7 ラーメン

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7 ラーメン

 週末夕方の繁華街は人が多い。幸人は改めてそれを実感した。しかも、バレンタインを過ぎたとはいえ昨日の話だ。予定を合わせたカップルが、ディナーを楽しもうとウキウキと歩いている。  幸人は手を擦り合わせた。着込んで来たものの夕方からは更に冷えて寒い。 (それにしても、カップルが多いな……)  世の中は、こんなにカップルに溢れていたっけ、と幸人は思った。バレンタインの翌日にしても、この辺りにいる誰もが、小指の先の赤い糸が誰かしらと繋がっている。  大切なひとがいるのはいいことだ、とほっこりした。  幸せそうなひとを見ると、幸せになれる。幸人はその名前の通り、ひとの幸せを願い、喜べるひとになった。仲がいい両親に恵まれ、その両親もそんな幸人を愛してくれている。自分は今でも充分幸せだ、と思う。 「幸人」  寒すぎて手に息を吐きかけていると、輝彦がやってきた。幸人が寒がっているのを見て、彼は眉を下げる。 「寒かったな、ごめん」  キラキラした綺麗な顔が、自分のせいで困った顔をしている。そう思っただけで幸人は反射的に笑った。 「いや、そんなに待ってないから大丈夫」 「そう? 早く暖かいところに入ろう」  輝彦はそう言って、ごく自然に幸人の背中を押す。するとやはり彼の赤い糸が、幸人の身体に巻き付いてくるのだ。そして幸人の手、指の先まで巻きつき、何だか手袋をしたようになった。 (寒かったな? ……いや、温めたい、か?)  幸人は輝彦の赤い糸の動きから、彼の感情を読み取ろうとすると、輝彦がじっとこちらを見ていることに気付く。 「……何?」 「メシ、何食べたい?」  そう尋ねられると同時に、糸で頬を撫でられた。やはり感触はないとはいえ、くすぐったい。 「輝彦は食べたいものないのか?」  幸人は笑いながらそう言うと、輝彦の糸は喜んだようにブンブンと先を揺らす。本当に、彼は糸の方が素直で分かりやすい。 「……俺に付き合ってもらってるから、幸人の食べたいもので」  ニッコリと笑う輝彦は爽やかだ。冬の寒さも吹き飛ぶような綺麗な笑顔なのに、糸は相変わらず暴れている。こうも表と内心が違うひとは初めてだ。どうしてだろう、と幸人は少しだけ興味を持つ。 「俺が食べたいもの……ラーメンとか?」 「ラーメン……!」  輝彦は叫んだあと、お腹を押さえて笑いだす。何か変なことを言ったかな、と思って見ていると、笑いがおさまったらしい輝彦は、目尻を指で拭いながら続けた。 「いやごめん。いつもつるんでる奴らとは絶対行かないから、なんか新鮮で」  そう言いながら、輝彦の糸はまた幸人の周りをグルグル回っていた。どうやらツボにハマったのは本当らしい。楽しいならよかった、と幸人も笑う。 「……うん。やっぱり幸人といると楽しい。友達になれてよかった」  先程から笑ってばかりの輝彦はちっとも嘘くさく見えない。今は本音なのかなと思っていると、幸人の糸に、輝彦の糸が絡みつこうとしていた。 「……っ」  幸人は思わず手を引っ込め、誤魔化すために手を擦り合わせる。 (友達とか言いながら、しっかり俺と結ばれたがってるじゃん)  やっぱり輝彦は自分のことが好きなんだと再認識させられ、幸人は考える。どれが、何が、輝彦の琴線に触れたのだろう? やっぱり分からない。  ダウンコートを着た輝彦は足取りも軽やかだ。「ラーメンなら温まりそうだな」と笑っているのに、彼の赤い糸は幸人に絡んでばかり。こんなに幸人のことを意識しているのに、それをおくびにも出さないのはなぜだろう、と思う。 「幸人はラーメン好きなのか?」 「好きと言えば好き、かな」 「なんだそれ。それなのにラーメンって言ったの?」  輝彦は噴き出した。それと同じくして、赤い糸がまた犬の尻尾のようにブンブン振れる。こんな会話でどうして彼は喜んでいるのだろう、と幸人は思いながら、喜んでいるならいいか、と会話を続けた。 「……うん。何となく、今はラーメンの気分」 「……かわ……」  幸人が答えると、輝彦はボソリと呟いた。「川」とはどういうことだろう、と幸人は彼を見上げると、ニコリと微笑まれる。 「俺もラーメン食べたかったから、すごい偶然」  「川」には触れず輝彦はそう言うので、幸人はよかった、とまた笑った。何にせよ、隣にいるひとが笑顔なら、何も深掘りすることはない、と気にしないことにする。 「ねぇ、あのひとかっこよくない?」  ふとそんな声が聞こえて、幸人は声がした方を見る。そこには三人組の女の子がこちらを見て騒いでいた。次いで輝彦を見ると、彼はラーメン屋を探してキョロキョロしている。 (うん。確かに輝彦はカッコイイ。キラキラしてる)  女子が騒ぐのも無理はない、と思うほど輝彦は顔がいいし、背も高いし体躯もいい。そう思ったら、なぜ自分なんだ、と何度でもその疑問が浮かんでくる。 「あ、あったよラーメン屋」  輝彦が声を上げた。駅前のアーケードを真っ直ぐ歩いたところに、綺麗な飲食店に挟まれた、ボロい──いや、味のある店構えのラーメン屋があった。ラーメンと書いた赤い暖簾(のれん)は色褪せているし、換気扇の排気口は油で黒くなっている。昔ながらの中華そば屋や、中華料理屋そのものの雰囲気だけれど、人気なのかそこそこ店の外にひとが並んでいた。 「並ぶけどいい?」 「いいよ」  じゃあここにしよう、と幸人たちは最後尾に並ぶ。不思議なことに、順番待ちをしているひとたちも、カップルや二人以上で来ているので、この辺りで何かイベントでもあるんだろうか、と幸人は首を傾げる。 「……何か、やたらとカップルが多いな」 「そう? ……ああ、言われてみれば。こんな味のある店に若いカップルはあまり入らないよね」  もしかしたら、ラーメン好きなカップルなのかも、という輝彦の言葉に幸人も頷いた。こういう店は、頑固親父が料理を作って、その奥さんが客を回しているイメージだ。恋人同士なら、失礼ながらもっと雰囲気がいい店に行くだろう、と幸人は思う。  すると、店内から出てきた若い店員らしき女性が、行列客にカードを配り始めた。幸人もそれを受け取ると、このアーケード限定のクーポンのようで、書かれていたのは『二人以上の来店で二十パーセントオフ!』の文字。しかもこのイベント期限は今日だ。一種の町おこしらしい。  だからか、と幸人は納得した。やたらとカップルが多いのも、複数人で歩いているひとが多いのも、これのせいか、と輝彦を見る。  ラッキーだね、と彼は笑った。
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