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4 ついに来た?
映画館から出ると、幸人は何だかどっと疲れが出てきてしまう。結局エンドロールが終わるまで観て、その間もずっと輝彦の糸が顔を撫でまくっていたので、早く外へ出たかった。
フードコートでひと息つきたいと言った幸人に、輝彦はまた爽やかな笑顔でいいよと頷いてくれる。それでも、手首に巻きついた糸は離れず、幸人は片手だけ手錠をかけられたような感覚に陥った。今日はずっとこのままなのかな、なんて思う。
「俺の独断であの映画にしちゃったけど、どうだった?」
「あ、うん……あの二人はいいコンビだね」
「そう。実はあの二人、夫婦でさ」
二人で椅子に座り、注文したジュースを飲む。へぇ、と幸人は知らなかったふりをした。どうりで息が合ってると思ったよ、と言うと、輝彦は嬉しそうに笑う。
「すごくいい動きしてただろ? スタントマンなしで撮影してるんだ」
「えっ、それはすごい」
幸人は素直に驚いた。かなりヒヤヒヤする場面もあったのに、CGではなく本人が本当にやっているらしいと聞いて、あの緊張感はリアルに動いているから生まれるのか、と感動さえする。
「詳しいんだな。俺、前情報なしで見てたから……」
「普通はそうだよな。俺は好きで調べてるから」
そう言う輝彦は楽しそうに笑っている。そんな顔を見て、幸人も嬉しくなった。やっぱり、人が笑顔なのは気持ちがいい。
「映画が好きなのか?」
「そうだな。観るの好きだし、それにまつわるエピソードを集めるのも好き。制作秘話とか」
なるほど、と幸人は相槌を打つ。
「だから今日は付き合ってくれてサン……」
「あれー? 輝彦じゃん」
横から無遠慮に声を掛けられて、幸人はそのひとを見上げた。見ると金髪に濃いめの化粧、冬だというのに、とても短いタイトスカートを穿いた女性が二人いる。その瞬間、輝彦の表情がサッと貼り付けたような笑顔に変わったのを、幸人は見逃さなかった。
「何してんの? ウチら服買いにきたー」
そのまま断りもなく、近くの椅子を持ってきて輝彦の両隣りに座る女性たち。幸人はその顔を見て、大学でよくつるんでいる学生だと気付く。確か同期だったか。
「映画観に来た」
「映画〜? 輝彦そんな地味なことすんの?」
すると輝彦の糸が、幸人の手首に巻きついたまま、先だけを動かし指にスリスリしてくる。何だか意気消沈しているように見えたので、幸人はその糸を指先で優しく撫でた。やはり触感はないけれど、その糸は甘えるように指に絡んでくる。輝彦はこのひとたちが苦手なのだろうか。
「ね、コーヒーショップの新作飲みに行かない?」
「あ、賛成! っていうかフードコートとか輝彦似合わないよ」
「……あの。一応連れがいるんだけど」
にこやかだけど、感情がこもっていない笑顔で輝彦は言う。すると女子学生は連れ? とやっと幸人に気付いたようだった。
「あ、初めまして。何? 輝彦このひとと遊んでたの?」
「えー? 輝彦のイメージ崩れたー。あ、アンタが映画に誘ったんだ?」
好き勝手に喋る女子学生からは、悪意はあまり感じられない。そして彼女たちは輝彦に好意を寄せていることが分かった。いま輝彦の糸の先は、幸人の手の中にあるのに、一生懸命彼女らの糸が輝彦の糸を探している。
(まあ、東堂が俺のことを好きだとは微塵も思っていないんだろうな)
見た目が全てだと言わんばかりのファッションで、それらにあまり気を遣わない幸人は眼中に無いのだろう。だからか、彼女らは外見には気を遣っていて、なかなかに美人でかわいい子だった。残念ながら幸人の趣味ではないけれど。
「そう。なかなかスリリングなアクション映画だったよ」
幸人がそう言うと、輝彦は驚いたようにこちらを見る。目の前で輝彦が槍玉にあげられるのは、何となく気分がよくない。
「え、地味メンくんアクション映画観んの? 何か意外。ジメジメした暗ーい邦画とかマイナーなの観てそうなのに」
「あはは! 言い過ぎ!」
決めつけにも程があるけれど、幸人は怒らない。なぜなら彼女らは輝彦にしか興味がないからだ。糸を見ていればそれは一目瞭然だった。それなら自分が何かを言っても、彼女らは気にしないだろう。
「とりあえず、その地味メンくんってのは止めような? 有栖川って名前があるんだし、俺の友達だから」
にこやかに言う輝彦には怒りは感じられない。けれど彼の糸は忙しなく幸人の指を撫でている。落ち着かないか、と幸人は輝彦の糸の先を包むように手を握った。
「有栖川? 地味なのに名前は立派じゃんウケる!」
「下の名前は?」
楽しそうに話す彼女たちは、本当に悪気はないようで、輝彦が友達だと言うと少し興味を示してくる。楽しそうならいいか、と幸人は微笑んだ。
「幸人。よく東堂とつるんでるよね? 同期なの?」
「そー。あたしは朱里」
「ウチは七海ね」
軽く自己紹介してくれた彼女たちだが、いかんせん二人とも似たような格好をしているので、幸人は混乱しそうだった。とりあえず、一人称が「あたし」なのが朱里で、「ウチ」が七海と覚えておくことにする。それにしても、名前まで似た語感なのはトラップだ、と幸人は苦笑した。
「なんだ。幸人もっと暗いと思ってたけど、フツーじゃん」
「ねー。……そうだ、連絡先教えてよ。輝彦のダチならウチらもダチのようなもんだし」
決めつけにも程があるし、とても強引な理屈のような気がしたけれど、幸人は笑って連絡先を交換した。初対面なのに名前呼びをして、グイグイ踏み込んで来るひとは初めてだ。そしてまだ買い物するからと去っていった彼女らを、嵐に見舞われたかのように幸人は見送る。
「あー……何かごめんな?」
「え、何が?」
急に謝ってきた輝彦に、幸人は首を傾げると彼は苦笑した。
「結構失礼なこと、言ってただろ?」
「ああ……悪気はないみたいだから別に気にしてないよ」
幸人はそう言うと、輝彦は口元を手で押さえる。視線を逸らして固まっているので、どうしたのかと思ったら、輝彦の糸がまた、幸人の胴体に巻きついていたのだ。
表情にはあまり出ないのに、糸は暴れまくって幸人の頬をスリスリしている。けれど、どうして輝彦がこんなに喜んでいるのか分からない。
「あの、さ……」
「ん?」
急に声のトーンを落とした輝彦は、幸人から視線を外したまま、机の上で手を組んだ。けれど彼は、口を開くものの声は出さず、そのまま黙ってしまう。
そこで幸人はハッとした。もしかしてこれは、輝彦が言いにくいこと──つまり自分に告白をしてくるのではないのか、と。
「な、なに……?」
「あの……有栖川、俺……」
思わず身構えると、幸人の心臓の鼓動が徐々に大きくなっていく。結局どうやって返事をするか、考えないままここまで来てしまったことを後悔した。
「俺、有栖川のこと……」
ゴクリ、と唾を飲み込んだ幸人は、輝彦の長いまつ毛から目を離せないでいた。そのまつ毛が震えて、瞳がこちらを捉えた時、幸人の心臓はばくん! と跳ね上がる。
来る。東堂が意を決して伝えてくる。そう思って幸人は拳を握った。
「俺、有栖川のこと、……幸人って呼びたい。ダメか?」
「え?」
(え、なに? 躊躇ってたのって、それを聞くため?)
完全に身構えていたのに肩透かしを食らったようで、幸人は軽く「いいよ」と返事をした。でも内心ホッとする。告白じゃなくてよかったと胸を撫で下ろした。
「だから俺のことも、輝彦って呼んで欲しい」
そう言った輝彦はキラキラした笑顔で、爽やかに笑う。幸人も笑って頷いた。
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