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眼鏡と一緒に会社を出た。もうすっかり暗くなっている。
「それで、おにぎり職人としてうちに来る決心はついたか?」
「や……」
「なんだ。まだ何かあるのか」
「いや、中野探偵事務所の高林って何ですか」「あー、それはまぁ、そうした方がスムーズだからだ。高林というのは僕の本名」
「『チュージ』の作者というのは?」
「事実だ」
「証拠がないと信じられません」
「ふーむ。証拠。……仕方ない、出版社ってのはどうもキライなんだが」
某大手出版社。
ビルがそびえ立つ。
何の躊躇もなく颯爽と自動ドアを入って行き、受付に進む眼鏡イケメン。あわあわと後ろを付いて歩いた。
「編集の大泉を」
「かしこまりました!」
驚きの表情で、受付の電話を手に取る嬢。
しばらくして、ジャケパン小太り男が、エレベーターを降りるや駆け寄ってきた。
「先生! どうされたんです!? 社にいらっしゃるなんて珍しい……!」
この人がきっと大泉さんだ。大泉さんの慌てっぷりを私に「どうや」と見せて、にんまりとする眼鏡。
「ほら。嘘じゃない」
「先生、こちらの方は?」
「彼女がね、僕が本物だと信用しないものだから」
「あ……その、眼鏡は本当に……?」
「え? あ、ええ。そうです。作家の、星住喬先生です」
「……恐れ入りました」
「ふはは。そうだ、アンタも挨拶したまえ」
「あ、桧山詩子と申します。ポエムの詩と書いて詩」
「詩子? なんという良い名前だ!」
ロビーに響き渡る。は、恥ずかしいからやめて。ちょっと……嬉しいけど。
「えっと……、先生、桧山さんとはどのようなご関係で?」
「あー」
星住喬は、にんまりと私を見据えた。
「僕専任の、おにぎり職人だ」
一ヵ月後――。
指定された、どでかい邸宅に到着。大荷物で歩くのが億劫すぎて、タクシーなんて贅沢な乗り物を使ってしまった。表札には、『高林』。
本当に来てしまった。
ごくり……。人差し指と目が合う。いざ、ゆけ!
リンゴーン。
チャイムが上品に鳴り響く。ガシャン、グイーンと自動で門が開いていく。
長い石畳のアプローチを歩く。なんて家なの。
玄関を開けると、嘘みたいに高い天井の解放感が私を迎えた。
「お、お邪魔します……」
「よく来たな、詩子」
眼鏡イケメン、もとい、星住喬先生が現れた。
「この一ヵ月、いろんなおにぎりを食べてきたがどうも。詩子のでないと」
「そうですか」
「詩子、これから、僕のおにぎりをよろしくな」
「よ、よろしくお願いします」
私の大荷物をグイッと受け取り、白くて広い家の中へと運んで行く星住喬。
その腕の、細マッチョな筋肉たるや。
『チュージ』の作者……なんだよね。
そう思うと急にどぎまぎしてきた。
「詩子? さっそく就業規則を説明する。リビングに」
<1>完
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