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2 糸での束縛
二人がショッピングモールへ入ると、そこはバレンタインの装飾でいっぱいで、幸人は現実から目を逸らしたくなる。やっぱりどうして今日、このキラキラした輝彦が、平凡な自分と二人で遊びに出かけているんだという疑問が拭えない。
「あ、そうだ」
ふと、思い出したとでも言うように、輝彦は立ち止まる。
「有栖川、チョコ好き?」
「え、まあ……あれば食べるけど」
「好きか嫌いかで言うと?」
「ん? 好き、になるのかな?」
なぜかそう聞かれて答えると、輝彦は満足そうに笑った。あ、今の笑顔はあまり見たことがないな、と幸人は思う。いつもなら落ち着いていて、品のある笑顔をしているからだ。
輝彦は、バレンタインチョコの特設売り場を指すと、歩き出す。
「好きなの買ってあげる。今日付き合ってもらったお礼」
「え? ……はあ……」
反応に困っている幸人をよそに、輝彦は売り場へ行ってしまう。慌てて追いかけると、いつも見ないようなウキウキした顔で、ショーケースを眺めている輝彦がいた。
(もしかして……)
「……好きなのか?」
「へっ!? 何が!?」
幸人がそう声をかけると、輝彦は声をひっくり返した。その反応に、どうしたのだろう? と幸人は思ったけれど、主語が抜けていたことに気付き、慌ててショーケースを指す。
「チョコ」
「え、ああ……チョコね。うん、好き」
明らかにホッとした感じの輝彦。もしかして、幸人が好きなのかと聞かれた、と勘違いしたのだろうか。
やっぱりどうして自分が好きなのだろう、と思いながらも、会話を続ける。
「じゃあ俺も東堂の好きなの買ってあげるよ」
「え、いいのか!?」
輝彦は目を輝かせて幸人を見ていた。案外分かりやすい奴なのかもな、と幸人は笑う。すると、今の反応は失敗したと思ったのか、輝彦は手で半分顔を隠して、「ありがとう」と小声で呟いた。
すると、今まで手首をぐるぐる巻きにしていた輝彦の糸が、幸人の腹にも巻きついてきたのだ。えっと俺何かしたかな、と幸人は思い返してみるけれど、思い当たることがない。とりあえず、害はないから様子見することにした。
そして二人でそれぞれ相手が選んだチョコを買うと、人通りの邪魔にならない所で袋ごと交換する。
「ありがとう、一生大事にする」
「いや、大事にしないで食べてくれよ」
嬉しそうに言う輝彦は少し感動していたようだ。彼の糸も嬉しそうに動いて、幸人の身体をぐるぐるグルグル巻いている。すごく拘束されているな、と幸人は遠い目をしながら、目的の映画館へ行くべく先を促した。考えていたら気になって進めない。
(糸は触ることができないけど、動きにくい……気持ち的に)
そう思って幸人は肩を回す。どういう訳か、糸は幸人が触ろうとすると通り抜けてしまって、物理的に干渉することはできないようなのだ。その理由についても、幸人は今までにももちろん考えてみた。
もし、糸を触ることができたら、興味本位で適当なひとの糸を結んでみたいと思うだろう。一瞬でも結ばれたひと同士はその後どうなるのか。それを見られないのは残念だと思うと同時に、触れない訳だ、と思ったのだ。
ひとの気持ちや意志をもてあそんでは、のちのち取り返しのつかないことになる。糸は触れなくて正解なのだ、という考えに落ち着いた。
だが、こうもぐるぐる巻きにされては居心地が悪い。なので幸人は、輝彦自らこの束縛を解くようにしてもらわないと、と思ったのだ。
(けど、東堂がどうして俺を好きなのか検討もつかない……まずはそこからだな)
「なあ……」
そんなことを考えていると、輝彦がこちらを見ている。その眉が下がった。
「退屈?」
「え、いや? 何で?」
「さっきからあちこち見てるし、疲れたように肩を回してるし」
「あ、はは……ごめん。あちこち見るのは癖で……」
ふと、これは彼のことを知るチャンスなのではと幸人は思った。見上げると、彼は「ん?」と首を傾げている。
「東堂って、下の名前何て言うんだ?」
そう言った途端、輝彦の糸が幸人の首までぐるぐる巻きにした。思わず「ちょっと待て」と言ってしまう。
「どうした?」
「いや、ちょっと急にお腹が……トイレ行ってくる!」
「え、大丈夫か!?」
輝彦の心配そうな声をバックに、幸人はトイレへ走る。物理的に距離が離れてしまえば、糸は自然に離れていくので、それを狙った。
どうか追って来ませんように、とトイレの個室へ入る。
(あ、危ない……っ、思わず声を上げちゃった……)
まだメインの映画も見ていないと言うのに、もうここまでぐるぐる巻きにされては先が思いやられる、と大きく息を吐いた。
落ち着け、いくら身体に糸が巻きつこうが、首に巻きつこうが、物理的には接触できないのだから、苦しくはないはずだ。さっきは初めて首に糸が巻きついてきたから、動揺しただけ。本能的なものだと言い聞かせ、深呼吸をして心を落ち着かせる。
やっぱり、彼の自分に対する執着はおかしい。どうして自分なのか、何がきっかけだったのか、それさえ分かれば、この他人には見えない束縛から解放されるのだろうか?
「どのみち、仲良くするか、徹底的に避けるかのどっちかだよな……」
気持ち的には、輝彦から好かれているという事実に嫌悪感はない。糸での束縛が息苦しいだけで。
それなら、もう少し輝彦の話を聞いてみた方がいいのかな、と思う。幸人が少し輝彦に興味を示しただけで、彼の糸があれだけの反応をするということは、ものすごく嬉しかったのかもしれない。
「……よし」
幸人は覚悟を決めて、トイレの個室から出た。
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