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第0章 序章
人にとって最愛の人を喪えば…
その人と共に刻むはずだった時間は…
突然奪われてしまいます…。
澪「…知盛様…」
澪が枕を濡らしながら見る夢は…
いつも同じ夢でした。
長門国赤間関壇ノ浦に浮かぶ船の上で澪は最愛の夫・平知盛の隣にいました
〈=現在では山口県下関市関門海峡にある浦の事でございます。〉
澪「知盛様が生きているなんて…!」
澪は最愛の夫である平知盛の背に勢いよく抱きつきました。
平知盛「澪?いきなり抱きつくと蹌踉めくから…少し控えめにして欲しいな…。辛うじてではあるがまだ生きているのに海に落ちてしまうだろ…?」
但し…
こちらの知盛はいつもの知盛ではなく
澪は違和感を覚えてしまいました。
澪『いつもの知盛様なら…辛うじて生きているだなんて弱気な発言しないのに…』
澪は小首を傾げながらも深くは
考えない事にしました。
すると…
宗盛「知盛ー!後の事は頼んだ。
俺は宝飾品を守らなければならぬから…忙しいんだよ…色々と…。だから九州に逃げる段取りも宜しく…!」
長きに渡る源氏と平家の戦に終止符を打つための戦が始まろうとしているのに平家の総帥であるはずのこの男は、
平知盛「兄上、九州に逃げれば平家の味方はそれなりにおりますが…簡単に源氏が逃がしてくれるとは…思えませんが…」
全てを知盛に丸投げして、
九州に逃げる事しか考えておらず…
知盛もさすがにこの態度にはあきれ果てるより他ありませんでした。
すると…
義経「異母上、
後の事はお任せしましたぞ…。」
貴族のお坊ちゃまのような育ち方をした宗盛の考えなどはすっかり見透かされていたようで…
源範頼「…一族の感じた無念や絶望、全てをこの戦で晴らしてみせる!」
平家一門は九州の地を源範頼と配下の者達に塞がれてしまった事によりこの地で最期を迎える事となってしまいました。
宗盛「…戦は終わった…。
潔く先の総帥〈=今は亡き清盛〉と清子、教子の元へと向かう事にする…」
まだ戦が始まってもいない内から
そんな気弱発言をする宗盛が呟く名前は清子、教子。
残念ながら知盛とは違い親族からではないと正室と継室を迎えられない気の毒なくらいモテない男・宗盛。
時子「宗盛には親族しか嫁の来てがないのよ…気の毒な事に…」
そのモテない度合いは、
実母であり先の総帥・平清盛の継室である平時子が最期を迎える時まで嘆き悲しむくらいでございました。
しかし…
女性からは袖にされ相手にしてくれるのは親族だけという悲しいこの男にも取り柄は1つだけありました。
それは…
宗盛「能宗と清宗は…無事か?」
いつもは武将としても総帥としてもどこか頼りないのに子ども達が絡んで来ると一気に強くなるのが宗盛です。
清宗「父上、私も能宗も無事です。」
宗盛にとって最初の妻だった清子が産んだ清宗は15歳となり元服の儀式〈=現在の成人式〉も終わり大人の仲間入りを果たしました。
清子は高齢出産だった事もあり
持病の肺疾患を悪化させる事となり
清宗の元服した姿も見られぬまま…
命を落としてしまいました。
能宗は継室として迎えた教子が産んだ子でしたがこちらも高齢出産であった為産後の肥立ちが悪く能宗を産むとすぐ命を落としました。
清子、教子、2人の妻が望んだ事は、
乳母に託さず男手1つで息子達を育てて欲しいという切実な願いでした。
宗盛「妻の願いも叶えられぬ者は、
男ではない。」
妻子に対する愛は溢れんばかりのものを持っている宗盛なのですが…
宗盛「…俺は平家の総帥として優美に凛々しく振る舞わなければなるまい。だから…鎧などは着られぬ…」
源平合戦と先程から述べている通り、
これは戦であると言うのに宗盛、清宗、能宗だけは鎧はかっこ良くないから着ないと狩衣〈=現代のスポーツウェア〉で出陣しておりました。
そのため、鎧を持っていない宗盛父子は狩衣姿でまだ寒い春の海へと飛び込む事になりました。
清宗「父上、冷たすぎます。」
宗盛「…では…源氏に捕まらぬよう
寒中水泳でもするか?」
能宗「はい、父上。
異母兄上。」
こうして狩衣姿で海に飛び込んだものの狩衣は軽いので浮いてしまい死にきれなかった宗盛父子は寒中?水泳をする事になりました。
源義経「無様を晒すあの男が…
まさかの総帥とは…平家も落ちぶれたものよ…」
源氏の総大将を務める義経からは、
軽蔑され実の弟である知盛は、
知盛「兄上、春の海では寒中にはなりませぬ。確かに水温は低いと思いますが…。」
宗盛の呟いた寒中水泳の寒中がどうにも気になるようで船上で何故かそこだけを突っ込んでいました。
澪「…知盛様、突っ込むべきはそこではありませぬ…。そもそも戦に狩衣で出陣する事自体間違いでは…?」
知盛にとって最愛の妻である澪は、
冷静にそこを突っ込んでいました。
宗盛「…おーい!俺はいつまで泳いでおれば良いのだ…?」
宗盛が大声で叫ぶと船に引き上げたのは味方である平家ではなく…
源氏の兵士・弥兵衛「平家の総帥とその息子達を捕まえたぞ!一兵卒とも本日でサヨナラだな。」
義経に雇われた一兵卒である弥兵衛。
義経「弥兵衛!良くやった。異母兄上に頼んで源氏の配下に加えて貰うから楽しみにしておれ。」
義経は大喜びですが知盛と時子は、
情けない宗盛の姿に今にも恥ずかしすぎて顔から火が出そうでした。
知盛「…兄上…。清宗、能宗。平家の公達が無様を晒してはなりませぬ…」
こうして宗盛、清宗、能宗親子以外は皆、海へと飛び込んでしまいました。
時子「陛下、海の底にも都はございますので共に参りましょう。」
知盛と宗盛の母親でもある二位尼…還俗名・平時子も高倉帝に入内した娘・建礼門院徳子の産んだ安徳帝を抱いたまま宗盛の集めた宝飾品を懐に詰めて重石代わりにして春の海へと飛び込んだのでした。
知盛は源氏に捕まった総帥である兄・宗盛の代わりに総大将としてその全てを自身の目に刻み込んでいました
知盛「澪、そなたは見てはならぬ…」
隣で悲しみのあまり顔を歪めている
最愛の妻・澪の目を優しく塞ぎながらも知盛はその全てを見つめていました
澪「知盛様、自身の一族が春の海へ飛び込む姿を見るのは辛くないのですか?」
澪とは違い微動だにしない知盛に対して澪はある質問を投げ掛けました。
すると…
知盛「辛くないはずがなかろう。辛くても僕は総大将としてこの現実を受け入れなければならぬ…。僕が指揮を任された戦で皆の命が散ったのは紛れもない事実なのだから…」
知盛は総大将としての覚悟と威厳を瞳の奥に宿しておりました。
但し…
宗盛と清宗・能宗よりも
勇気がなかったものがおりました。
それは…
時忠「寒いのは勘弁じゃ…
義経殿、そなたに側室として我が娘を娶って頂きたいのだ…」
知盛にとって母方の叔父に当たる・
平時忠でございました。
時忠の娘・真理「…どうして私が一族の仇に嫁がなければならないのでしょうか?」
時忠の娘であり真理は極めて不服そうにしておりましたが義経は美女にとても弱い事もありまして…
義経「ふむ…。仕方あるまい。私にとって美女は必要不可欠だからな…」
こうして真理は何よりも自分が大好きな時忠に利用されてしまい父親の助命と引き換えに義経の側室となりました
真理「碌でなし!」
父親のせいで犠牲となった真理は、
極めて気の毒ではありましたが…
知盛には為す術などありません…。
そんな中平家一門の中でも壮絶過ぎる
最期を遂げたのは知盛の従弟である平教経でございました。
平教経「義経、どうせならば…
そなたを道連れにしてくれる!」
小柄な義経と大柄で力の強い教経では
速さでは義経に敵わないのは一目瞭然ではありましたが…窮鼠猫を噛むとも申しますので少しでも可能性があるならば…と知盛も僅かな可能性にかける事にしました。
しかし…
義経「側室を得たばかりで逝けるか?」
義経は強気で美人な側室・真理を迎えた事で更に強くなりました。
真理「…父上の身勝手な望みで貴方の側室になっただけなのだから貴方が逝くなら逝かれても構いませんわ…。念の為に申しますがお逝きになられるなら1人で逝かれて下さいね…。」
義経「…そこまで言われては意地でも振り向かせたくなるな…。では…そなたが振り向くまで生きるとするか。」
義経は船と船を軽々と飛び越え、
教経とはかなりの距離を取りました。
教経「斯くなる上は…
お前達を道連れにしてくれん!」
教経は土壇場で平家から源氏に乗り換えた阿波水軍の水夫達を2人抱えると
阿波水軍水夫・太朗「助けてくれ~!」
阿波水軍水夫・次郞「おらには産まれたばかりの娘と可愛い妻がいるんだー!」
教経の両腕で悲鳴をあげる水夫達でしたが教経はそんな事お構いなしに船の錨を背中にくくりつけると2人の水夫達を道連れに海の中へと飛び込んだのです…。
義経「恐ろしき兵だな…真理のお陰で死なずに済んで幸いと言ったところだな…」
知盛「…教経…。」
こうして平家の船上に遺されたのは、
澪「私達だけが遺りました…
これからどのようになさいますか?」
知盛、澪、佐武郎〈=後の知宗〉咲樂のみとなりました…。
すると…
知盛は真っ直ぐ前を見据えながら…
知盛「僕は総大将として見るべきものは見た…。今は潔く一門の皆の元へ逝くべき時ではないのだろうか…?」
平家一門の意地を貫くためまだ冷たすぎる春の海への入水を選びました。
澪「知盛さん、私も共に…」
知盛の継室である澪も鎧を3枚重ねて
入水する仕度をしている知盛の隣で、自らも鎧をつけようとしたのですが
知盛「ならぬ、
そなたは死んではならぬ…」
知盛は今にも泣き出しそうな声で
澪の手を自らの手で包むようにすると今度は澪が泣き出してしまいました。
澪「…どうして…?」
知盛は澪の涙を優しく拭いましたが…
澪はその瞬間…
澪「知盛様…!」
自身の発した声に驚き、
夢の途中で目覚めてしまいました。
澪がまさかと思い自分の目の辺りを指で触ると瞳が濡れておりました。
澪「お願い…逝かないで…」
澪は壇ノ浦の戦いで最愛の夫を
喪ってから時が止まっていました。
澪は許されないと知りながらも…
ある言葉を口にしていました…。
澪「知盛様、お願い…側にいて…」
もし死後の世界があるならもうそこに向かっているはずの知盛のためこのような言葉を口にしてはなりません。
それを知りながらも澪の心は
知盛の事を想い焦がれていました…。
だけど…
澪「…」
澪の命は1人のものではなく…
澪に生きて欲しいと願う全ての人間のものでございました…。
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