猫を飼っていたことがあるということだ。  最後に訪れたのは、それらの家々の中でも比較的新興住宅街に近い家だった。猫の溜まり場に行く途中で目に留まった、あの洋館だ。一見、手入れが行き届いた庭や生垣でそうと気づかないが、近づいてみると、修繕されたレンガや屋根、像が湾曲したガラス窓などからかなりの歳月が経った建物であることが見て取れた。白い洋風のガーデンドアには、「宮島」という表札が掛けられている。  インターフォンを押し、事情を話す眞弓の隣で、汰朗は庭に面した家の側面、一階の出窓に、純白の艶やかな毛並みを持つペルシャ猫が一匹寛いでいることに気が付いた。猫の両脇にあるカーテン同様、窓から流れ込んでくる風にその毛を成されるがままにしている。「あの白いやつだ」と灰猫は汰朗に耳打ちした。  洋館のドアから現れたのは、柔和な物腰の婦人だった。眞弓や汰朗たちを見止めると、頬を綻ばせた。 「これはこれは、可愛いお客さんだこと。はじめましてね。宗家の方は年に何度かいらっしゃるのよ。お紅茶を入れるわ。中へどうぞ」  眞弓は戸惑うように汰朗を見つめた。汰朗は、「行ってくるといい。私たちは庭に失礼する」と告げた。 「はい、では私だけ。汰朗たちがお庭を拝見したいそうで。よろしいでしょうか」 「お犬様は皆さんお庭が好きなのね。どうぞ。雨が降ったらお家に上がってくださいね」  婦人はそう言うと、眞弓を中へと招き入れた。汰朗と灰猫は庭に敷かれたレンガの道を通って、出窓の下へとたどり着いた。 「おい」  灰猫は出窓で寛ぐペルシャ猫へと声をかける。ペルシャ猫は片目を薄く開けると、眉間にしわを寄せ、再び瞳を閉じて顔を横たえた。 「おい、聞こえてるだろ」 「不躾な野良だね」  ペルシャ猫はしゃがれた声で呟くと、前脚をぐっと伸ばしてあくびをしてから立ち上がった。 「また三毛の話かい」 「ああ、こちらのお犬様が話を聞きたがっている」  灰猫が顎でしゃくった汰朗を、ペルシャ猫は一瞬瞳孔を広げて見たが、すぐに興味がなさそうに視線を逸らし、後ろ足で耳を掻きだした。この日一日で猫と犬は話の聞き方が全く異なること――犬と違って猫は聞いていなさそうでも話を聞いていること――を心得ていた汰朗は、単刀直入に問いかけた。 「紹介に預かった汰朗だ。ここにやってきたときの三毛猫の様子を教えて欲しい」 「様子ねえ。酷く腹が減っているようだったから、この出窓から食事を落としたね」 「最初にやってきたのはいつ頃だ?」 「いつ頃、さあねえ。三度は来たけれど。きまってご婦人が夜遅くまで留守にするときにやってくるのだけどね」  曖昧な答えに、家猫に暦を聞くのは野暮だったかと、汰朗は反省した。 「来るたびに食事を?」 「そうだよ。ああ自分で捕れない様子では、誰かに貰うしか生きる道はなかろうし」 少しの間があってから、「まあ、どうせ余らせるからね」とペルシャ猫は顔をそむけた。 「見かけによらず親切なところがあるんだな」  灰猫が口走ると、ペルシャ猫は牙を見せてシャッと声を上げた。灰猫が後退りすると、鼻で笑って腹這いになる。汰朗は気を取り直して質問を続けた。 「他に、何か話さなかったか」 「さあ」 「どこに住んでいるだとか」 「さあ、知らないね」  機嫌を損ねてしまったのか、ペルシャ猫は明後日の方を向いて、向こうへ行って欲しいといった態度をとった。汰朗が灰猫を横目で見ると、申し訳なさそうに見上げてくる。 「ありがとう。もしまた尋ねに来ることがあれば、その時の様子を教えてもらえると助かる」 「お犬様に感謝されることがあろうなんてね」  ペルシャ猫は顔を合わせないまま、皮肉めいた笑みを浮かべた。  灰猫は、ペルシャ猫との会話が終わると、「若の事がわかったら教えてくれ」と言い残して帰って行った。そのため、眞弓が地主の家から出てくるまで、汰朗はしばらく玄関で待っている必要があった。日が暮れる頃にドアから出てきた眞弓に汰朗は駆け寄り、来た時のように地主に会釈すると、自転車を引く眞弓の隣を歩き出した。 「何をこんなに話していたんだ?」 「んー、色々? ほとんど世間話だよ」 「疲れないのか?」  ほとんど初対面の人間とこんなに長時間一対一で話すのは疲れるだろうと汰朗は思った。野生の生き物なら、他の群れとは友好的な関わりを持とうとしない。 「ううん、大人と話すの、私好きだし」  眞弓はさして気にしていないように言ってから、「そうそう、宮島さんの淹れてくれる紅茶、すごく美味しかったの。日曜日の三時に教室に通って、勉強してるんだって」と微笑んだ。
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