第15章 恩を仇で返すもの。

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第15章 恩を仇で返すもの。

西暦1180年08月10日。 伊豆にある北条時政の屋敷にて 政子「頼朝様、父上、頼朝様ー!」 時政「何じゃ?騒々しい。」 この騒々しい娘は時政と前妻・美枝との間に産まれた政子でございます。 牧の方「政子様は、 どうしてそんなに騒がしいのかしら?」 そんな政子に対して敵意を剥き出しにしているのが時政の後妻で牧の方。 政子「あら?はる様は騒々しくないのかしら?私と似たような年齢なのに父上の後妻になられるなんて…」 牧の方は牧 はるという名前で 政子の3歳年上でございました。 牧の方「私は時政様に惹かれて妻になったのです。そもそも貴女様は仮にも流人とはいえ源氏の頭領たる頼朝様の妻ではありませんか…?はしたない方ですわね…」 政子「はしたないとはなんですか? 父上。どうしてこんな女を後妻に迎えられたのですか?」 政子に言われた時政は、 そう言われても牧の方が大好きなので 時政「はしたないと言われても仕方ないではないか?で、政子は何故そんなに騒いでおるのだ?」 政子が興奮する理由がさっぱり分からず首を傾げていましたので政子はそんな時政に文を渡しました。 すると…。 時政「こ、こ、こ、これは…? も、もち、以仁王様からの文!」 宇治橋の戦いで命を落とした以仁王からの文字通り命を懸けた必死の訴えがそこには記されていました…。 政子「だから…言ったでしょ? 取り乱し具合から言うと父上の方が 取り乱しておいでです。」 政子はどや顔をしながら時政に対して話をしましたが政子は肝心な事を時政に伝えてはおりませんでした。 時政「それは取り乱すであろう…? それに政子は以仁王様から文が届いたなどとこれっぽっちも言っておらんではないか?」 政子は時政に言われて初めて 自身が言葉足らずだった事を 知りました。 政子「…あら?私、以仁王様からの文の詳細を父上にお伝えしてなかったの?」 政子が独りで何やらブツブツ自問自答をしておりますと時政は… 時政「儂とて今は亡き以仁王様がどれくらいの身分であられたか…くらいは存じておる…。しかし…運命とは分からぬものよな…」 会話にならないようで会話の成立する不思議な父子(おやこ)…。 そんな不思議な父子(おやこ)に導かれるかのように頼朝が不可思議な顔をしながら近づいてきました。 しかし… 京都暮らしの長い婿殿は、 伊豆の気候になかなか慣れないようで 夏の暑さに参っているようでした。 頼朝「どうしたのです?この()だるような暑い夏の日に余計暑くなるてはありませんか?そのように騒がないで下され…。」 牧の方「頼朝殿も伊豆での暮らしにそろそろ慣れられても宜しい頃ですのに…」 牧の方は政子に関わる者に関しては 極めて容赦ない言葉を掛けるので これに関してはいつも通りですが… 時政「はる、婿殿に対してそのような口を聞いてはならぬ…。婿殿は今に大きゅうなられる気がするのだ…。」 牧の方を目に入れても痛くない程 溺愛しているはずの時政がまさか… 牧の方に注意をしたのでございます。 牧の方「時政様?」 いつも通りではないのは他にも… 時政「婿殿、夏の暑さに茹だっておる 場合ではございませんぞ!これを… これを…御覧下さりませ!」 時政が興奮状態で頼朝に見せた文。 それは、宇治橋の戦いで無念にも討ち死にしてしまった以仁王からの平家を追討せよとの令旨でございます。 頼朝「天はまだ… 我を見捨てておらなんだ!」 頼朝は天を仰ぎながら時政から書状を 受け取ると黄泉国で見ていてくれているであろう以仁王に向かって深々と頭を下げました。 以仁王からの令旨により平家を討伐する大義名分を得た頼朝は遂に挙兵。 すると…頼朝の味方をしたいという 兵士が次から次へと頼朝軍に 合流してきました…。 皆、平家に対して 不満がかなりありました…。 その原因はもっぱらこの男と その義兄の責任でございます。 それは… 時忠「平家にあらずんば 人にあらず!」 ≪現代語訳≫ 平家でなければ人ではない。 時子「時忠、控えなさい。平家でなければ人ではない…。なら、…平家でない人々は何だと言うの?」 時忠の自意識過剰を極めた発言は、 歳を重ねる程増えていくばかりで… 時子の頭を痛くする種となるのです。 時子だけではなく時忠の発言に、 怒りを露にした人は星の数ほど この世に存在していました。 時忠の義兄である清盛は… 安徳帝が即位した途端に 福原への遷都を一方的に決めました。 清盛「儂が法律だ、 何か文句あるか!」 しかし… 時子「一族の者達ですら不服なのに 突然の遷都など誰が喜びましょう? 総帥も最近、時忠化しておりますよ?」 時子の諌言も清盛には届かず 福原遷都は強行されました。 しかし…無計画だった事で、 福原遷都は半年で頓挫してしまい… またもや清盛の強制的な考えにより 首都は再び京に戻りました…。   しかし… 清盛は 清盛「儂に従え!儂こそが正義だ!」 と言うばかりで自らの行いに関して 反省する訳でも謝る訳でもなく… 民衆の平家への恨みは深まるばかり… そして… ここで登場するのが… 青葉(ときわ)禿(かむろ)が出たわ!」 禿(かむろ)とは… おかっぱ頭で赤い服を着た平家に対して悪口を言う者達を情け容赦なく制裁しまくる集団の事でございます。 時忠「今日も制裁ご苦労、これは給料だ。これで生活出来るぞ。」 禿は戦争で身寄りを喪った孤児達を 保護した時忠により作られた集団。 生きる手段がこれしかない彼女らは 禿で平家の意に反する民衆達を制裁し時忠から褒美を貰って生活するしか生きる方法がありませんでした。 これにより京の町に住む人々は平家と禿に怯える日々を過ごしていました。 那智「平清盛…なんて横暴なんだ。 禿がなんだ!家から出なければ恐れる事などないわ!」 しかし… 禿に狙われた人は例え家の中にいたとしても情け容赦なく命を奪われてしまうのです。 ですから… 那智の妻・華月「…!あんた~!」 本日も京では、 禿によって命を理不尽に奪われた人々の家族の悲しむ声が途切れる事はありません。 しかし… 禿に所属する子らも決して 心がない訳ではありませんでした。 禿・さくら「時忠様、 いつまで続ければ良いのです?」 禿・花月「私達も 人の子でございます。」 禿達が時忠に対して抗議をすると… 時忠はまさかの言葉を口にしました。 それは… 時忠「辞めたいのならば、 禿なぞ今すぐ辞めれば良い。」 禿達の思いに寄り添った 発言をする時忠…。 時忠の言葉に禿達が ほっと胸を撫で下ろした次の瞬間…。 時忠「しかし…仕事をしないのなら、 給料はなしになるぞ。自分達の命を喪っても構わぬと思うならばすぐ、辞めよ。生きたいと望むのならば働くが良い。働かざる者食うべからずだ。」 現代で言うところのパワハラですが、 平安時代では孤児院(こじいん)… 現在でいうところの児童福祉施設であるもありませんしこの男に従うより道はありませんでした。 平家の横暴は目に余るくらいになり… 頼朝は西暦1180年08月17日。 世論を味方につける形で頼朝は 舅である北条時政の力も借りながら 伊豆国を治める目代(もくだい)… 国司の代わりである山木 兼隆の屋敷を 襲撃しました。 時政「宗時、婿殿、参るぞ!」 まさか…伊豆の流人である頼朝が攻めて来るなど夢にも思わない兼隆は… 兼隆「…な、何事だ…。誰が…何が…どうなったと申すのだ…?」 大わらわとなり言葉を詰まらせながら 訳の分からない(うわ)言のような台詞を口にしておりました。 実は頼朝と山木兼隆は、 1回だけ逢った事があり頼朝は、 その時の事を未だに怨んでいました。 頼朝「子を喪ったばかりの俺を(なじ)った貴様の事だけはずっと覚えておるぞ。山木兼隆!」 兼隆「…何の話をしておる?貴様は伊豆に流された悲しみで頭が可笑しくなったのではないのか?」 伊豆国で目代をしている兼隆には、 山のように色んな出来事が起きているので1つの事のみを覚えている余裕などあるはずありませんでした…。 しかし… 頼朝にとっては、 辛すぎる出来事でした…。 それは兼隆が目代に就任し すぐの事になります…。 兼隆は自身の後見人である堤信遠の案内で伊東祐親の屋敷へ挨拶に行きましたが祐親はこの時かなり怒っており… まさに…例えるなら怒髪天を衝く程の勢いでございました。 兼隆「どうしてそのように怒り狂っているんだ?祐親殿?」 祐親「兼隆様、我が娘である八重がよりにもよって頼朝との間に子を成してしまいましてな。」 兼隆「祐親、ならば八重を私にくれぬか?好みの女性なのだ。」 兼隆は簡単に靡かない女性が好きなようで八重姫に求婚しておりました。 祐親「兼隆様、八重と頼朝の子は命を奪いましたがそもそも頼朝の子を成した娘なぞ貴方様に相応しくはありませぬ。」 兼隆の想いは…祐親により あっさり消えてしまいました。 なので… 兼隆は同じく失意のどん底にいる 頼朝の住んでいる粗末な屋敷に行くと 八つ当たりをしてしまいました。 兼隆「そなたのせいで八重は悲しみに 暮れているではないか?流人の癖に 恋などするな!子など成すな!」 これには頼朝も怒りのあまり睨みましたがすぐに視線を逸らしました。 こうして八重姫は祐親の家臣に無理矢理嫁がされてしまったのです。 こうして頼朝は兼隆と祐親から命を狙われる事になり北条家を頼り伊東の領地から逃げ出し北条に保護される事となりました。 何にせよ頼朝から言わせば満身創痍の 時にあのような事を言われてしまったら許せるはずもなく…。 伊東 祐親と山木 兼隆への怨みは増して いきましたが政子に出逢った事で頼朝も少しではありますが精神的に救われました。 政子は嫉妬深くて愛の重たい人ではございますが誰よりも頼朝の事を慕っておりました。 しかし… それとこれとは別でございます。 「怨み」は「怨み」でございますが、 怨みのまま行動する事はいつか我が身にそのまま返って来ます。 しかし…山木は平家側の目代。 怨みとは別の面から言いましても いずれは倒さなければならぬ相手で ございます。 山木「おのれ!頼朝!総帥に命を救われておきながら恩を仇で返すのか!恩知らずの不忠者!」 山木兼隆は最期の最期まで頼朝を罵ると頼朝の義兄である宗時に討たれ… 頼朝「…」 頼朝は冷たい視線を向けると 兼隆の屋敷を後にしました。
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