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少しして落ち着いた俺は「帰りましょうか」と促し、女性は小さく頷いた。
目尻を親指の腹で拭き取り、ポケットから取り出したハンカチで整えると、その表情は先程の『お母さん』のそれだ。
考えてみれば、そのまま向こう側に戻ってしまえば子供にとって俺は悪役になってしまいかねない。
道路を渡りきると、お利口に待っていた子供が無言で口を開けて、表情はにこやかに駆け寄ってきた。その後ろ姿を——歳は俺と同じはずだが——保護者のように微笑ましく眺める女子が若干一名。
「伝えてくれた?」
さっきの雰囲気とはまた違い、ニコニコしながら訊いてくる。今反応できないの分かるだろ?と言えないわだかまりさえもこの親子には気付かれないようにコクッと小さく頷くしかない。
「良かった。てか今更だけどさ、あの線香めっちゃ良い匂い!もうお腹一杯だわ。あれ絶対高いやつよ」
伸ばした腕を壊れた秒針のように揺らす無邪気な女子のお陰で、目の前の親子の会話が入ってこない。
というか、この感慨深いタイミングで空気の読めない話題を持ち出すあたりが、やはりコイツ死んでないのではとさえ思わせる。
いや、違うか……わざと空気を読んでないのか。
「そういえば、海紀さんが好きな飲み物、分かる?」
水色の折り畳み財布から小銭を一枚ずつ取り出す女性からの不意な質問に「えーっと」と間を取り海紀に目線を移すと「は?覚えてないの?」と何故かキレられる始末。そりゃ本人が目の前に居たら一応訊くだろ。
「アイツは昔からCCレモンが好きだったんですけど……」
「おっ、さすが海斗!」
「炭酸じゃすぐヌルくなって美味しくないと思うんで、その代わりに——」
「うん?」
「へ?」
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