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「はい?」
「そうだな、月30万でどうだ?」
あーびっくりした。新手のプロポーズかと思った。
「え!? おにぎりを作るだけで、30万!?」
「左様。おにぎり作りとあとは、取材とか、もろもろちょっとした手伝いを。うちに住み込みにすれば、転職も引越しもできて一石二鳥だ」
「え……待って。ちょっと待って」
こめかみに手を当てて考えた。
「あなたが逆にストーカーっていうパターンはないですか? まだ完全には信じられないというか」
「何?」
「ほーらストーカーを見つけましたよー感謝しろーってことにして近づき、手作りおにぎりまで食べて、最終的におにぎりが気に入ったからという理由を付けて家政婦として自宅に連れ込んで……。キャー! ホラーじゃんホラー!」
日常生活でムンクの叫びのポーズになること、あると思わなかった。
「いいねーその想像力! 創作には欠かせない要素だ!」
「いや話聞いてます?」
「ふむ。参ったな。じゃぁまぁ、まずはaSEの新谷とやらを撃退するか」
「撃退?」
「アイツを撃退できれば、『僕がストーカー説』は消える」
「……まぁ、そうですね」
「これらの写真と共に、まずは上司に訴える。その後、aSEにも同様の内容を告発するんだ」
私は眼鏡イケメンを引き連れて出社した。
みんなの「え? 誰?」の視線が突き刺さる。それを一身に受けながら真っ直ぐに筋肉の席へ向かった。
「おはようございます。中岡さん、ちょっと、よろしいですか」
小部屋に入る奇妙な三人。
「あの……ですね。こちらの方は、その」
「いやあ、初めまして。朝から突然申し訳ございません、中野探偵事務所の高林と申します。任務上、こんな格好ですみませんね」
「い、いえ」
目が点になる私。
え、探偵? 『チュージ』の作者じゃなくて?
眼鏡イケメンの全身を見る筋肉に対して、お構いなしに話を進める眼鏡。
「お忙しいでしょうからさっそく本題に入りますが、先日、別件の依頼で、ある男の調査をしておりましたところ、偶然、その男の別の迷惑行為を掴んでしまいましてね」
「はぁ……」
神妙な顔をする 筋肉。
え、何が本当で何が嘘? よくもまぁペラペラと……。
「これを」
スマホの画像を筋肉に見せる眼鏡。
「これは株式会社aSEの新谷という男ですね?」
「あぁ……まぁ、遠いので何ともですが……、似てますね」
「おたくのWeb広告のクライアント」
「ええ」
「その原稿の修正や入稿を担当しているのが、彼女」
「そ……う、だ、よな?」
「はい」
そうだよ! 毎回必死でひいひいやってんの知らねーのか!
「この新谷がどうも、彼女を気に入っているようで。しつこいんです。彼女の行きつけのカフェにも毎朝来るし、締切前には不必要に何度も電話してきてわがまま放題。このビルの下に来てまでですよ。そしてついに、ヤツは彼女が退社した後、最寄駅まで付けて来た。これ、この画像です。中岡さん、こうなるまで彼女の大変さに気がついていなかったんですか? 部下を守るのはあなたの仕事ですよ」
「は、はい……や、でも」
「今すぐ彼女をヤツから解放してください」
「そ、そうですね。すぐに」
……? あれ、なんか。
うるっとまではしないけどさ。
筋肉は驚きと困惑の表情のまま動いた。
「……ごめんな、桧山ちゃん。aSEさんの原稿はいったんストップしよう。俺は今すぐ、坂口さんとaSEさんに行ってくる。場合によっては警察にも……。仕事は出来そうか? キツければ今日は休んでいいから」
「いえ、大丈夫です。他にもたくさん今日締切の原稿ありますから」
「そうか……助かるよ。じゃあもし大変だったら、松本っちゃんと相談して業務分担して」
「はい」と笑顔を貼り付けた。
筋肉は、「高林さんもお願いできますか」と声をかけて、胸ポケットから出したスマホで電話をかけながら、早足で部屋を出て行った。
眼鏡は、私ににっと笑みを向けて、筋肉に付いて出て行った。
何よその、「任せとけ」みたいな笑みは。
……かっこいいじゃん。
その後、夕方まで入稿締切を乗り切り、気が付いたら退社時間になっていた。aSEの対応が無いだけで、ずいぶんと気持ちに余裕があったな。隣のコンビニに昼を買いに行くことも出来た。
「桧山ちゃん、ちょっと」
筋肉が私を呼んだ。
小部屋には、眼鏡と、人事兼総務部長の坂口さんも座っている。私を見るなり、心配そうな眼差しを向けてきた。
「桧山さん、大変な思いだったね。中岡さんと、高林さんも一緒に、先方の社長と本人には厳重に抗議した。画像もあったし、高林さんの畳み掛けるような問い詰めで、本人もあっさり付け回し行為を認めたよ。最後には泣きながら謝罪してた。見せたかったなぁ高林さんの喋り」
ええ、何となく想像つきます。
眼鏡は嬉しそうに、にんまりと顎を撫でている。
「本人いわく、『桧山さんの電話やメールが、いつも親切で雑談にも応じてくれて、やりとりするのが楽しみになってしまい、つい本人を見たくなった』と。営業の吉井君がこの前の記念パーティで撮った集合写真を見せたことがあって、その時に桧山さんの顔を知ったらしい。『ホームでこっそり見送ってるうちに、どの駅まで帰るのか知りたくなった』そうだ。まぁ、それだけいつも、桧山さんが熱心に対応してくれていたということだ。いつもありがとうね。彼は退職することを約束した。あとそのカフェにも通告して、出入禁止にしてもらったよ」
「掲載依頼は、うちではもう受けないことにする」
筋肉が言い添える。
「あとは桧山さん次第だけど、法的措置は考えてる?」
「……」
私は新谷さんとのやりとりを思い返した。確かに締切前の度重なる修正はストレスだった。でも平穏な日のちょっとした雑談では、子供の話もしてたっけ。そんなに、根っから悪い人ではない……と、思う。会社を辞めることになったのなら、処罰としては充分なのでは。
「いや、そこまでは……。何かされた訳ではないので」
「そう。それから我々も、今後このようなことが起こらないように、業務の見直しを早急に考えるよ」
「それはいいですね」
眼鏡が立ち上がった。
「しかし彼女としては、ここに居続けるのは危険だ。顔もオフィスも、最寄駅も知られていては、会社としての取引が無くなったところで100%安心は出来ない」
ドアを開ける。
「坂口さん、退職のフローを彼女に」
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