第12章 連なる悲劇。

1/2

7人が本棚に入れています
本棚に追加
/73ページ

第12章 連なる悲劇。

西暦1179年、 鹿ヶ谷の陰謀から2年が経ちました。 幸いな事に紬は師経の子を懐妊する事もなく知盛の愛に包まれ穏やかな日々を過ごしていました。 この年知盛と優月は27歳。 太郎は10歳。高千穂は8歳。 時は西暦1179年07月22日。 舞台は藤原摂関家の屋敷です。 平清盛は… 高倉帝に徳子を嫁がせただけではなく更なる権力維持のため藤原摂関家にも娘の盛子を嫁がせていました。 基通「養母様、 いかがなさいました?」 盛子「基通殿、若干目眩がするだけで 大事ありませんよ。」 盛子は養子である基通に 優しく微笑みました。 ちなみに盛子が基実に嫁いだのは、 僅か9歳の頃でした…。 藤原摂関家には平家の後ろ楯を欲する理由がありました。 それに関しては長くなるので後で記す事と致します。 また平家としても藤原摂関家と仲良くしておけば磐石でございます。 盛子「よろしくお願いします。」 盛子が頭を下げた時、 既に基実には嫡男がおりました。 それが今の基通で幼名は天授丸…。 どうして天授丸が4つしか歳の違わない盛子の養子になったかと言いますと原因は平治の乱にありました。 平治の乱を起こした藤原信頼は、 天授丸にとって母方の伯父になり 平家を敵に回す事に繫がるのです。 では、物語の途中にはなりますが、 平治の乱について簡単に説明します。 西暦1159年のこと、 保元の乱にて勝利した源義朝と平清盛でしたが後白河帝からの褒美にはかなりの違いがありました。 それは後白河帝の乳母であるよしの夫である信西に気に入られているかどうかで決められておりました。 信西と清盛は協力関係にありましたので出世街道まっしぐらでしたが… 一方の義朝は平家と源氏の差を開いておけば平家に恩が売れると考え財力がたくさんある平家を贔屓(ひいき)した信西によりそれはそれは邪険に扱われてしまいました。 これに対して義朝は 不満を爆発させます。 何故なら義朝は保元の乱で上皇側に付いた父親・為義を自らの手で刑死させたのに…冷遇されていたからです。   義朝「このような仕打ちがあるか?」 これでは割に合わないと怒りを露にした義朝でしたがもう1人割りに合わないと激昂した人物がいます。 それが藤原 信頼(ふじわらののぶより)で成親の姉が嫁いでいる言うなれば成親の義兄にあたる人物です。 この方は困ったお方でございまして、 後白河帝のためとは常々申していましたが帝が何よりも愛してやまない今様の師範を探すため宮中のお金を使って国を渡り歩いたかと思ったら… ついでに宮中のお金で美味しいものとか妹の着物に使う反物を買ってきたりするのです。現在でいうところの業務上横領ですね。 そんな悪さが信西の耳に入り、 自ら起こした罪が世間様に筒抜けとなる寸前でございました。 信頼「確かに自らのためと家族のために多少のお金は使いましたが今様の師範もたくさん見つけましてございます。」 信西「そなたの振る舞い、目に余る。 よって看板にそなたの悪行を記し 様々な国の至る所に立てようと思う。」 信頼「話せば分かりまする。どうか… ここは穏便にお願い致しまする。」 信西「問答無用!」 前述した通り信西と清盛は協力関係でありましたのでここに義朝と信頼の利害は一致しました。 なので… 両者は清盛が熊野詣出のため 出払っている隙をつき挙兵しました。 まず、二条帝に位を譲られ上皇に なられた後白河上皇と二条帝を幽閉。 こうなると… さすがの清盛も手が出せません。 しかし… 清盛の味方になりたい貴族はたくさんありましたので隙をついた清盛はその貴族らを内裏で幽閉されている二条帝、後白河院の元へ向かわせ救出しました。 二条帝「清盛!内裏を不法に占拠している逆賊共を撃退せよ!」 清盛「はっ!」 二条帝は清盛に救い出されるとすぐ 義朝、信頼追討の詔を出しました。 清盛はこれで官軍となりましたが 義朝達はこれで逆賊となりました。 義朝「この戯け!」 義平「落ち着いて下され、父上。 このような時こそこの義平にお任せ下され…。」 官軍である清盛らの元には兵がたくさん駆けつけますが賊軍となった義朝らの兵は怯えて逃げ出すものが多数となりこれでは戦になりませんでした…。 義朝らは逃亡しましたが義朝は、 逃亡先にて家臣に裏切られ暗殺。 長男・源義平は刑死。 次男・源朝長は矢傷により死去。 三男・源頼朝は伊豆に流罪など… で、藤原信頼は、 信頼「嫌じゃ!儂は死にたくない! 嫌じゃー!」 最期の最期まで醜い姿を晒しつつ 平家の命により刑死。 基通の母親である藤原依子(よりこ)は最期まで醜い姿を晒していたあの方の妹になります。 基実「依子、済まぬ…そなたの事を誰より愛しているのだが離縁して欲しい。」 さすがに平家の御代で平家に弓引いた 男の甥など出世に関わってしまいます 依子「それはそうですね…。藤原摂関家の事を思えば平家の血筋である盛子様を継室にするべきですね…」 なので… 息子の将来と藤原摂関家の未来を案じた基実が、清盛に頼み込んだため盛子との縁組が実現し天授丸は父・基実の継室となった盛子の養子となりました とてもややこしいお話でございましたが当人(基通)にとっては死活問題です。 さてこういった経緯で基実と盛子は、夫婦となりました。 しかし… 基実はその2年後の西暦1166年11月。 病により落命。享年23歳… それは若すぎる死でした…。 この時、盛子は11歳で、 天授丸は7歳。 あれから…2人で身を寄せ合い… 藤原摂関家のため生きてきました。 しかし… 19歳になった基通には、 心配の種がありました。 それは… 基通「父上がお亡くなりになられたのも23歳でした。養母様も23歳。案じられてなりませぬ。」 盛子「私は強いですから そう簡単には逝きませぬ。」 盛子は気丈に振る舞っていましたが 病は盛子の身体を蝕んでおりました。 実は盛子、 胃に潰瘍が出来ておりもう長くはないと薬師である芳御前より余命宣告を受けていたのでございます。 幼くして格式高い藤原摂関家に嫁いだものの頼りの夫は… 基実「依子の兄が謀反など企まなければそなたと夫婦遊びなどせずとも済んだと申すのに…」 9歳と21歳。 年齢が一回り違う事からというだけの理由で盛子を馬鹿にしておりました。 そんな基実も盛子と祝言を挙げ 2年後に死去してしまいました。 盛子はこの事により4歳しか歳が違わない養子を育てる事になったので 精神的負荷は極めて重くその小さき肩にのし掛かっておりました…。 加えて…。 藤原基経〈=基実の前妻・依子の兄〉 「依子を捨てて平家の人間なぞと祝言を挙げるからや…」 藤原芳子〈=依子の姉〉 「あの女が摂関家の領地が欲しくて 基実様を呪い殺したのでは?」 などなど… 根拠のない悪口ばかりを嫌になるほど 言われていた盛子の精神的負担は 増えるばかりにございました。 基実「養母様、そろそろ出仕の刻限に ございまする。行って参ります。」 あの頃まだ子どもだった基通は、 立派になりそろそろ基実の遺領であった荘園を返さなければと盛子が思案していた時のこと… 盛子「あらあら… 世界が回っているわ…」 視界が急に歪んで 盛子はその場に倒れてしまいました。 頭の中に流れるは在りし日の基実とまだ幼き基通の姿にございました。 盛子「これが… 走馬灯というやつかしら?」 走馬灯(そうまとう)…人間が死ぬ間際に見るこの世での思い出をまとめたスクリーン映像みたいなものである。これを見ると近い内に「死ぬ」。 それが盛子の最期の言葉になりました。基通が帰った頃には盛子は昏睡状態となり翌日の明朝、 基実「盛子、迎えに来たよ。逝こう。 あの頃はまだ幼かったのに美しくなったものだね…」 極めて冷たい事しか言わなかった 形ばかりの夫・基実はあの日と違い 極めて優しい言葉を盛子に掛けてくれたのでございます…。 盛子「基実様、お久しゅうございます。これからはずっとお側にいられますか?」 基実「盛子、君が望むのならば… あの時は済まなかった…」 こうして盛子は基実に導かれて 天に召されてしまいました。 享年23歳。 奇しくも基実と同じ年齢で 逝ってしまいました。 基通が出仕を終え戻るとそこには、 物言わぬ盛子が倒れておりました。 基通「養母様…どうして…」
/73ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加