狛山家とご神犬

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狛山家とご神犬

 ぱらぱらと降りだした雨が、車の窓をたたいている。運転席に座る敬子も、後部座席に座る眞弓も一言も言葉を発していない。眞弓の抱える箱から、時折ぱたぱたという肉が当たる音と、衣擦れの音が聞こえた。中には布が敷き詰められて、生まれたばかりの子猫が、母乳を飲みながらうごめいている。その子猫らに乳を与える母猫は気を失っており、箱の傍らに陣取った雄猫の若も、今は寝息を立てていた。汰朗は、眞弓を見つめ、バックミラー越しに映る敬子を見つめてからうなだれた。口を開いたのは、敬子だった。 「危険なことは、あなたたちの仕事の範疇ではないよ」 「ごめんなさい」  眞弓が言うと、敬子はミラー越しに汰朗を見つめた。汰朗も深く礼をした。 「わかればよろしい」  敬子がにやりと笑った。いつも通りの笑みに、眞弓はほっと息をこぼす。 「まあ、子猫も無事だった。汰朗も怪我はないようだし、何よりだよ」 「どうして熊が」と質問したのは汰朗だった。 「その母猫は神域の水を飲んでね。運が良くか悪くか条件が揃ってしまって、神術を得た。あの体だから、山を下りてからも母熊を足代わりに使っていたようなんだ」 「襲い掛かってきたのも?」 「いや、あれは神術の権限が母猫から子に移ったからだ。正気に戻って、置き忘れた子熊を思い出したと。森で保護して正解だったよ。箱をごらん。一匹様子の違うのがいるだろう」  眞弓と汰朗は箱の中を覗き込んだ。三毛柄の四匹と、それに埋もれるように一回り小さい真っ白な子猫がいた。 「その子の処遇は考えないといけないね」  汰朗は、辛うじて息をしているようなその白い子猫をひたと見つめた。予期せず神術を得た子猫の不遇を、ご神犬でありながら神通力を示せない自身と重ねたのだ。 「ところで、久しぶりに会ったけれど、あなたたちは変わらないね」 「そうですか」 「うん。代理人とご神犬はさ、上下関係が出来がちだけれど。ほら、ご神犬は特殊な力があるだろう?」  問いかけに汰朗がうつむいたのに気が付いたのか、敬子は言葉を繕った。 「ごめんよ、汰朗は気にしていたか。あったら心強いけれど、それが良いとは限らないからさ。私なんかは馨(きょう)の言いなりだ」 「汰朗は、いつも心強いです」  間髪入れずに言った眞弓に驚いて、汰朗は眞弓を見つめた。眞弓は、箱の中の子猫を見つめている。 「私を守ってくれようとしたし。でも、汰朗に頼りきりではいけないと、思ってます」 「ふうん」  興味深いことを聞いたかのように、敬子は口端を上げて笑った。車中の会話はそれで途切れたが、汰朗はその沈黙が気まずいものではなくなっていた。
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