第20章 平家の意地、見せるは今ぞ。

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西暦1185年02月19日。 義経は再び平家討伐軍に任命され 平家が暮らす屋島に阿波国(現在の徳島県)から風雨を利用して静かに近づき奇襲しました。 宗盛「皆のもの、源氏の急襲じゃ! 船に逃げよ!」 宗盛が這う這うの(ほうほうのてい)で海上にある船に向かったのには理由がありました。 何故ならば… 義経が大軍で来たように見せ掛けるため途中の家屋に火を放ちながら近づいて来たからでございます。 まんまと義経の策に掛かり一族を海に 避難させた宗盛でしたが…。 宗盛「くそ!100騎くらいしかおらんではないか!俺を騙すとはあの男!許さん!」 知盛「落ち着いて下され、まぁ、あの男、勝つためならば手段を選びませんからな。」 知盛は紬を抱きしめながら戦って おりました。 宗盛「何だ?俺に見せつけるつもりか?」 宗盛が苛立ちの籠った目で2人を見るとすぐさま清宗が庇いました。 清宗「違いますよ、紬様が義経により一ノ谷で連れ去られそうになったため庇いながら戦われておるのです。」 宗盛「そうか…理由があるならば仕方ないがしかしながらあの男、痛い目に遇わしてやる。卑怯な手で重衡を捕虜にした罪、絶対に許さん!」 清宗「それは自分も思います。なので弓隊、義経を狙い射て!」 一ノ谷の戦いでの手段を選ばぬ戦ぶりにより義経は平家から物凄く恨まれておりました。 なので…飛ぶ、翔ぶ、跳ぶ、とぶ、トブ 弓がこれでもかというくらい義経目掛けて飛んでくるのでございます。 義経「く…。これは厳しい。弁慶、 継信、何とかせよ!」 継信は心の中で格闘していました。 継信『ここで義経様を見捨てればお方様が悲しむ…。私では代わりにならない。それならば…。』 継信は義経の前に立ちはだかり代わりに弓を受けてしまい討ち死にしてしまいました。 佐藤 継信…片恋をしている沙都の最愛(おっと)を護るため討ち死に。 弁慶「継信殿!」 義経「さあて反撃するか?弁慶。」 弁慶が継信の死に涙を流していると 義経は悲しみの「か」の文字すら口に しませんでした。 それどころか… まるで家臣が主君のために死ぬのは当然だと言わんばかりの態度にさすがの弁慶も、 弁慶「義経様!継信殿は貴方様の身代わりとして命を落としたのですよ?少しくらい悲しんではどうですか?」 義経「それならば京の沙都に頼めば良い。俺に弔われるよりも沙都の方が良かろう。アイツは謹慎中に沙都の顔が見れるからとても機嫌が良かったではないか?」 家臣の死にも心動かさぬこの男も、 総門付近で2日に及ぶ激戦を展開した時には 義経「く…。これは厳しい…。だが…。」 さすがの義経も2日戦いっぱなしとなると体力が減りつつありました。 するとそこに…。 範頼「九州を平定するのに手間取った。義経、ただいまより加勢するぞ。」 範頼が九州を平定し援軍を連れて来ました。 宗盛「これは逃げるより他あるまい。」 宗盛は範頼の援軍を見ると直ぐ様 壇ノ浦へ逃げ出しました。
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